───お前の価値は金だけなんだよ
…っ!!どうして?なんでお兄様が…ここは…王宮。
私を突き飛ばしたのは兄のエイタ。兄の隣で扇を扇ぎながら意地悪く笑っているのは妹のフウカ。
アイはバランスを崩して床に座り込んだ。
───やだ〜お兄様、そんなにはっきり言ってあげないでくださいませ。
───しっかり本人に自分の立ち位置をわからせるのも優しさだろう?
───あら、そうですわねお兄様。勘違いしてることほど恥ずかしいことはありませんもの。なんでお兄様は優しいのかしら。それにしても見てくださいませ!こんなふうに惨めに床に崩れ落ちて。髪も乱れていてみすぼらしいこと。こんなの金にもなるのかしら!
可愛らしく兄を上目遣いで見たあと、わざとらしく扇で顔を隠し、アイを見下す。
それに応じるように兄は爽やかな王子様スマイルをしたあと呆れたように笑う。
───これ単体じゃないさ。王族の血ってだけさ。
───まあ、こんなのに私達とと同じ王族の血が流れてるなんて信じられませんわ!
───本当だよねぇ。まぁただ僕らにはそれ以外の価値がたっぷりついてるけど、こいつには何もなかったってことさ。
───幸運でしたのね。こんなのにも神様はお慈悲を与えてくださる。いくら「力」を与えないからと言っても見捨てはしない。我が国の守護神ユテリル様はなんて素晴らしいのかしら!本当に感謝しかありませんわ!
───ははは、本当だね。ほら、お前も感謝しないと。何もないお前に金という価値を与えてくれたのだから。
───そうですわよ、お・ね・え・さ・ま ♪
…私はこのフウカが言う「お姉様」が本当に嫌いだった。
他人の前でだけ可愛こぶって甘えたで私を呼ぶこの声が。そうでない時は心底見下して私を呼ぶこの声が。
───フウカはきちんとお姉様と呼ぶのかい?なんていい娘なんだろうね。
───だってそうでないとお父様がうるさいのですもの。一応外面はよくしておかないと私の品位が下がりますわ。
───それもそうだね。さて、こんなのほっといて、今日は街に行く約束だろう?
───ええそうでしたわねお兄様!早く行きましょう私新しくできたパティスリーのチョコレートミルクレープが食べたいのです!美味しいと今お友達の間で評判ですの!早く行かないと売り切れてしまいますわ!
───あぁ、そうなのかい。こんなやつに構ってる暇なんてなかった。行こう。
フウカは綺麗に巻いたクリーム色の髪の毛と華やかなドレスを翻し、お兄様の腕に自分の腕を絡めてニヤリとアイを見下し、部屋を出て行った。
…私だけ、王族の中で唯一髪がクリーム色ではなく銀髪だから。
…私だけ、ストレートじゃなくて癖っ毛だから。
…私だけ、王家代々に伝わる恩恵である「力」がないから。
しょうがない。どうしようもない。
…けど、つらい。つらい…っ!
…お願い、もうやめて…。
********
「…っ、ぅ……ぅっ…」
午後3時。
ソウスケが起きるとアイが隣でうなされていた。
「…?」
多少マシになるんじゃないか、となんとなくアイの手を握る。
(…って、いや俺キモいな。)
寝起きで頭がぼんやりしてたんだと自分の奇行を誤魔化し、慌てて手を離す。
「…ん、ぁ。」
それで起きた訳ではなさそうだが、アイが起き上がった。
「…起きたか。」
「…怖い、夢を見ました。」
ソウスケはアイの寝起きの顔についた涙の跡を見て「そうなんだ」とだけ呟いて立ち上がる。
「行くよ。朝飯。」
「朝って…今何時ですか?」
「ん?お昼の3時過ぎくらい。」
「えぇっ、そんなに遅いんですか!?」
「早いよ。こっちの世界は完全に昼夜逆転なんだから。朝6時就寝、午後3時起床。」
「…そ、そうなんですね。」
「ほら、早くしねーと置いてくぞ。」
「ま、待ってください!」
********
「あ。」
家の外に出た途端、ソウスケが急にぴたりと立ち止まった。アイは不思議そうにソウスケを見るが目が合わない。何かを考えてるようだ。
「あー。えー。どーしよ。」
「…えっと、どうしましたか?」
そうアイが聞くとまたうーんと唸り、首を傾げて頭を掻いた。
「いやー、いつも朝この時間、俺色々と練習しながら行ってんだけど…。お前がついて来れるわけねーし、どーしよっかなって。」
「…私やります!ついていけますっ!」
「え?マジで言ってる?」
「はい!」
「えぇ〜…。じゃあ…行くよ?」
「はい!頑張ります!」
「…一応後ろは確認しながら行くから…。んじゃ、ついてきて。」
ソウスケは不安気にアイを見るものの、いざ決めると潔く走り出した。アイは慌ててソウスケについていく。
(最初っから全力疾走なんですけど…!?)
ダッシュの状態のまま4分ほど、距離で言うと1キロほどを走り抜け、建物と建物に挟まれた遊歩道に出た。ソウスケは勢いを殺さずそのまま壁に向かっていく。
(えぇ…っ!?壁に向かって突っ込んでいきます…っ!!)
アイはぶつかると思いその場にとどまりソウスケを見ている。するとソウスケは両サイドの壁を交互に足場にして跳び、上昇して4階建ての建物の上に飛び乗った。
(え……っ!?)
アイが絶句しているとソウスケが上から顔を出してアイを覗き込む。
「…えっとー、行ける?」
(いやいけるわけないじゃないですかっ!!)
アイはぶんぶんと顔を真横に振った。
10秒後。
アイはソウスケに抱えられて建物の上に降り立っていた。
しかしこんなのまだまだ序の口だ。ソウスケは四つ先のビルを指差した。
「あのオレンジのね。あそこまで行くから。途中でスピード落とさない方がいいよ。逆に落ちるから。落ちたら…うーん、ドンマイ?」
(ドンマイどころの話じゃなくないですっ!?)
ソウスケは助走もつけずに隣のビルへ軽くトンッと弾みをつけて跳び移る。
空中で静止したかのように見え、一瞬アイは息を呑むがソウスケはそのまま着地、勢いを止めずにさらにもう一個向こうのビルへ。身体を捻って柵に足を乗せ、ビル一個分をジャンプで横断するとバク宙し、最後のビルへと着地した。
(…え、次、私ですよね…。無理ですよね絶対…!…でも、言い出したからにはやるしかない…っ!)
アイは覚悟を決めて走り出した。
「とりゃぁっ!!」
王女らしからぬ掛け声とともに思いっきりビルの淵からジャンプ!
(やばいやばい落ちる…っ!あ!でも手が届いた…っ!!)
アイはギリギリビルの端のレンガを掴んだ。落ちたら終わり、その恐怖がアイの体を無理矢理その手一つからビルの上へと登らせた。
「……ぅっ、ぐぁっ!…はぁ、はぁ…。」
さて、まだ一つ目を飛び越えたばかり。続いて二つ目。
さっきより距離が遠い。しかも柵で囲まれていて柵に着地しないといけない。つまり上にも跳ばないといけない。
もはやため息のような息を吐いて、アイはキッと次のビルを睨む。
よしっ、と呟いて走る。地面を思いっきり蹴り上げる。身体の内側に慣れない浮遊感。必死でアイは腕を伸ばす。これまたギリギリ、片手で柵を掴んだ。
体を振り子のようにして勢いをつけ、もう片方の手も柵を掴む。そのまま懸垂のようにして体を持ち上げ、腕をぱっと離して柵の上を掴み、さらに上に。ようやく足が地面につき、無意識に止めていた呼吸を再開する。
さぁ、あと一つだけ。けど、まだあともう一個ある。しかも今度は路地ではなく広めの道を挟んでいる。ごんな幅を飛び越えられるわけがないとしか思えない。
…まぁ、とりあえず跳ぶしかない。
もはや半端諦めた状態でアイは助走をつけ、弾みをつけて跳ぶ。
あ、落ちる。まずい。
明らかに届かないことを悟り、アイは絶望を感じた。
「…よっ…と…。大丈夫そ?」
ソウスケがアイの腕を掴み、軽々と引き上げる。グッと上に引っ張られ、アイはなんとか落ちるのを回避した。生きた心地がしない。
「ありがとうございます…。」
「はいはーい。んじゃ、次行くよ。」
ソウスケは急にビルの淵から飛び降りた。え!?と叫んでアイは下を覗き込むと、ビルの外に取り付けられた排気用のパイプの上に立っていた。
「そんなところ通るんですか…!?」
「ほら、早く来ないと置いてくよー?」
「うぅ…行きますっ!」
意を決してアイはビルから飛び降りた。
そのままあちこちのビルのパイプに飛び移りながらパイプの上を走っていく。
またビルを飛び越えたり、ベランダの柵を踏み場にして跳んだりとめちゃくちゃな場所を通り、やっと市場の入り口に着いた。
「はい、終了。お疲れ〜。」
「う…疲れた…なんてもんじゃないです……っ!」
ソウスケは涼しい顔をして無傷。ところが対してアイは痣、擦り傷、切り傷と傷だらけ。息も上がっていてボロボロだ。
「…ドンマイ。でもまあ、よくついてきた方だとは思うよ。」
「ありがとう…ございます…。」
「じゃあ、朝飯食いに行こ。」
「はい…。」
毎日これを軽々とこなしているソウスケは人間じゃないんじゃないかとアイは思わず疑った。