そこはいちいち聞かないでよ。前回は許可なく不意打ちでしたくせに。

 内心文句を垂れているが、ちょっぴり嬉しいと感じてる自分がいて。結局私は凪くんのことが大好きなんだなとつくづく思った。

「……目、閉じて」

 端正な顔が近づいて、そっと目を閉じる。すると、ほんのわずかだけ、唇に温もりが広がった。

「必死で助けたのにって言ってたけどさ……やっぱり凪くんもドキドキしてたんじゃない?」
「……うるさいな」

 目を開けたら、ほんのり染まっていたはずの頬が真っ赤に。凪くんの輪郭なら、りんごよりもいちごのほうが合うかな。

「俺が恋しいからって、予定早めるなよ?」
「大丈夫だよっ。夢叶えるまでは、こっちで頑張るから」

 少しニヤニヤしながら見つめていたら、頭の上に手を置いてきた。

 また子ども扱いして。やはりこの人は、年上の権力を振るうのが趣味なようだ。

「次は、一花ちゃんの好きなお肉、食べに行こう」
「うんっ」
「あと、公園に行ってスケッチもしよう」
「わぁ楽しみ。あとプールにも行きたい」
「いいよ。その時は泳ぎ教えるね。いっぱい写真も撮ろう」

 お互いの小指を絡ませて、来世での再会と約束を交わす。

 来世があるのかは分からないし、もしあったとしても、また人間に生まれ変われるかどうかも分からない。

「凪くん、デートする時は、お金忘れずに持ってきてね!」
「ふはっ、了解です」

 それでも……不思議と凪くんとは、また必ず会えるような気がするんだ。

 今度は衝動買いしないで計画的に使うんだよ。次会うまでにお金のこと勉強して、ちゃんと管理ができる人になってね。

「一花、そろそろ」

 彼に期限付きの宿題を出したところで、後ろの襖が開き、父が顔を覗かせた。

 ……もうこの辺で、お別れみたい。

「そうだ。お願いがあるんだけど、描きかけの絵、一花が完成させてくれない?」

 再び優しい命令を使って、凪くんは私が立ち上がるのを阻止してきた。

「それ……生前描いてた絵のこと?」
「うん。下描きの状態だからさ。一花にしか頼めないんだ」
「……分かった」

「私にしか」というズルい言い方プラス、真剣な眼差し。返事の選択肢を「はい」のみにする超強力な合わせ技。

 推しの描きかけの絵を代わりに描くって、長い人生の中でもなかなかない。

 私に務まるのか少々不安はあるけれど……最後のお願いだから、引き受けることにした。

「あと、パスワードなんだけど……1回しか言わないからよく聞いて」
「ええっ」

 どうして1回だけなんだ。聞き逃したらもう2度と開けなくなるかもしれないというのに。

 耳を近づけると、凪くんは1文字ずつゆっくりと囁いた。

「……本当に? 今作ったわけじゃなくて?」
「作ってないよ。あいつが、ハッキリそう言ってたから」

 凪くんいわく、お葬式に出席した時に教えてもらったのだそう。

 にわかには信じがたいが、忘れないように、心の中で復唱しながら腰を上げる。

「じゃあね一花。今まで本当にありがとう。最後、ちょっとからかってごめんね」
「ううん。私こそごめんね。凪くんと過ごせてとても楽しかったよ。ありがとう」

 涙をこらえて笑顔で感謝を口にし、襖に手をかける。

 満面の笑みで手を振る、愛に溢れた大好きな人。

 その姿は月夜に輝く王子様ではなく、太陽の光に照らされた眩しい王子様だった。





「あの子が……そんなことを……っ」

 法要が終わり、慌ただしさが少し落ち着いた午後。

 和室の隅で、凪くんのお母さんとお姉さんに、帰省中の話に加えて、先ほど彼が打ち明けてくれた話をした。

『お弁当に入ってた野菜炒め、めちゃめちゃ美味かった』
『生きてるうちに好きな物たらふく食べてね』
『毎回口答えして、沢山迷惑かけてごめんなさい。短い間だったけど、好きなことを思いっきりさせてもらえて幸せでした』

 凪くんからの遺言を伝えると、ハンカチを目に当てて「ありがとう」と涙ぐんでお礼を言われた。

 1ヶ月以上が経っても、今も泣いてしまうくらい悔やんでたんだな。

 これで全ての後悔がなくなるわけではないけれど、少しでも荷を軽くすることができたのなら良かった。

「あの、スマホ、解除してもいいですか?」
「はい……お願いします」

 彼の母親から凪くんのスマホを受け取った。

 電源ボタンを押してロック画面を表示させ、教えてもらったパスワードを入力する。

『n』『i』『k』『a』『l』『o』『v』『e』

 8文字のアルファベットを打って決定ボタンを押すと、待ち受け画面に変わった。

 本当に開いた……。

 もしかして理桜さん、私のこと知ってたのかな。毎回コメントしてたし、ユーザー名も独特だから記憶に残ってたのかも。

 心の中で「失礼します」と呼びかけ、アプリをタップをする。

 カメラフォルダには、恐らく理桜さんらしき人の自撮りと、海岸ではしゃぐお友達の写真。そして、風景写真やSNSで見た絵が保存されていた。

「一花ちゃん、本当にありがとう」
「いえ。力になれたのなら光栄です」

 涙目で私の両手をギュッと握った凪くんのお母さん。

「他の家族にも伝えてきます」と言って、中央のテーブルで談笑する家族の元へ向かった。