話し終えると、凪くんはゆっくりと視線を落とした。
8月下旬。今日は彼が亡くなってから48日が経過した金曜日。
制服に身を包んだ私達は、誰もいない和室の窓際に腰を下ろして外を眺めていた。
庭に飾られた花と盆栽。三途の川の世界で見た物が、現実世界で余すところなく完璧に再現されていた。
「一花ちゃんさ、前に俺のこと、眠れる獅子が覚醒したって言ってくれたよね? けど……俺、全然そんなことないよ」
伏せられた目が1回だけ瞬きされて、黒い瞳に自分の姿が映る。
「浅はかな言動で大切な人達を悲しませて、大切な人との約束も守れなくて。あげく、一花にもずっと言えずに黙ってた。俺は無鉄砲で臆病で、意気地なしなライオンなんだよ」
「違う!」
自己卑下する彼の声を遮るように否定した。
確かに助けることができなかった。それでいて、悲しみのどん底に突き落とした。
そこだけを切り取ったら、無鉄砲で無茶苦茶な人だと思われるのは仕方のないこと。
だけど──。
「凪くんは、勇敢なライオンだよ。だって……もし臆病者で意気地なしなら、2度も私を助けたりしない」
幻想的な月明かりに誘われた初日の夜も。風に飛ばされた帽子を追った最後の日の朝も。
凪くんは脇目も振らず私の元に駆けつけてきてくれた。
──それも、親友と自分が亡くなった場所に。
「私ね、岸に倒れてて、ジョニーが第一発見者だったんだって。……もしかして、凪くんが呼んだの?」
「……半分正解」
恐る恐る尋ねたら、見事ビンゴ。といっても半分だったけど。
「帰省中のひいじいちゃんに魂を飛ばして助けを求めたのは本当だよ。でも、ジョニーくんを海まで誘導したのはひいじいちゃんなんだ」
「そうだったんだ。凪くんのこと気に入ってたみたいだったから、てっきり凪くんに着いていったのかと」
「あははっ。まぁ、人懐っこかったけど、やっぱり犬の扱いに慣れてる人に比べたら全然。何回呼んでもひいじいちゃんしか見てなかったもん」
口をへの字の形にして、「俺のほうが生前会ってたのになぁ」と呟いた。
犬をはじめとする動物は、私達人間の何倍も鋭い聴覚や嗅覚を持っている。
凪くんとひいおじいちゃんの姿がハッキリ見えていたかは不明だけれど、じっと見つめていたのならば、何か感じ取っていたのかもしれない。
ひいおじいちゃんはともかく、ジョニーにも改めて感謝しないとな。
「でも、一花ちゃんには俺の姿見えてるからいっか」
空に曾祖父とジョニーの顔を思い浮かべていると、凪くんが距離を縮めてきた。
肩と肩が触れ合うくらいの距離。
だけど、今日は瞳の色に甘さが含まれているように感じて、途端に顔が熱くなる。
「怖く、なかったの?」
「ん? 何が?」
「……海に、入ったの」
「……怖かったよ。最初は、見るのも辛かった」
またからかわれると思い、視線を落としてぎこちなく話を切り出すも。辛い思い出をよみがえらせてしまったようで、少し罪悪感を抱いた。
だよね。ただでさえ、クラゲに刺されたという痛い思い出があるんだもん。
溺れることも刺されることもないって、頭では分かっていても、恐怖を感じないわけがない。
「だけど、目の前でまた同じ悲劇が起こるのかと思ったら、居ても立ってもいられなくて。……助けられないと分かっていても、体が動いてた」
沈黙の後に発せられた言葉にドキッとして目を向けると、右頬に指先がそっと触れていて。
「……けどまさか、俺の声が聞えてたなんてね」
触れているのか分からないくらいの、かすかな感覚。高台で慰めてもらった時に感じたものと同じだった。
「めちゃめちゃ怖かったけど、俺のこと見えるの⁉ ってビックリして、一瞬にして恐怖が飛んでいったよ」
「今まで誰にも気づいてもらえなかったの?」
「うん。道路に寝そべっても、飛び出しても、みんな無視。一花ちゃんに会うまで毎日轢かれてたよ」
あははと歯を見せて笑っている。
いや、笑い事じゃないから。もし運転してた人が霊感ある人だったら、急ブレーキかかって追突事故が起きてたかもしれないんだよ⁉
凪くんには悪いけど、鉢合わせた人がみんな霊感なくて本当に良かった。
「……やっぱり凪くんが色んな意味で1番悪くて危険だよ」
「そう? なら将来俺みたいな人がいたら気をつけてね」
「大丈夫です。そんな人にはまず近づきませんから」
「えー、ちょっと心配だなー」
きっぱり言い切るも、「一花ちゃんは照れ屋さんだからなぁ」と顔を覗き込んできた。
こんな時にまでファンをからかうなんて……っ。
「凪くんの意地悪っ」
「わぁ、ハッキリ言うねぇ。でも、そんな可愛らしく照れた顔で言われたら、もっと意地悪したくなるなぁ」
「いやー! 凪くんのドS! チャラ男! 変態!」
「ちょっと、あまり大声出すなって。家族に聞かれたら困るでしょ」
8月下旬。今日は彼が亡くなってから48日が経過した金曜日。
制服に身を包んだ私達は、誰もいない和室の窓際に腰を下ろして外を眺めていた。
庭に飾られた花と盆栽。三途の川の世界で見た物が、現実世界で余すところなく完璧に再現されていた。
「一花ちゃんさ、前に俺のこと、眠れる獅子が覚醒したって言ってくれたよね? けど……俺、全然そんなことないよ」
伏せられた目が1回だけ瞬きされて、黒い瞳に自分の姿が映る。
「浅はかな言動で大切な人達を悲しませて、大切な人との約束も守れなくて。あげく、一花にもずっと言えずに黙ってた。俺は無鉄砲で臆病で、意気地なしなライオンなんだよ」
「違う!」
自己卑下する彼の声を遮るように否定した。
確かに助けることができなかった。それでいて、悲しみのどん底に突き落とした。
そこだけを切り取ったら、無鉄砲で無茶苦茶な人だと思われるのは仕方のないこと。
だけど──。
「凪くんは、勇敢なライオンだよ。だって……もし臆病者で意気地なしなら、2度も私を助けたりしない」
幻想的な月明かりに誘われた初日の夜も。風に飛ばされた帽子を追った最後の日の朝も。
凪くんは脇目も振らず私の元に駆けつけてきてくれた。
──それも、親友と自分が亡くなった場所に。
「私ね、岸に倒れてて、ジョニーが第一発見者だったんだって。……もしかして、凪くんが呼んだの?」
「……半分正解」
恐る恐る尋ねたら、見事ビンゴ。といっても半分だったけど。
「帰省中のひいじいちゃんに魂を飛ばして助けを求めたのは本当だよ。でも、ジョニーくんを海まで誘導したのはひいじいちゃんなんだ」
「そうだったんだ。凪くんのこと気に入ってたみたいだったから、てっきり凪くんに着いていったのかと」
「あははっ。まぁ、人懐っこかったけど、やっぱり犬の扱いに慣れてる人に比べたら全然。何回呼んでもひいじいちゃんしか見てなかったもん」
口をへの字の形にして、「俺のほうが生前会ってたのになぁ」と呟いた。
犬をはじめとする動物は、私達人間の何倍も鋭い聴覚や嗅覚を持っている。
凪くんとひいおじいちゃんの姿がハッキリ見えていたかは不明だけれど、じっと見つめていたのならば、何か感じ取っていたのかもしれない。
ひいおじいちゃんはともかく、ジョニーにも改めて感謝しないとな。
「でも、一花ちゃんには俺の姿見えてるからいっか」
空に曾祖父とジョニーの顔を思い浮かべていると、凪くんが距離を縮めてきた。
肩と肩が触れ合うくらいの距離。
だけど、今日は瞳の色に甘さが含まれているように感じて、途端に顔が熱くなる。
「怖く、なかったの?」
「ん? 何が?」
「……海に、入ったの」
「……怖かったよ。最初は、見るのも辛かった」
またからかわれると思い、視線を落としてぎこちなく話を切り出すも。辛い思い出をよみがえらせてしまったようで、少し罪悪感を抱いた。
だよね。ただでさえ、クラゲに刺されたという痛い思い出があるんだもん。
溺れることも刺されることもないって、頭では分かっていても、恐怖を感じないわけがない。
「だけど、目の前でまた同じ悲劇が起こるのかと思ったら、居ても立ってもいられなくて。……助けられないと分かっていても、体が動いてた」
沈黙の後に発せられた言葉にドキッとして目を向けると、右頬に指先がそっと触れていて。
「……けどまさか、俺の声が聞えてたなんてね」
触れているのか分からないくらいの、かすかな感覚。高台で慰めてもらった時に感じたものと同じだった。
「めちゃめちゃ怖かったけど、俺のこと見えるの⁉ ってビックリして、一瞬にして恐怖が飛んでいったよ」
「今まで誰にも気づいてもらえなかったの?」
「うん。道路に寝そべっても、飛び出しても、みんな無視。一花ちゃんに会うまで毎日轢かれてたよ」
あははと歯を見せて笑っている。
いや、笑い事じゃないから。もし運転してた人が霊感ある人だったら、急ブレーキかかって追突事故が起きてたかもしれないんだよ⁉
凪くんには悪いけど、鉢合わせた人がみんな霊感なくて本当に良かった。
「……やっぱり凪くんが色んな意味で1番悪くて危険だよ」
「そう? なら将来俺みたいな人がいたら気をつけてね」
「大丈夫です。そんな人にはまず近づきませんから」
「えー、ちょっと心配だなー」
きっぱり言い切るも、「一花ちゃんは照れ屋さんだからなぁ」と顔を覗き込んできた。
こんな時にまでファンをからかうなんて……っ。
「凪くんの意地悪っ」
「わぁ、ハッキリ言うねぇ。でも、そんな可愛らしく照れた顔で言われたら、もっと意地悪したくなるなぁ」
「いやー! 凪くんのドS! チャラ男! 変態!」
「ちょっと、あまり大声出すなって。家族に聞かれたら困るでしょ」