家族の笑い声が耳障りに感じたり、授業中、当てられた問題を解くのが面倒に思えて、途中で放棄したり。些細なことでイライラするようになった。

 何度も爆発したくなったけれど、みんなの前で感情任せに吐き散らかすわけにはいかない。

 毎日毎日、家に着くまで必死に抑え込んだ。

 そんなひたすら我慢の日々が続くこと数日──。

「じゃあ、よろしくね」
「はいっ。お任せください!」

 金曜日の午後4時半。校内の室内プールにて。
 テスト前最後の部活は、水泳部の活動で締めくくることに。

 後輩の男の子に計測を頼み、ジャンプ台に登る。

「では行きますよ。よーい……」

 背後でピッと短く笛が鳴り、プールに飛び込んだ。全身をしならせ、力強く進んでいく。

 一昨日も計測したのだが、やはり調子は良くなく、自己記録に一歩届かずに終わった。まぁ、朝から雨で気分が滅入ってたのもあるかもだけど。

 対して今日は曇り。それに晴れ間もあったから、気分は多少いいとは思う。

 2回往復し、100メートルを泳ぎきった。

「どうだった?」
「……あの、先輩、最近どこか具合悪いんですか?」

 ゴーグルを外すと、怪訝そうな顔でストップウォッチを見ていた。

「いや? 雨で気分は下がり気味だけど、体調面は特に何も。そんなに悪かった?」
「……前回よりも、下がってます」

 見せてくれた画面には、一昨日よりも5秒以上遅れた数字が表示されていた。

 嘘……なんで? 計測ミスじゃないよな? 普段通り泳いだのに、自己ベストの10秒近くも下回ってるなんて……。

 突きつけられた現実。頭を鈍器で殴られたような感覚がした。





「何かあった?」
「えっ?」

 駐輪場を出て校門に向かう途中、理桜が顔色をうかがうように尋ねてきた。部活終わりに合流したため、一緒に帰ることになったのだ。

「最近、ふと見たらボーッとしてる時が多いからさ。珍しいなと思って」

 理桜は小学生の頃からサッカーを習っていて、今ではサッカー部のエース。よく後輩の相談にも乗っており、技術も抜群で頼れる先輩だと人気なのだそう。

「俺ら、ユニセックスネーム同盟だろ? 話してくれよ。無理ない範囲でいいからさ」

 ニカッと歯を見せて笑った理桜。その歯は空に浮かぶ雲よりも白い。

 意外と周りを見ている理桜なら、俺が空元気だとすぐ見抜くのも当然だな。

「実はさ……」

 自転車を押しながら、ここ数週間の出来事を話した。

「……なるほど。今の話聞いて、なんとなく予想ついた」
「マジ? 原因は何なの?」
「多分スランプだな。それも、進路の悩みで拍車がかかった厄介なやつ」

 横断歩道に差し掛かり、立ち止まったところで原因を探る。

「まず、スランプの原因だけど、十中八九、性格だな」

 ズバッと言い切られた言葉が胸に刺さった。
 長年の仲だからって、遠慮なさすぎだろ……。

「お前は無駄に真面目なんだよ。あと頑張りすぎ」
「そうかな。鋼太郎に比べたら全然だと思うけど」

 信号が青に変わり、歩き出すと、隣から呆れたような溜め息が漏れた。

「お前と鋼太郎の真面目は全くもって別物だ」
「違うの?」
「全然違う。あいつは人にも自分にも厳しいタイプ。でも凪は、自分に厳しく人に優しいタイプ。人として素晴らしいのかもしれないけど、そのうち精神蝕まれて心死ぬぞ」

 再び飛んできた直球が今度は頭に直撃。
 心が死ぬ⁉ 俺このままじゃ、うつ病まっしぐら⁉

「DMも。結局は迷惑メールと変わりねーんだから、いちいち律儀に返信するな。ってか、水関連の仕事に決めたんじゃねーの?」
「……最初はな」

 中学時代──水泳教室と美術部の活動を両立していて、将来どっちの道に進むか迷っていた。

 部活で毎年結果を残していたから、当時はかなり悩んだのだけれど……出した答えは、『水泳は水場じゃないとできないが、絵はどこでも描ける』。

 結果、絵は趣味で続けることにし、高校は運動部が盛んな学校を選んだ。

 ただ、毎日練習があるわけではなかったため、休日の火曜日は美術部で絵を描き、リフレッシュしていた。

 他の文化部と比べて自由度が高かったので、かけ持ちしていても楽しく活動ができていたのだけど……。

「あんなに何度も来られたら……揺らいだんだよ」

 高校に入り、友達作りの一環で始めたSNS。
 初めて投稿したのは4月。入学式の日に撮ったローファーの写真だった。

 それからは、部活で描いた絵や、休日に撮った写真を載せ始めて……気づいたら、フォロワーが5桁に到達していた。

 あまり数は意識していなかったのだけど、ある日、デザイン系の学校からメールが届いて。ここで初めて、自分はそこそこ名が知られていたんだなと実感した。時期は高2の冬だったと思う。

 最初は気軽に返信していたのだが……。

【来月説明会があるので、良かったら参加しませんか?】
【現在イラストレーターを募集しているのですが、興味ありませんか?】

 高3に上がった途端、勧誘臭漂う内容が増えてきて。

 ただでさえ学校の種類で迷っていたのに、執拗なスカウトのせいで、中学時代に消したはずの夢が復活してしまった。

 とはいえ、今は副業も可能な時代。
 全国の海を潜り、見た光景を絵にする……なんてことも、大人になったら可能なのだろう。