下がった眉尻と悲しみの色で埋め尽くされた瞳。それは、昨日よりも酷く、濃く。

 顔と耳のように赤く潤んだ目は、今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。

「でも……怖いよ……っ」
「だよな。怖いよな。でもね一花」

 細長い指先でそっと涙を拭うと、コツンとおでこをくっつけてきて。

「いなくなったら、喧嘩することも、笑い合うことも、一緒にご飯を食べることも、こうやって触れ合うこともできなくなるんだよ」

 目を瞑ったまま。1つ1つ言い聞かせるように。

 私に向けられた言葉だけど、なぜか凪くん自身に言い聞かせているようにも感じた。

「お願い一花、仲直りして。怖いのは分かる。けど、ここで逃げたら絶対後悔するから」

 額を離し、真っ直ぐな目で諭してきた。

 ズルいね凪くんは。また年上の権力を振りかざしてきたね。

 呼び捨てで命令されたら……もう「はい」以外選べなくなるじゃない。

「……また会える?」
「うん」
「本当に? 画面越しじゃないよ? 三次元でだよ?」
「会えるよ。約束する」

 差し出された小指に自身の小指を絡める。

 と──視界いっぱいに、目が閉じられた端正な顔が現れて、唇に柔らかな感触が広がった。

 それは、意識を手放す直前に感じたのと同じ、とても優しい温もりだった。

「……馬鹿で意地悪でチャラくて、ズルい男でごめんね」
「本当だよ……っ」

 自分も人のことは言えないけど、私よりも遥かに、凪くんは大馬鹿者だった。

 こんなことしたら、ますます離れるのが辛くなるっていうのに……っ。

「ほらっ、早く行って。このままじゃ俺、ひいじいちゃんとばあちゃんに雷落とされる」

 体が半回転すると、ポンと背中を押された。

「凪く……っ」

 涙にまみれた顔で振り向きながら山道を下る。

 名残惜しそうに手を振る彼の姿。

 自分も手を振り返すと、よそ見したせいか、足を滑らせた。膝がガクンと曲がり、バランスが崩れてよろめく。

 回る視界の中で最後に見たのは、大好きな人の頬に伝い落ちた一筋の涙だった。





 ──ミーンミンミンミンミンミーン……。

「ん……?」

 夏を感じさせる鳴き声で目が覚めた。

 視線の先には、鉢植えの花と盆栽……ではなく、真っ白な天井。

 あれ? 私、さっきまで凪くんの家にいて、一緒に山道を歩いたはず……。

 まさか、夢を見てたの?

「一花……?」

 ぼんやりした頭を急いで起動させていると、左隣から名前を呼ばれた。目だけを動かして声の正体を探る。

「おとう、さん……?」

 真っ赤に充血した目。顔中涙と鼻水だらけでいっぱいになった父が、点滴に繋がれた私の手を握りしめていた。

「あぁ良かった……っ、本当に良かったっ、一花ぁぁぁ……」

 返事をしたら、手を強く握られて、しゃくり上げるように泣き始めた。目を凝らすと、額がほんのり赤くなっている。

「ごめんなっ、一花の気持ち、全然考えないで……っ、毎日頑張ってるのに、労いもせず、酷いことを……っ」
「ううん、私こそ。逆ギレして、生意気な口利いてっ、ボール投げて……っ、ごめんなさい……っ」

 ボロボロと涙を流す父につられたのか、言葉を紡ぐにつれて、自分も涙が込み上げてきた。親子揃って病室でしゃくり泣く。

「一花……?」

 すると今度は、右側から名前を呼ばれた。顔を動かすと、ついさっきまでベッドに突っ伏していたであろう智が目をこすっていた。

「一花……! お前っ、やっと起きたのか!」
「うるさいっ……それより、なんでチキンステーキのこと知ってるの……っ」

 号泣する父に比べて目は赤くないし、涙は一滴も流れていない。けど、頬にうっすら涙の跡が見えて。

 もしかして泣き疲れて寝てたのかなって思ったら、また涙が溢れ出してきた。

「ごめん、廊下で盗み聞きした」
「サイテー……っ」

 毒を吐く私を笑って受け止めた智。「母さんに連絡してくる」と言い残すと、ナースコールを押して病室を出ていった。

 だだっ広くて殺風景な病室に、私と父の2人だけが残された。

「ねぇ、一体何があったの……?」

 ズズーッとティッシュで鼻をすする父に尋ねた。

 もしあれが夢だとしたら、私はどうやってここまで運ばれたのか。

 真相を探るべく、まずは海で溺れた後の話を聞く。

「なんだ、覚えてないのか? お前、浜辺で倒れてたんだぞ」
「そうなんだ……。じゃあ、誰がここに運んだの? お父さん? 智?」
「いや、救急隊員の人。だけど……一花が倒れてるのを最初に見つけたのは、ジョニーなんだよ」

 全く予想していなかった人物が登場して、目を点にする。

 ジョニーが……? じゃあ、助けてくれた凪くんは一体どこに行ったの?

「一花が出ていった後、智くんが来て、一緒に遊んでたんだ。そしたら、突然道路を見つめ始めてな」
「道路って、家の前の?」
「あぁ。何かいるのかと思って見てみたら、いきなり飛び出していって。それで2人で追ってたら……」