叫びたい気持ちを抑え、動揺する心を隠すように早口で言い残して外に出た。

 危なかった……。あと少し近づかれてたら水着ってバレるところだった。

 帽子をかぶり直して早歩きで出発する。

 今日も午後から外出すると伝えてはいるけれど、「海水浴に行く」とは伝えていない。

 理由は単純。凪くんとの密会がバレる恐れがあるから。

 もし誰かがうっかり口を滑らせて、その話が智の耳に入ってしまったら、「1人で海水浴? さみしー」って、意地の悪いあいつなら絶対嘲笑する。

 想像しただけでもムカつくが、それだけならまだマシ。問題は、「可哀想だから付き添ってやるよ」と言われた場合。

 断っても強引に参加してきそうだし、撒いても「お前がナンパされないか心配で様子を見に来た」とか言って、こっそり着いてくる可能性もなくはない。

 そんなあいつに、凪くんと一緒にいるところを見られてしまったら……光の速さでみんなに言いふらして、昨日以上に大騒ぎになると思う。なので、こそこそと準備したというわけだ。

 小走りで歩を進め、海に到着した。スマホの時計で時間を確認する。

 午後2時55分。ギリギリ間に合った。

 息を整えながら階段を下りて待ち合わせ場所まで向かうと、直立不動で海を眺めている男の人を見つけた。

 数日ぶりに見る黒い日傘。
 青々とした海と白い砂浜とのコントラストがハッキリしていて、数十メートル離れていても、彼が凪くんだと一瞬で分かった。

「凪くーん!」

 片手で帽子を押さえつつ手を振って駆け寄る。

「ギリギリでごめんねっ」
「大丈夫だよ。俺も今来たばかりだから」

 日傘を傾けて柔和な笑顔を見せた凪くん。
 上は水色のパーカーで、下は黒のパンツと足首丈のレギンス。私よりも日焼け対策バッチリだ。

「水色の服着てるの初めて見た。似合うね!」
「ありがとう。一花ちゃんも似合ってるよ。その花飾りも一緒に買ったの?」
「うんっ。水着の色とお揃いにしたの」
「そうなんだ。元気いっぱいで可愛い一花ちゃんにピッタリだね」

 飛んできたど直球な褒め言葉に、顔がボンと熱くなる。

「っあ、ありがとう……」

 少し俯き、顔を隠すように帽子を深くかぶり直す。

 もうっ、その笑顔でその台詞は反則レベルだって……。

「……昨日は、ごめんね」

 波の音に混じってボソッと呟く声が聞こえた。

「俺のせいで、怒られたよね」

 帽子をずらして顔を上げると、前髪の隙間から下がった眉尻が見えた。

「それは……お父さんに、ってこと?」
「……うん」

 耳を澄まさないと聞き取れないくらいの小さな返事。

 確かにものすごい剣幕で怒られたけど……凪くんは悪くないよね? 相談しただけで一緒に作ったわけじゃないから関係ないもん。

「……あ、もしかして、話してるの見てた?」
「……ごめん。ちょっと、心配に、なって」

 途切れ途切れな返答。やり取り、聞かれてたんだ。

 まぁ、あんな酷い話聞かされたら、誰だって気になるか。それにお父さんの声量だと、盗み聞きする以前に耳に届いてたと思うし。

「大丈夫だよ! 電話拒否したの、話せる気分じゃなかっただけで、凪くんのせいじゃないから!」

 恐らく凪くんはこう考えた。「自分が近くにいたから電話に出るのをためらった」「そのせいで父親の怒りを増幅させてしまった」のだと。

 だけど、私は最初から電話に出たくなかったし、拒否ボタンを押したのも自分の意志。長寿祝いの件と同様、全くもって悪くない。

「怒ってた理由ね、凪くんの言った通り、身内の不幸だった。先月に親戚が亡くなってたんだって」

 既に全貌は知っていそうだが、自分の口からきちんと伝える。

「そっ、か……。もう、怒鳴られて、ない?」
「うん。なんか、私が家を飛び出した時、おじいちゃんが強烈なビンタをお見舞いしたみたいでさ」

『もう飲みすぎません』と、みんなの前で土下座していた父。伯母と祖母からも厳しく注意を受けていたため、今後暴れ狂うことはないだろう。

「それと、ぐちゃぐちゃになった料理だけど、おばあちゃんが新しい器に出してくれて! 復活したんだ!」

 安心させたところで、帰宅後の話に移る。

 片づけようとする祖母を押しのけて手掴みで食べ始めたこと。初めて名前を呼んでくれたこと。

 今朝も、『タダシさん』ではなく、『一花ちゃん』と呼んで挨拶してくれたこと。

 そして──。

「あとね! 料理の写真をプレゼントしたらすごく喜んでくれたの!」

 豆腐に挿した似顔絵付きの旗。絵日記を書いている時、記録用に写真を撮っていたことを思い出して。

 旗も気に入っていた様子だったのだけど、せっかくなら綺麗な物を贈りたいと思い、それで今朝、『買い物ついでに現像してきてほしい』と伯母と祖母に頼んだのだ。

 祖母が言うには、旗と一緒に写真立てに入れて部屋に飾っているらしい。

「想像とはだいぶかけ離れた結果だったけど、凪くんのおかげで忘れられない日になったんだ。だから……」

 ──ありがとう。

 そうお礼を言いたかったが、口にする度に目の前の顔が暗くなっていくのを見て、声が詰まってしまった。

 再会した時よりも酷く下がった眉尻、悲しみの色が渦巻く瞳。

 今にも泣き出しそうな彼の顔は、強い自責の念で埋め尽くされていた。