「酔ってたとはいえ、その怒り方は尋常じゃないね……」
「だよね? 匂いがきつかったのかな……」
「いや、他の原因だと思うよ。だってジョニーくんがいるんだよ? 匂いに敏感になってたら、出す以前にジョニーくんに怒ってただろうし」

 力強く言われて、確かになと納得する。

 言われてみれば、私が準備する前から戯れていた。あの時点で結構酔いが回ってたし、匂いに敏感になってたらスキンシップでさえ拒むはずだ。

 じゃあ凪くんの言うように、他に原因が……?

「もしかしたら、アレルギーがあったとかは?」

 頭を捻っていると、凪くんが仮説を立てた。

「食物アレルギーのこと?」
「そう。一花ちゃんが作った料理の中に、体質的に食べられない物があったのかも」

 記憶をたどり、食材を1つずつ確認する。

 豆腐、納豆、ネギ、ゴマ、醤油、桃。うーん、どれも特に思い当たる節はないなぁ。

「特には……。仮にあったとしても、あそこまで怒る必要は……」
「いや怒るよ!」

 柔らかい口調から一変、眉毛を吊り上げて反論してきた。

「俺、納豆アレルギー持ってて、それで1回、病院に運ばれたことがあったんだ」
「えっ⁉ そんなに酷かったの⁉」
「うん。俺は吐いただけで済んだけど、場合によっては命に関わるんだよ」

 アレルギーの恐ろしさを知り、もう1度振り返る。

 えっと、豆腐と醤油は大豆だから……だとすると、可能性があるのは5つくらい?

 でも……それなら来た時点で伝えるはずだよね? だって私、毎日ご飯作りを手伝ってるんだもん。命に関わるのならなおさらだ。

「いや、ないと思う。あるなら事前に知らせてるはずだから」
「そっか……」

 解決の兆しが見えたかと思いきや、振り出しに戻ってしまった。じゃああとは何が残ってるんだ……?

「……もしかしたら、食材じゃなくて、お祝い自体がダメだったのかも」

 1から思考を巡らせていると、再び彼の口から新たな仮説が飛び出した。

「お祝い自体? どういうこと?」
「例えば、祝っちゃいけない時期だったとか。ここ1年間で、身内に不幸はなかった?」

 頭の中に去年のカレンダーを思い浮かべ、1ヶ月ずつめくっていく。

 ここ1年間は……なかったよね? 伯父さんから喪中葉書が届いたことはあったけど、中2の時だったから当てはまらない。お母さんの親戚も、誰かが亡くなったって話は聞いてないし。

 みんな生きてるから違うはず──。

「……あ」

 残り1ヶ月に差しかかった時、ふと思い出した。

「心当たり……ある?」
「……うん」

 勉強はどうだの宿題はどうだの、毎日同じことを言われ続けていたから、日常化してすっかり忘れていた。

 私の家は、いつも家族全員で食卓を囲んでいる。だけど先月、父だけが先に食べていた日があった。

 確かあの日のお父さん、スーツじゃなくて喪服を着ていた気が……。

「でも、私もお母さんも、お葬式に出てないよ?」
「なら、遠い親戚なのかも。田舎は風習を大事にしてるイメージがあるから、それで過敏に反応したんじゃないかな」

 全身の血の気が引き、体温が急低下していく。

 そんな……っ、もしそうだとしたら、私、なんて不謹慎なことを……っ。

「どうしよう……」
「大丈夫だよ。身内って知らなかったんだから。それに何も聞かされてなかったんだし。話せば許してくれるよ」

 優しく励ます凪くん。それでも、軽率な行動をしたことには変わりない。

 私のせいで、家がめちゃくちゃになってしまって……ごめんなさい……。

「一花ぁーっ!」

 自責の念に駆られていると、遠くで父の声がした。電話を無視したからか、捜しにきたのだろう。

「ほら、呼んでるよ。行こう」
「でも……っ」
「気持ちは分かるけど、ずっとここにいるわけにもいかないでしょ?」

 戻るように促され、重い腰を上げる。

 申し訳なさすぎて、合わせる顔がない。
 しかし、時刻はもうすぐ8時。帰らなかったらそれこそ心配をかけてしまう。

 高台に戻り、向かい合わせになる。

「じゃあ、俺そろそろ行くね」
「うん。ありがとう」

 お礼を言い、「また明日」と手を振って彼を見送った。

 本当は一緒にいてほしかった。
 けど……こんな夜に、見知らぬ男の人と2人でいるところを見られたら、ますます逆上しそうだから。

 私が怒られないように、悲しまないように、気持ちを汲み取ってくれたんだよね。

「ありがとう……」

 暗闇に消えていく彼に向かってポツリと呟いた。

「一花……っ!」

 その直後、後ろで先ほどよりも鮮明な父の声が聞こえた。

「バカっ! なんで電話出ないんだ!」
「……酔っぱらってる人と話したくなかったから」

 抑揚のない淡々とした声で返答した。
 膝に手をついてゼェハァと息切れする様子から、相当走り回ったんだと見て取れる。

 ここで「この呑んだくれ親父が」とか、「父親失格」とか言って、冷たく突き放すこともできるけど……。

「……ごめん」

 謝ろうとした矢先、先に父が口を開いた。

「いきなり怒鳴って、暴れて、皿までひっくり返して……怖い思いさせて、本当に悪かった」

 顔はまだほんのり赤いものの、呂律は正常通り。だいぶ酔いは覚めてるみたいなので、反抗するのはやめておいた。

「……なんで怒ったの?」
「先月に、親戚が亡くなって……まだ1ヶ月しか経ってないもんだから、祝い事は控えようと話し合ってたんだ」

 声を詰まらせながら言葉を紡いだ父。
 やっぱりそうだったんだ……。1ヶ月なら49日もまだだもんね。

「……そっか。私こそ、おじいちゃんに今年はもうしないって言われてたのに……ごめんなさい」

 事情を聞き、自分の非を謝罪した。

 父がしたことは、決して親としてふさわしいとは言えない言動だった。だけど、火種を生んだのは私だ。

 私が素直に言うことを聞いていれば、ここまで大事には発展はしなかった。

 被害を受けたのは私のほうだけど、それだけで父だけを責めていい理由にはならない。

「いや……そもそもお父さんがきちんと説明しなかったのが悪いし……」
「じゃあ……おあいこ?」
「一花がいいなら……」

 これ以上謝罪大会を続けるとらちが明かないので、お互い様ということで落ち着いた。

 海に別れを告げ、真っ暗になった住宅街を歩いて帰路に就く。

「ただいま」
「一花ちゃん……!」

 曇りガラスの引き戸を開けて中に入ると、待ってましたと言わんばかりにみんながバタバタと走ってやってきた。

「無事で良かった……っ!」
「心配かけて、ごめんなさい……っ」

 上では祖母に抱きしめられて、下ではジョニーが顔を腕にこすりつけていて。温もりを感じてじわっと目頭が熱くなった。

 そのまま祖母に手を引かれて居間へ向かう。

「あら、おかえり」
「た、ただいま……」

 襖を開けるやいなや、曾祖母が和やかな笑顔で迎えてくれた。

 ん……?

 テーブルに置かれたお皿が視界に入り、目を凝らす。

 これは、豆腐と桃……?

「片づけようとしたら、『まだ食べてないから』って、素手で掴んで食べ始めてね。新しい器と交換して出したの」

 入口で立ち尽くす私に説明する祖母。近づくと、曾祖母の手元に一部分が茶色く染まった小さな旗が置かれている。

「一花ちゃん、ありがとねぇ。すごく美味しいよ」
「お口に合って、良かった……っ」

 名前を呼ばれた途端、再び涙腺が崩壊。
 もう、なんで今日はみんなして、私を何度も泣かせるんだ……っ。

 嬉し涙、悲し涙、恐怖の涙。
 1年間分の涙を流したんじゃないかってくらい、忘れられない満月の夜を過ごしたのだった。