実際父にも、『安定した仕事に就いてほしい』と言われたことがあったため、なかなか表に出せずにいた。

 だけど凪くんは──。

「素敵な夢だね。ちょっと感動しちゃったよ」
「そ、そう? 計画立てるの下手くそなのに、無謀って思わない?」
「全然。そういうのはこれから練習していけばいいんだし。下手って言ってるけど、途中まででも予定通りに進んだなら、そこは自信持っていいと思うよ?」

 その瞬間、空を覆っていた雲が切れて、間から光が漏れ始めた。

「……ありがとう」
「うん。っていうか、なんか晴れてきたね。あれさ、絵日記のネタにピッタリじゃない?」

 撮りなよと促され、海面に向かってスマホのカメラを構える。

 くすんだ海面に射し込む一筋の光。なんだか凪くんみたい。

「これで1個埋まったね!」
「う、うんっ!」

 最初から無理だと決めつけず、可能性を信じる。
 できなかったことよりも、できたことに目を向ける。

 将来を悲観しないで前向きに考えるその姿に心を打たれた。





「本当に、今日はありがとうございました」
「いえいえ。力になれたのなら光栄です」

 弱い日射しが降り注ぐ午後5時半。誰もいない高台で深々と頭を下げた。

 愚痴を聞いてもらって、励ましてもらって。さらには手までスケッチさせてもらって……何から何までお世話になってしまった。

「明日の分は考えてるの?」
「いや、まだ」

 夏休みは残り3週間弱。ネタがありふれた地元に帰るのは4日後なので、その場しのぎでは終われない。

 あと他にあるのは……食べ物系? 毎日3食のご飯とか? でも、それこそネタ切れだって思われちゃいそう。

 かといって、セミの抜け殻には頼りたくないし……。

「この辺でいったら海しかないもんね。町に行ってみたら何かあるかもだけど」
「町って、新幹線の駅があるところの?」
「ううん、そっちじゃなくて、毎日買い出しに行くほうの。あそこ、中心部にショッピングモールがあるんだよ」

 初めて聞く情報に目を丸く見開いた。

 スーパーとコンビニくらいしか見たことなかったから全然知らなかった。近所のスーパーまでは車で十数分だったから……中心部だと20分くらい?

 時間は少しかかるけど、新幹線がある大きな町までに比べたらだいぶマシだ。

「都会ほどの大きさはないから、ちょっと物足りなく感じるかもしれないけど」
「いやそんな! あるだけでも充分だよ! でも、送ってもらえるかなぁ」
「大丈夫だよ。宿題のためなんだから話せば分かってくれるって。もし明日行くなら、案内しようか?」

 最後に放たれた言葉が脳内で何度も再生される。

「えっ……いい、の?」
「うん。一花ちゃんの予定さえ空いていれば」

 嘘っ、一緒にお出かけできるの⁉ やったぁ!

「ただ、1つ条件というか……」
「条件? 何?」
「俺と話す時、あまり大声で話さないでほしい」

 喜んだのも束の間。頭上に大きなハテナマークが浮かんだ。

「……私、そんなに声大きかった?」
「いや、そうじゃなくて。実は、昔あそこで……」

 言いにくそうに話を切り出した凪くん。

 どうやら以前、ファンの人に声をかけられたことがあったらしく。話し声が大きいと目立ってしまうため、なるべくボリュームを抑えてほしいのだと。

 振り返ってみれば、今まで凪くんと会ったのも、全部誰もいない場所だったっけ。

「無理言ってごめんね」
「ううん。大丈夫。気をつけるね」

 年月は経っているとはいえ、警戒するのも当然。だって凪くんは、SNSで一切顔出しをしていない。つまり、投稿写真から情報を特定したということ。恐怖を覚えるに決まってる。

 今みたいなお喋りができないのは残念だけど、会えるだけでもありがたいんだから。感謝しなきゃ。

「あっ、じゃあ連絡先交換していい? 何かあった時のためにさ」
「あー……」

 スマホを取り出すと、気まずそうに視線を逸らされた。

 引きつった口角、泳ぐ目、開いたまま動かない口。その先の言葉を待たなくても分かる、交換したくないんだと。

 ファン絡みでトラウマがあるから乗り気じゃないのは分かる。けど、そんなあからさまな反応されたら悲しいよ。そもそも提案したの凪くんなのに……。

「信用……できない?」
「違うよ! 信じてる! その、友達にパスワード変えられちゃって、今スマホが使えないんだよ。だから交換しても、連絡が取りづらいんじゃないかなって……」

 謝ったと思いきや、言い訳が始まった。

 えええ? 本当に? 警戒してるわりにセキュリティガバガバだなぁ。なんか嘘っぱちく聞こえるんですけど。

 でも……もし本当なら、SNSの更新とDMの返事ができなかった理由って、それだったり……?

「……分かった。今日は沢山お世話になったから、凪くんの気持ちを優先します」
「ありがとう」

 渋々了承し、時間と場所を念入りに確認。不安が和らいだのか、引きつっていた口元が緩んで、両目も三日月のように緩やかな弧を描いている。

 もう、ズルいよ凪くん。聞きたいことが山程あったのに、その笑顔で全部吹っ飛んじゃったよ。

 口を尖らせながらも、推しとデートできるという現実に心を弾ませたのだった。