手を出せとジェスチャーされたので、右手を差し出す。
「はいどうぞ」
「ありが……ぎゃあああ!」
置かれた物を見た瞬間、即行で手を振り払った。
「あ、ごめん、間違えちゃった。こっちを渡そうと思ってたんだった」
「いらないよ!」
ジョニーの毛を渡そうとする手をパシッと引っ叩く。
私の馬鹿っ。口調の時点で怪しいと気づけよ……っ。
「おー、懐かしい。俺も昔は見つけては集めてたなぁ。どこにあったの?」
「駐車場です。今朝散歩する前にちょうど脱皮してる現場に遭遇したんですよ。帰ってきたら脱ぎ終わってたので取っちゃいました」
「へぇ〜! じゃあ近くに地上デビューしたやつがいるかもな!」
セミの抜け殻を拾って眺める父に詳しく説明する智。
本体の次は脱ぎたての殻を渡してくるなんて……! とぼけてたけど、本当は覚えてるんじゃないの⁉
「あんたね……それ立派ないじめなんだからね!」
「わりぃわりぃ。でもネタできただろ? 良かったな!」
「全然良くないから!」
【絵日記のネタに詰まって助けを求めたら、セミの抜け殻をいきなり渡されて絶叫しました】って?
無理無理無理! そんな日記書きたくないし、読みたくもない! そもそも嫌いなやつの抜け殻なんて描きたくないよ!
ケラケラ笑う智を睨みつけて居間を後にし、祖父母の部屋に戻って宿題を再開した。
◇
「……どうしよう」
絵日記を片手に鈍い青の海を眺めながら、ポツリと焦りの声を漏らした。
ネタを求めて、少し早めに宿題を切り上げて来たけれど……昨日と同じ。描けるものが何もない。
生ぬるい風が吹き、もう片方の手で麦わら帽子を押さえる。
今日は風が強いからかな、雲の流れが早い。いつもの青々とした海も、太陽が出てない今日は明度が低く、くすんでいる。
昨日とは違う光景ではあるけど、これを描くのはちょっとなぁ。既に朝昼夕夜、4つも描いてるし。さすがに5つ目はお腹いっぱいになるよね……。
ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。
約束の時間まであと15分。まだジョニーの毛しか描けてない。せっかく今日も会えるっていうのに、がっかりさせたくないよ。
日記帳を脇に挟み、カメラアプリを起動した。乗り気ではないが、一応撮っておく。
うわぁ……どんよりしてる。
灰色を混ぜたような青。日射しがないため輝きがなく、より一層暗く見える。
昨日までの美しい姿は幻想だったのではないか。そう感じてしまうくらい、空も海も地味すぎる。
「はぁ……」
スマホをポケットにしまって溜め息をついた。
一体どこで間違えてしまったのだろう。
気分転換にどこか連れて行けと口走ってしまった時? 宿題が増えて計画を立て直した時?
原因探しが始まり、頭の中でハテナマークが間髪を入れず、次から次へと発生する。
やっぱり、途中で行き詰まるかもしれないと思いながらも強行突破すると決めたから? お父さんの言った通り、面倒でも練り直せば良かった?
約束の時間が迫っているというのに、脳内で飛び交う声が収まらない。
あぁもうっ、そもそも、かわちゃんが余計な宿題さえ出さなければ……っ。
「バカヤローーっ‼」
淀んだ現状から湧き上がってきた怒りと焦り。行き場のない感情を海に向かって叫んだ。
かわちゃんも、学校も、お父さんも。プライドを捨てきれず拗らせた自分も。みんな、みんな……っ。
「ヤッホーの次はバカヤローですか」
息を吸って再度吐き出そうとしたその時、後ろから憧れの人の声が聞こえた。
「凪くぅぅぅん……っ!」
「えっ、ど、どうしたの⁉」
助けてと言わんばかりに名前を呼ぶと、慌てて駆け寄ってきてくれた。
「ごめんねっ、せっかく来てくれたのに……全然描けてない……っ」
「そんな、謝らなくていいのに。とりあえずこっち来て」
手招きされ、少し俯きながら彼の後を追う。
会って早々泣きつくなんて、迷惑の他ならない。だけど、顔を見た途端涙腺が緩んでしまった。
人のいない場所に移動し、経緯を説明した。
「それは大変だね……。俺の学校も宿題は出るけど、全教科はないよ」
「でしょ⁉ それに加えて絵日記もあるんだよ⁉ 進学校だから仕方ないとはいえ、多いよね⁉」
溜まりに溜まっていた愚痴をこぼす。
「絵を描くのは好きだけど、40日分はきついって。なんでこんな宿題を出したんだぁ……」
「そうだね。学校みたいに毎日どこかに行くわけじゃないもんな」
凪くんは頷きながら、「すごく分かるよ」と共感してくれた。
不思議だな。話を聞いてもらっただけなのに、少し心が軽くなったような気がする。やっぱり持つべきものは同志だ。
「凪くんもネタに困ったことあるの?」
「うん。俺も昔、謎のこだわり持っててさ。『色んな絵が描けてこそ一人前だ!』って思ってたから、同じ絵は絶対描かなかった。だから毎年親を悩ませてたよ」
昔話を交えて答えてくれた。浮かべている苦い笑みから、相当困らせたんだなと読み取れる。
穏やかな凪くんも、今の私みたいに頑固だったのか。ちょっと意外。ということは、どこかで心境の変化があったはずだよね。SNSの投稿、自然豊かな絵ばかりだもん。
「はいどうぞ」
「ありが……ぎゃあああ!」
置かれた物を見た瞬間、即行で手を振り払った。
「あ、ごめん、間違えちゃった。こっちを渡そうと思ってたんだった」
「いらないよ!」
ジョニーの毛を渡そうとする手をパシッと引っ叩く。
私の馬鹿っ。口調の時点で怪しいと気づけよ……っ。
「おー、懐かしい。俺も昔は見つけては集めてたなぁ。どこにあったの?」
「駐車場です。今朝散歩する前にちょうど脱皮してる現場に遭遇したんですよ。帰ってきたら脱ぎ終わってたので取っちゃいました」
「へぇ〜! じゃあ近くに地上デビューしたやつがいるかもな!」
セミの抜け殻を拾って眺める父に詳しく説明する智。
本体の次は脱ぎたての殻を渡してくるなんて……! とぼけてたけど、本当は覚えてるんじゃないの⁉
「あんたね……それ立派ないじめなんだからね!」
「わりぃわりぃ。でもネタできただろ? 良かったな!」
「全然良くないから!」
【絵日記のネタに詰まって助けを求めたら、セミの抜け殻をいきなり渡されて絶叫しました】って?
無理無理無理! そんな日記書きたくないし、読みたくもない! そもそも嫌いなやつの抜け殻なんて描きたくないよ!
ケラケラ笑う智を睨みつけて居間を後にし、祖父母の部屋に戻って宿題を再開した。
◇
「……どうしよう」
絵日記を片手に鈍い青の海を眺めながら、ポツリと焦りの声を漏らした。
ネタを求めて、少し早めに宿題を切り上げて来たけれど……昨日と同じ。描けるものが何もない。
生ぬるい風が吹き、もう片方の手で麦わら帽子を押さえる。
今日は風が強いからかな、雲の流れが早い。いつもの青々とした海も、太陽が出てない今日は明度が低く、くすんでいる。
昨日とは違う光景ではあるけど、これを描くのはちょっとなぁ。既に朝昼夕夜、4つも描いてるし。さすがに5つ目はお腹いっぱいになるよね……。
ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。
約束の時間まであと15分。まだジョニーの毛しか描けてない。せっかく今日も会えるっていうのに、がっかりさせたくないよ。
日記帳を脇に挟み、カメラアプリを起動した。乗り気ではないが、一応撮っておく。
うわぁ……どんよりしてる。
灰色を混ぜたような青。日射しがないため輝きがなく、より一層暗く見える。
昨日までの美しい姿は幻想だったのではないか。そう感じてしまうくらい、空も海も地味すぎる。
「はぁ……」
スマホをポケットにしまって溜め息をついた。
一体どこで間違えてしまったのだろう。
気分転換にどこか連れて行けと口走ってしまった時? 宿題が増えて計画を立て直した時?
原因探しが始まり、頭の中でハテナマークが間髪を入れず、次から次へと発生する。
やっぱり、途中で行き詰まるかもしれないと思いながらも強行突破すると決めたから? お父さんの言った通り、面倒でも練り直せば良かった?
約束の時間が迫っているというのに、脳内で飛び交う声が収まらない。
あぁもうっ、そもそも、かわちゃんが余計な宿題さえ出さなければ……っ。
「バカヤローーっ‼」
淀んだ現状から湧き上がってきた怒りと焦り。行き場のない感情を海に向かって叫んだ。
かわちゃんも、学校も、お父さんも。プライドを捨てきれず拗らせた自分も。みんな、みんな……っ。
「ヤッホーの次はバカヤローですか」
息を吸って再度吐き出そうとしたその時、後ろから憧れの人の声が聞こえた。
「凪くぅぅぅん……っ!」
「えっ、ど、どうしたの⁉」
助けてと言わんばかりに名前を呼ぶと、慌てて駆け寄ってきてくれた。
「ごめんねっ、せっかく来てくれたのに……全然描けてない……っ」
「そんな、謝らなくていいのに。とりあえずこっち来て」
手招きされ、少し俯きながら彼の後を追う。
会って早々泣きつくなんて、迷惑の他ならない。だけど、顔を見た途端涙腺が緩んでしまった。
人のいない場所に移動し、経緯を説明した。
「それは大変だね……。俺の学校も宿題は出るけど、全教科はないよ」
「でしょ⁉ それに加えて絵日記もあるんだよ⁉ 進学校だから仕方ないとはいえ、多いよね⁉」
溜まりに溜まっていた愚痴をこぼす。
「絵を描くのは好きだけど、40日分はきついって。なんでこんな宿題を出したんだぁ……」
「そうだね。学校みたいに毎日どこかに行くわけじゃないもんな」
凪くんは頷きながら、「すごく分かるよ」と共感してくれた。
不思議だな。話を聞いてもらっただけなのに、少し心が軽くなったような気がする。やっぱり持つべきものは同志だ。
「凪くんもネタに困ったことあるの?」
「うん。俺も昔、謎のこだわり持っててさ。『色んな絵が描けてこそ一人前だ!』って思ってたから、同じ絵は絶対描かなかった。だから毎年親を悩ませてたよ」
昔話を交えて答えてくれた。浮かべている苦い笑みから、相当困らせたんだなと読み取れる。
穏やかな凪くんも、今の私みたいに頑固だったのか。ちょっと意外。ということは、どこかで心境の変化があったはずだよね。SNSの投稿、自然豊かな絵ばかりだもん。