「みんな席着いてー。ホームルーム始めるぞー」

 学期末の大掃除終了後。教卓で担任の先生が呼びかけた。その声に応えるように、クラスメイト達が次々と着席していく。

「皆さん、1学期お疲れ様でした。入学から数ヶ月経ちましたが、高校生活には慣れましたか?」
「いいえ! 全然! かわちゃん厳しいもん!」
「慣れるどころか疲れてます!」

 教室のあちこちから上がる否定の声。自分もうんうんと頷き、彼らに同意した。

 かわちゃんこと河原先生は、眼鏡と真っ白なシャツが定番スタイルの数学教師。

 この学校の卒業生でもあり、私達生徒と比較的年齢が近いため、親しみを込めてあだ名で呼ばれている。

「綺麗な顔と性格の良さに免じて許すけど、ちょっとテスト多すぎです!」
「特にこないだやった予告なしの小テスト! マジ怖かった!」
「俺ら後輩なんだから、もう少し優しくしてくださいよぉ」

 容赦なく率直な意見をぶつけられて、苦笑いしているかわちゃん。

 艶々の黒髪と知的な雰囲気に端正な顔立ち。

 入学当初は『イケメン教師!』『目の保養!』なんて盛り上がっていたけれど、それは最初の1ヶ月だけ。毎日の宿題と小テストに疲弊して、みんな徐々におとなしくなっていった。

 そんな中、先週予告なしでテストした時は大ブーイングだったな。

「明日からの夏休み、くれぐれも、羽目を外しすぎないように。節度を守って楽しんでください」

 ぼんやりと回想していると、あっという間に終わりの時間に。委員長の号令に合わせて席を立ち、「さようなら」と挨拶をした。

 えーと、まずご飯食べて、休憩したら宿題の計画立て直して……。

「……かわっ、松川っ!」

 名前を呼ばれて我に返った瞬間、額にゴンと鈍い音が響き、痛みが走った。

「いったぁ……」
「大丈夫⁉ 怪我はないか⁉」
「はい……」

 目の前にあったのはドア、左には壁、右を見れば、気まずそうに教室を出るクラスメイト。どうやらドアに激突しちゃったみたい。

「良かった。呼んでも反応ないから心配したぞ」
「すみません。ちょっと考え事してて……」

 苦笑いしながら額を擦る。

「そうか……? 最近少しボーッとしてるように見えるけど……夏バテ?」

 ドアに突っ込んだからか、本気で心配している様子。

 いいえ、違います。食欲はあるので夏バテではありません。

 確かに、連日の真夏日に疲れているのも本当ですけど……。

「……かわちゃんのせいですよ」
「えっ?」
「かわちゃんが変な宿題出すからですっ!」

 まだクラスメイトが残っているのにも関わらず、大声を上げた。

「変……? もしかして絵日記のこと?」
「そうですよ! せっかく計画立てたのに、またやり直しだなんて……」

 高校生初めての夏休み。宿題は、国語の読書感想文をはじめ、全教科分。

 以前父に説明したように、既にいくつかの教科はもらっていて、一足早く今週から自由研究に取り組んでいる。

 土日で熟考して、やっとの思いで立てたのに。3日前の終礼の時間、突然無地のノートを配り、『絵日記を書いてきて』と言い出したのだ。

「ただでさえ宿題多いのに、いきなり増やさないでくださいよ!」
「……ごめんな」

 弱々しい声で謝られた途端、一気に罪悪感が襲ってきた。

 八つ当たりしたって、文句を言ったって、現状が変わるわけじゃない。困らせるだけなのは分かってる。学年主任の先生から突然言われたとか、事情があったのかもしれない。

 だけど、今の私はそれを受け入れる余裕がないくらい疲弊していたのだ。

「松川の気持ちは分かるよ。俺も当時は、決まったんなら早く教えろよって思ってた」
「……すみません」
「いいって。もし行き詰まったり悩み事があったら、遠慮せず相談していいからな」
「……ありがとうございます」

 ポソッとお礼を呟くと、「じゃあ早速相談していいですかー?」とクラスメイトの男子が手を挙げた。

 やることは鬼畜だけど、こういうところは優しいかわちゃん。彼のクラスを経験した先輩によると、気遣いに助けられたという人が多く、陰で評判がいいらしい。

 寄り添ってくれるのはとても嬉しいし、ありがたい。

 けど……身近な人だからこそ、本音ってなかなか言い出せないんだよね。





 夏休みが始まって1週間。冷房が効いた自室で両腕を枕にして机に突っ伏した。

 時刻は夕方の5時。ちょうど今、数学の宿題が3分の1終わった。

 絵日記のせいで、また1から立て直すはめになってしまったけれど、順調に進んでいる。

 ……今のところは、ね。