「それより、二花さんの本名、一花なんですね」
「あっ、はい。生まれた時間がゾロ目なので、全部同じ数字にしちゃおうと思って」

 衝動的に口走ってしまったことを反省していると、気を利かせて話を逸らしてくれた。

「フウトさんの本名はなんですか?」
「ナギ。漢字だと風に止まる。フウトはその字が由来」

 空に書いて説明する彼の指先を眺める。
 
 凪は穏やかな海って意味だっけ。まさに名は体を表す。物腰が柔らかいフウトさんそのものだ。

「素敵な名前ですね。どっちで呼んだらいいですか?」
「そんなの……本名に決まってるでしょ。ウシミツニャンコちゃんと一花ちゃん、どっちで呼ばれたい?」

 華麗な返しに思わず吹き出しそうになった。

 そう言われると本名一択ですけど、そこはユーザー名じゃなくて二花じゃない⁉

「……一花でお願いします」
「了解。年も近いし、さん付けなしで呼ばない? 敬語も外してさ。って、もう外してるけど」
「はい。じゃあ凪くんって呼びますね。あっ、呼ぶね」
「うん。よろしくね、一花ちゃん」

 あぁ、さっきと同じ笑顔なのに、胸が高鳴ってる。声がこだまして耳から離れないよ……。

「……更新、止まっててごめんね」

 すると、私を見ていた目が一瞬伏せられて、少し悲しい表情に変わった。

「DMも全然返さなくて、約束の絵もずっと待たせて、本当にごめん」

 つむじを見せるように頭を下げてきた。

 約束の絵というのは、私がSNSのアイコンに設定している写真のこと。

『中学卒業と受験合格のお祝いに何かプレゼントするよ』と言われて、『アイコンの絵を描いてほしい』とリクエストしたんだ。

 ちなみに写真は、梅の花とのツーショット。私立高校の入試が終わった後に観に行った時のものだ。

「ううん。3年生なら忙しいだろうし、ゆっくりで大丈夫だよ」

 同じ受験生でも、中学生と高校生とじゃ重みが違う。ある人は勉学に励み、ある人は社会に出るための準備をする。中には親元を離れることを選ぶ人も。

 委員会の活動中に、先輩が『模試やだな……』って呟いてたから、すごく大変なんだと思う。

 進捗は気になるけど、ここで急かして負担をかけたくない。

「年末でも、来年の春でも、生きてる間は何年でも待つから!」
「……ごめんね」

 心底申し訳ないと思っているのか、眉尻は下がったまま。

 全然怒ってないんだけどな。まぁでも、それだけ彼が優しくて真面目な証拠。海にいたのも、私と同じで束の間の休息中だったのかもしれない。

 ブーッ、ブーッ。

 すると、左手に持ったスマホが振動し始めた。彼に断りを入れ、応答ボタンを押す。

「もしもし?」
【もしもし、今どこ?】
「海だよ」
【は⁉ まだいんの⁉】

 素直に答えたら、「マジかよ……」と衝撃を受けたような声が聞こえた。

 そんなに驚く? と思いつつも時計を見たら、1時間以上が経過していた。

 昨日と同じ炎天下の中なのに、こういう時はあっという間だから不思議だよね。

【じいちゃんとばあちゃんが老人会に行くから、早く帰ってきてほしいって】
「はーい」

 短く返事し、電話を切った。

「ごめん、従兄から留守番頼まれた」
「そっか。なら、そろそろ解散しようか」
「……うん」

 外出するのは祖父母だけなので、家に誰もいないわけではない。だが、曾祖母のお世話に慣れていないため、人手が必要。それに加え、ジョニーだっている。

 もう少し一緒にいたかったけど、2人に任せっぱなしはできない。

「……明日も会う?」
「えっ?」

 リュックサックを背負って帰る準備をしていると、彼が唐突に口を開いた。

「いいんですか⁉ 忙しいんじゃ……」
「大丈夫。夏休み中はずっとこっちにいるし。近所だから毎日会えるよ」

 名残惜しさから一転、嬉しさが込み上げる。

「じゃあ、夕方4時頃はどうですか?」
「4時ね、分かった。どんな絵描いたか見たいから、絵日記も持ってきてくれない?」
「はい! もちろんです!」

 興奮のあまり、タメ語を忘れて敬語を連発。

 直接会えただけでも奇跡なのに、毎日会えるなんて。これ、妄想でも白昼夢でもなく、紛れもない現実なんですよね⁉ 奇跡が連鎖しまくってるよ……!

 約束を交わした後、スキップしながら帰ったのだった。