私達が今回の出張で妖都に滞在する期間は三日間。
そのうち王家に呼び出された白夜様が、その会議へと出席するのは二日目の夜八時からだと言う。
鬼頭家から妖都まではそれなりに距離がある。
本来であれば会議に参加だけして日帰りで戻るところを、白夜様はわざわざ宿をとってくれたため、こうして前乗りでやってきたのだ。
「着いたぞ、ここが今回の宿泊施設だ」
白夜様に言われやって来た場所を見て思わずたじろぐ。
「す、凄!おっきい!!」
表口の岩に書かれた『心恋荘(うらごいそう)』という文字。
どっしりと構えた宿の脇には大きな川があり、その上をカップルや観光客を乗せた木船が流れていた。
「白夜様、あれを見てください!船ですよ」
私は興奮気味に橋の上から木船を指さした。
「川下りだな。宿が泊まった客に無償で船を貸し出してんだ」
「ということは私も乗れるんですか?」
「ああ。なんなら暇を見て乗ってきてもいいぞ」
「ほんとですか!!」
なら後で船着き場に行ってみよう。
船に乗る機会なんて早々ないし、せっかくだから楽しんでおこう。
「ようこそおいで下さいました」
中に入れば中居さん達が出迎える。
白夜様の姿にうやうやしく頭を下げれば熱い視線が向けられる。
「(おお…中居さん達の顔つきが一気に変わった)」
営業スマイルの顔に見え隠れしていた本来の顔が浮き彫りだ。白夜様に釘付けとなった彼女達は、今か今かと自分にお声がかかるのを待っているようだ。
「行くぞ」
だが肝心の白夜様はそれに気付くことなくその場をスルーする。
遠くでは中居さん達が悔しそうにしていたが、せめて脱いだ靴を仕舞う役目はと、彼がフロントに向かったのを見届けるや否や小競り合いを繰り広げられていた。
そんなに白夜様の靴が欲しいなら、一足宿にでも展示しておけばよいのでは?
後ろからは未だに熱い視線が絶えない。
やっぱ遠目越しからでも一度はこの顔を見たいのだろう。だが一部の視線は同行する私にも向けられていたようだ。
「ねえ、あの若様の後ろにいる方は誰?」
「あんな子、今まで見たことありませんわね…」
ひそひそと囁く声が聞こえてくれば居心地が悪くなった。
完全に次のターゲットが自分へと移り始めている。
うう…宿泊中、何も起こりませんように!!
せめて中居さん達が心の広い方たちであれ。
でも私だってあの顔には未だ慣れないんだぞ⁈
あんな美しい顔で見つめられたら誰だって…
「ん?時雨?」
過去の記憶が頭をよぎれば急に恥ずかしくなった。
「な、なんでもございません!」
こちらを不思議そうに覗き込んだ白夜様に慌てて誤魔化すようにしてフルフルと首を振った。
危ない危ない、また思い出してキャパオーバーするとこだった。
「これはこれは!ようこそおいで下さいました、鬼頭の若様」
すると中居さん達の中からはひと際大きな体をした男性が出てきた。
「よお大旦那、久しぶりだな。どうだ?最近は」
どうやら二人は顔なじみのようだ。
気軽に話し始める様子を後ろで見守っていれば、白夜様はちょいちょいと私を手招きした。
「大旦那、紹介する。婚約者の久野時雨だ」
その言葉にその場にいた中居さん達が一斉に私を見た。
まあ…こうなるよね、、、
「おお!噂には聞いておりましたが、この目でお会いすることができるとは」
「は、初めまして!」
慌てて挨拶すれば大旦那は嬉しそうに笑った。
「時雨様、本日はわが宿へのご来店、誠に感謝致します。当店は私、大旦那が取り仕切っております。今後ともどうぞ心恋荘を宜しくお願い致します」
「い、いえ、こちらこそ!」
大旦那は頭に一本の角を生やした鬼の妖だった。
体格が大きいため、始めこそ身震いしてしまいそうだが人柄のよさそうな感じが話してて見て取れた。
「いやはや、これで漸く若様も身を固められるのですな。いや~良かった良かった」
「まあ、お前達の言う漸くにさんざん振り回されてきたのはこっちだけどな」
「ははは、まあ貴方様もだいぶ苦労なされてましたからなあ~」
大旦那は笑いながらも時雨達を部屋へと案内する。
その間にも周りからは多くの妖達からの視線が突き刺さった。仲居ではなく、宿で一番偉い立場の大旦那が自らおもてなしをしている。
そこまでさせる相手とは一体どこの誰なのか。
気になり目を向ければそこにいる存在には逆に目が離せなくなる。
強い妖力をただ漏れにして颯爽と歩く姿。
生きていれば一度はお目にかかりたいと誰しもが望む憧れのまと。
そんな白夜を前に歓喜で胸が踊る一方、恐れが勝つのだろう。おぞましい妖力の気配にブルブルと体は震えれば、慌てた様子で頭を下げて白夜がその場を通りすぎるまで微動だにできない様子。
「(妖達があんなにも震えているなんて。やっぱ白夜様って凄いんだな…)」
時雨は妖力の気配を感じ取れないため分からないが、妖達の様子を見るに相当答えてるようだ。
よく見れば失神しそうな妖もいる。
宿に滞在していることが何かの拍子に外部にバレやしないか。ぶっちゃけ時雨からすればそっちの方が心配だった。
ただ歩くだけでも白夜はニュースの主役を飾る材料にされてしまう。
「(うっかり皆が口を滑らせませんように)」
そんなこんなで通された部屋に唖然とした。
きっと宿でも最上級にあたり、一般の客ならまず踏み入れられないだろう。
そんな超がつくほどの造りに口が塞がらない。
「白夜様…ホントにこの部屋で合ってますか?」
大旦那が退室後、時雨はおずおずと口を開いた。
「あ?別に間違ってねぇけど?」
素知らぬ顔でそう言われても、こんな部屋に泊まるのは初めてだ。でも白夜様からすれば、これは当たり前のことなのか?
「部屋は二つにしといたから。俺の部屋は隣だ」
「…はい」
そして二つも部屋が??
一体、いくらするんだろう…こんなに広い部屋を一人でなんて贅沢すぎる。
「…悪ィ、、」
「白夜様?」
突如、白夜様は申し訳そうに謝ってきた。
一体、どうしたのか。
私は不思議になって首をかしげる。
「あのさ、もしかして一緒の部屋が良かった感じ?」
「え、」
ナニヲイッテルンダ、コノヒト。
「そうか…そうだよな!やっぱな!!お前も俺と一緒の相部屋の方がいいよな!!」
「え、いや、ちが「ああ~やっべ。俺、すんげー嬉し。うっし!!なら今から一緒の部屋にすっか!漸くお前が俺と本気でイチャイチャしてくれ…」ちょちょちょ!!ななな、何をおっしゃって!」
私は顔を真っ赤にさせれば必死になって言葉を遮った。一体、この人は何を勘違いしているのだ。
「び、白夜様、何か勘違いしてませんか??」
「はは、照れんなって~」
「いや照れてなんか、、ってなんですかその顔!!」
必死に説得しようと白夜様を見れば、彼は頬を赤らめウットリと微笑んでいる。
あ、これマズイやつだ…
私の中では危険スイッチが自動で点滅した。
「ほ~ら時雨、いい子だからこっちこ~い」
奴はニヤニヤしながらこちらへと近づいてくる。
「ぎゃー!!」
発狂した。
たまらず叫べば急いで距離をとるべく部屋の中を大きく横切った。