分かっていた。
これがいけないことだって。
今、俺の目の前に移るのは、二人が向かい合い抱きしめ合う姿。その白い大きな手が、彼女の体に絡みつけば俺の中には憎悪が渦巻いた。
咄嗟に引き離そうと足を動かそうにも、あんな嬉しそうにそれを受け入れる彼女を見てしまえば、情けなくも足は動かない。
「時雨殿…」
ポツリと零れた言葉は貴方に届かない。
悔しくも、動かない硬直しきった体で一人、黙って見つめることしかできなかった。
ふと、視線を感じれば、ジッと俺を見つめる鬼の顔。
お得意の意地悪い顔つきでニィっと俺に微笑んでくれば、彼女がこちらに背を向けているのをいいことに、まるで見せつけるかのごとく強く彼女を抱きすくめた。
「(チッ、クソガキ)」
俺は心の中で舌打ちをすれば、苛立ちを隠すことなくギロリと鬼を睨み付けた。
だが鬼は更にそこへ追い打ちをかけるかのごとく、今度は彼女の髪を一束掬えばそっと口づけをしたのだ。
憎らしいほどに、その恐ろしく整った美しいご尊顔でうっとりと彼女に笑いかければ、彼女はポーっと顔を赤らめそっぽを向いていた。
やめろ、彼女に触れるな。
そのお方は、お前のような穢れた邪物(あやかし)如き存在が触れていいような方ではない。
か弱くも、だがどこか儚くも繊細で。
穢れを纏うこともない。
抱かれて大切に守られるべき、稀有のしなやかさ。
本来なら、一生を洗礼された領域でしか暮らすことさえ許されない。
そんな美しきあるべき彼女の姿が、あの人の姿と重なった。この世に下り立ち、初めて貴方にお会いした時から俺の心は決まっていたのだ。
もう二度と、貴方を傷つけたくない。
お側に控えたら最後、ずっと御守りせねばならない。
約束したんだ。
必ず、あの時の分まで。
貴方を幸せにしてみせると。
ならば絶対に、あの方の元まで無事に送り届けなければ。こんな場所にいつまでも留めておくことなど無用。
全てはあの方の為にも、失敗はできない。
今度こそ、あの方の望みを叶えてみせる。
俺がここに来たのはそのためでもあるのだから。
「青龍さん」
「!」
突如、声がかかり俺はハッと顔を上げれば、彼女がこちらを見つめていた。
「時雨殿…」
貴方の名前を呼びかければ、彼女は嬉しそうな顔で俺の元まで駆け寄ってくる。
「いきなり居なくなっちゃってごめんなさい。心配をかけたわ」
彼女はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
だが怪我は無さそうで、ホッと一安心する。
「…いえ、ご無事でなによりです。俺の方こそ、貴方を御守りすると誓っておきながらこの失態」
「え、青龍さん?」
「時雨殿。今回の不始末、誠に申し訳ございません」
俺は立膝を付くと、彼女に頭を下げて懺悔した。
「あ、頭をあげて⁈そんなことしなくてもいいから!!」
時雨は慌てた様子で首を横に振ると、驚いた顔で青龍を見つめた。
「違う、青龍さんは悪くない。私が悪いの!私が勝手に屋敷を飛び出して。でも結局こうして助けに来てくれなきゃ、自分じゃ何もできなかったから」
「…時雨殿、一体ここでは何をなさっていたのですか?」
「え?」
青龍は姿勢を崩さぬまま顔を上げれば時雨を見据えた。
薄々、嫌な気配を来た時から感じ取ってはいたのだ。
何かが不快だった。
この空間に漂う空気も、気配も。
そのよく分からない何もかもが、更に青龍へと謎の嫌気を募らせていた。
「貴方は私やそこの鬼と契約をかわし、互いの位置情報が共有可能の身。にも関わらず、貴方の居場所を探り当てるまでに我々は随分と苦労をしました」
「!」
あ、そう言えば確かに変だ。
だって、私は青龍さんからは加護を、白夜様とは縛りの契約をしている身。ならここに私がいることだって、彼らにとっては探し出すのに安易であったはずなのに。
「時雨」
白夜は二人の会話を黙って聞いていたようだったが、ここにきて重たい口を開いた。
「確かに蛇野郎の言う通りだ。不思議とお前を見つけ出すのには時間を有した。まるでその存在を隠すかのように、この瞳でさえ判断できなかった」
「!!」
白夜様の瞳が機能しないって、一体どうして…。
「つまりお前の姿はここのどこにも存在が確認されなかったんだ」
「そ、そんな…」
私は確かに屋敷から外には出た。
でも鬼頭家の領域からは出ていない。
それなのに、この屋敷周辺を管理する白夜様でさえ私を認知できなかっただなんて。