妖とも言えない。
もの凄く大きくて黒い靄をまとった歪な塊。
そんな姿を宿した怪物は、低い唸り声をあげると近づいてくる。
体からは瘴気を放ち、ぎょろりとした目で私を威嚇すれば、今にも襲い掛かろうとしてくる。
その姿に体はガタガタと震え出した。
「いや…ど、どうしよう」
今から走れば鬼頭家まで逃げきれるか?
だがわき目も振らず来てしまったから、ここが鬼頭家の何処に位置しているのかさえ分からない。
頼みの綱となる青龍さんもいない。
誰も助けてくれる人なんていない。
どうしたらいいのか必死で考えるが、その間にも怪物はどんどん距離を詰めてくる。
「ア゛ァ?…血だ。人間の…強い血の匂いがズル」
「!!」
私はハッと首元を流れる自身の血に気がついた。
さっき白夜様に思い切り嚙まれた部分だ。
止血しきれていないのか、未だに血が止まらない首元を手で覆えば怪物から距離をとろうとゆっくり後退する。
「アァ!血だ…肉だ。ア゛ァ~人間の肉だ。グイたい、、」
「ッ、」
「グイたい、グルル…ア゛ァァ゛お前をグわせろ」
熱い吐息をはあーっと吐き出せば、怪物は興奮気味にこちらへと近づいてくる。歩く度に悪臭を放つ黒い瘴気に私は思わず顔をしかめた。
このままではいずれ食べられてしまう。
怖くてブルブルと震えながら、なんとか生き延びる術を模索しようとした。
だがとうとう太い幹の所まで追いやられてしまった。
「…肉だ。ア゛ァ、グイたい。お前をグッテやる…」
「いや…やめて…」
金縛りにあったかのように足が動かなくなると、体からは力が抜けた。蚊のような声しか出せないまま、私はへなりとその場に座り込んでしまった。
自分はここで無残にも怪物によって食べられてしまうのだろうか。その距離は残り僅かとなってくる。
「いや…助けて。助けてよ、白夜様…」
言いたいことも言えず、貴方に会えないまま死んでしまうのだろうか。
仲直りだってまだできていない。
彼ともっと話しをしなければならないのに。
急に寂しくなると、彼に会いたくて堪らなくなった。
貴方に触れたい。
嫌いなんかじゃない。
本当は好きで好きで堪らないのに。
「助けて…白夜様」
「ア゛ァ…グわせろ。お前をグわせろ!!」
だが助けを求める声も虚しく、怪物は私の目の前まで立ちはだかれば勢いそのままに襲い掛かってきた。
「いやーーー!!」
もうダメだ。
私は咄嗟に目をつぶれば、体をひしと抱きしめたまらず叫んだ。
『ーー!!』
「…え?」
その瞬間、私の体からは白い小さな光のようなものが飛び出した。
それは勢いを付ければ怪物に向かって突進し、向こう側へと跳ね返せば怪物は近くにあった木の幹へと叩きつけられたまま動かなくなった。
私はビックリして固まった。
何が起こったのか分からない。
先の方に見えた白い光のような玉は、やがて人型のような形へと姿を変えていく。
「…あれは!」
現れた姿は顔を布で覆い、狩衣に似た服装で手には斧のような武器を持っている。
小さな体にも関わらず、怪物に立ち向かっていく姿を見ていれば漂うその気配に謎の違和感を覚えた。
知っている。
あれはついこの間まで、私が身近で感じていたもう一つの気配。
「まさかあれ、式神じゃ…」
「それ、正解」
「!!」
突如、頭上から聞こえてきた声に驚いて顔をあげる。
見れば金髪の袴姿の男性が一人、ニッコリと微笑みながら私を上から見下ろしていた。
「だ、誰?」
さっきまでここには誰もいなかったはずなのに。
一体いつからいたのだろうか。
「ア゛ァーー!!」
『!』
声がした方へ再び視線を向ければ、体勢を立て直した怪物が唸り声をあげていた。
式神はこれに攻撃をするようにして飛びかかったが、怪物はそれを避けると上から飛びかかり、その体へとかぶりついた。
音を立てるようにして口へと運び食いちぎられれば、無残にも式神は体をバラバラに引き裂かれてしまった。
「ああ…そんな」
「おや、あの様子じゃまだ駄目だったか。ならば仕方ない。時雨さん、すまないが少しの間この子達の力を拝借してもいいかな?」
「え?」
彼がそう言うと、私の体からはもう一つの光の玉が飛び出した。
玉はさっき同様に人型の形を宿せば、今度は片手に大きな鎌を構えた式神の姿がそこにはあった。
「お帰り、式神の前鬼、後鬼。だが修復仮定に少々、手間がかかっているようだ。ま、とは言えあれくらいならば問題ないだろう」
「あ、あの…」
「あ、君はここで待っててね」
男性はこちらへと微笑むと、訳が分からず目を丸くしたままの私を置いて怪物の方へと歩いていった。