「…ぐれ、時雨」
ゆさゆさと体を揺さぶる感覚に名前を呼ぶ声。
真っ白な世界から真っ黒な場所へと落ちていった意識は応えるようにして持ち上がれば徐々に浮上していく。
「んん…」
目を開けば差し込むのは日の光。
眩しさに声を漏らせば同時に視界へ映ったのは天井を背にこちらを見つめるアメジストの瞳。
私はその瞳を黙って見つめた。
「時雨?」
彼が私の名前を呼ぶ。
ああ、いつ見ても綺麗だな。
光の効果も相まって、その瞳は本来の力を発揮するかのごとくキラキラと輝いていた。
「おはようございます白夜様」
私は呼びかけに応えるように彼へ微笑んだ。
するとこちらへと伸びてくる手。
着物から出る腕は逞しくも滑らかな肌質で、サラリと頬に触れた優しい手の感覚に思わず顔がほころぶ。
「うなされていたけど大丈夫か?」
白夜様が心配そうな目で私を見つめる。
あ、そうか。
私、さっきまで式神の領域にいたんだ。
彼らが何を伝えようとしていたことは結局最後まで分からなかったけど。
「大丈夫です。ただ…」
「?」
「式神の領域に飛ばされていました」
あの日以来、彼らが私に会うことも身体から出てくることも無かったため暫くはそっとしておいた。だがずっと閉じ込めておくのも正直どうかと思っていた。そんな矢先、こうして彼らの方から私を呼んでくれたのは実に幸運だった。
「アイツらが…体に異常は⁈」
「大丈夫です。別に何かされたわけではありませんし」
少し焦った表情の白夜様を落ち着かせると自分も身を起こす。
障子の向こうからは明るい陽射しが差し込み雀のさえずりが聞こえてくる。
今日はサッパリとした晴れのようだ。
「やっぱ大事を取ってこのまま寝てた方が…」
「いえ、本当に何もされてませんから!少し話しかけられただけで。もう白夜様は大袈裟すぎます」
「あ?ったりめーだろ。八雲野郎のせいでお前の体には負荷がかかったとこきて、めんどくせー奴らまで取り込んでる状態なんだ。今だって領域に引き込まれたんだろ?なら何が起きてもおかしくはねぇ」
分かってる、凄く私を心配してくれているのは。
でも頼むから。
そんな瞳孔ガン開きの眼でこちらを見ないで欲しい。
先程から瞬きを一回もしていないせいかどうにも目を合わせずらくてしょうがない。
「…白夜様、瞬き忘れてます。本当に大丈夫ですから。それにもし何かあるのなら真っ先に言いますよ」
あの日以来、白夜様は今まで以上に過保護になってしまった。
当初の姿とは想像も付かないほど今ではすっかり丸くなった。
私に向けていた嫌悪感漂うあの見下した態度とは違って、今では深い愛情を向けてくれる。
互いに望まない。
始めこそはそんな利害一致から生まれた単なるビジネスパートナーのような関係でしか婚約者をやっていたに過ぎなかった。でも今ではこんなにもお互いのことを愛するまでの仲だ。
お翠さんやお香さん、鳳魅さんにご当主様といった鬼頭家での出会いに神獣の白蛇さんとの契約。
期間的に言えばまだそう日は経ってない中で沢山の出来事があった。でもそのお陰で私達がここまで互いを信頼し合える仲になれたとも言える。
「もう朝ですね。白夜様、朝ごはん食べに行きましょう!」
今日は珍しく白夜様も一緒にいるし。
忙しい中、久しぶりに朝食ができるとなると謎に嬉しかった。
「…おう。何かあれば直ぐ言え。噓つくだけ無駄だ、俺には直ぐに分かるからな」
「も~!そんなこと致しません」
「は、どうだか」
やれやれといった呆れ顔の彼にムッとした顔を向けてやる。一体、私をどれだけ疑えば気が済むというのだ。
まあでも、それだけ自分を大事に思ってくれている気持ちは十分に伝わってくるのでいいだろう。
込み上げる欠伸と共に腕を大きく上に伸ばせば、白夜様は突如スンっとした真顔で私を見ていた。
「ん?いかがなさいましたか?」
急に変わったその様子に不思議に思い首を傾げる。
すると何を思ったか、白夜様はニィっと意地悪そうにその顔を綻ばせれば今度はこちらへジリジリと近づいてくるではないか。
え、なんだろ…。
もの凄く嫌な予感がする。
こういう時の勘は大体外れない。
あの顔で彼がろくなことを考えていた試しなんて、過去一度もなかったことはこの私がよく知っている。 
つまりこれは危険信号である。
私は瞬時に彼からそれを察知すれば一歩ずつ後ろへと後退、避難した。部屋の壁際まで退避していた私だったが運悪くそこで行き止まりになってしまった。
だが白夜様は追い打ちをかけるようにして目の前に立ちふさがった。
「白夜様?一体どうされたというのです??」
彼は何も答えない。
真顔のままこちらを上から見下ろしたまま微動だにしなかった。だが突如こちらに伸びてきた手。
「ッ」
私は怖くなって咄嗟に目をつぶる。
彼からはまだ声がかからない。
反応がないのを不思議に思いゆっくりと目を開けてみれば彼の視線は私ではなく…
「ん~~、お!…なあ、お前デッカくなった?」
胸越しに置かれた手にギュッと強まるその感触。
全てを理解した私は一気に熱が浮上した。
「ッ//この変態ーー!!」
朝一、私の声が鬼頭家に響き渡った瞬間だった。