「――――え?」

 なんで?

 ――火災?

 それも、こんなに同時に?

 ――放火?

 まさか、そんな事する人、ここには居ない。

 ――なんで?

 なんで?

 ――なんで?

 ――――なんで、アラムの愛した町が、炎に飲まれなきゃ行けないの?

 お願いだから。

 やめて。

 やめて。

「…………ん」

 やめて。

「…………さん」

「やめて!」
「リリーさん‼︎」
「はっ…………」

 アイジスの呼びかけのおかげで、リリーは目覚める。
 しかし目前に広がるのはやはり炎の海。
 一体誰が……?
 誰が大切なこの町に、火を?


 ◇


「リリーさん。取り敢えず住民の避難誘導をしましょう何が起きているのか……」

 その時、ある家屋の屋根が弾けた。
 そして、“それ”は、他の家へと飛び移ったのだ。

「………………え?」

 成る可く見ないで欲しかった。
 リリーには見ないで欲しかった。
 見ると、きっとリリーは。
 錯乱する。

「……アラム?」

 天井から天井へと移る“それ”は。

 アラムの異形と化した姿だった。


 ◆


 アイジスは炎の下を見やる。
 そこには必死に炎から逃げ惑うギィガルの住民。
 いや、炎からか、或いは。

「リリーさん!」
「解ってる‼︎」

 さっきとは口調がまるで違う。
 こっちが素なのか。
 いや、そんな事はどうでも良い。

「俺は逃げ遅れた人の救助に向かい、そのまま……領主アラムさんを――(しい)します」
「なんッ………………」

 アイジスの言葉に、リリーは、足を止める。
 その顔は青褪め。
 (まぶた)と唇が震えている。

「ほ、本当に、あれは……アラムなんですか?」

 一番解っているのは貴女でしょう?
 そう言いたいが、傷付ける事しかできないのは、誰の目から見ても明白だった。
 だが、リリーは。
 どうしようもない中、一縷の望み(一本の藁)にさえ縋ったのだ。

 しかしたかが矮小なる人一人によって改変出来るほど、運命とは綻んでなど居なかった。

「…………あれは、アラムさんです」
「……………………そんなぁ……」

 溜め息混じりの感嘆は、涙を誘った。
 溢れたくない。
 溢したくない。
 涙も。
 彼の命も、この手から。
 そう思ったのか、リリーは両手で顔を覆う。
 涙よ、溢れるな。
 そう切望するが、物理法則には逆らえず。
 地面の土が、微かに染みる。

「いや、いやぁ、嫌だよぉ…………」

 リリーは、地面にへたった。
 アイジスは屈み、リリーの肩に手を添える。

「でも、今この時。最もアラムさんの事を想えるのは、貴女です。アラムさんは、所謂『異形』と言う、人ならざる存在へと成りました。異形とは、自我を失った人の成れの果て。だからああして、自我を求めて暴れるんです。きっと、苦しいのだと思います、自我がないのが。自分が、自分が自分であると証明できる自我(なにか)を喪ったのです。だから、貴女が証明してあげて下さい。きっと、アラムさんも、楽になる……」

 実際、異形が苦しんでいるのか。
 本当に自我を求めて暴れているのか。
 アイジスには解らない。
 でもきっと、こう答える事が最適解だった気がしたのだ。
 大切なのは、リリーさんの原動力になる事。
 ジルの様に、大切な人の死に立ち会っても。
 成る可く深い傷にならない様、死に綺麗な理由を付ける事。
 それが決して、美辞麗句にならない事。
 しっかりと、リリーの心に、訴えたかった。

「………………ありがとうございます」

 袖で涙を拭い、それを振り払う。
 立ち上がり、暴れるアラムの方へと目を向ける。

「待ってて」

 そう呟いて、リリーはアラムの愛した民の所へと走って行った。

「俺も、頑張るかぁ」

 刀の柄に手をかけながら、アイジスは気合を入れた。


 ◇


「大丈夫ですか!」

 ギィガルの住民達は、川の近くに集まっていた。
 もし火がこっちへ来ても、川に飛び込んで逃れる作戦である。
 ただ今飛び込んでも余計危ないだけだと皆思ったのか、ただ瓦解して行くだけの町を傍観していた。
 そこへ、リリーが駆けつける。

「あぁ、無事だったんだね、良かったよ」

 そうリリーに言うのは、さっきリリーが行った八百屋の店主だった。

「そちらもご無事で何より。ここに居ない人は……」

 そう言いつつリリーは周りを見渡す。
 ギィガルは、同じ規模の地域の中では発展しているものの、住民が極めて少ないのだ。
 なので生まれた時からギィガルのリリーは、ギィガルの住民全員の顔と名前を覚えていた。
 無論、それは住民ほぼ皆覚えている事なので、そこまで誇る事ではないのだが。
 しかし覚えていたおかげで。

「あれ……? ファイリさんは…………?」

 八百屋の二つ隣の建物は、小物屋であった。
 そこの店主がファイリであり、新商品の相談をしたいとの事で、アラムを呼んでいたのだ。
 まさか!
 そう思い周りを見ていた視線を、背後にある嘗て小物屋であった建物へ向ける。
 アラムは、ファイリに呼ばれて行った。
 宿屋から小物屋までは、さして遠くは無いのだ。
 時間にして凡そ二分あれば着く距離にある。
 そして轟音が響いた時、あれはアラムが宿屋を出て暫く。それこそ小物屋などとっくに着いているだろう。
 つまり。

「…………店の前に、()()だろう?」

 八百屋の店主はそう言う。
 その時、リリーは見つけた。
 見つけて()()()()
 そこには、恐らく『異形』というものに変貌したアラムに飛ばされた。
 片腕があった。
 それだけで、言わずとも理解できる。
 ファイリは、もう…………

「今の所死亡が確定してるのは一人だけさね。でもまぁ、もっと死んでても、可笑しく無い」

 確かに、ここに集まっているのは、住民の半分程度だ。
 残り半分の人は未だ所行方不明な訳で。
 その内の幾人かは、既に死んでしまっている可能性が極めて高い。
 これ以上被害を出さない為には。

 アラムを止め(殺し)て貰う事。
 それが最も、早い。

 ジョウルとジルはアイジスに任せるとして。
 リリーは避難してきた人の心の支えとなれる様。
 アイジスが命を守るのなら。
 リリーはその心を守る。
 アラムの愛した町を守る為。
 またその町の成立には欠かせない人々を、守る為。


「…………お願いします」


 リリーは、アイジスに。
 アラムを弑する事を願った。