私はずっと自分の気持ちを突き通せずにいる。周りの目を気にして、周りの発言や行動に合わせてばかり。他人に抱く、妬みや嫉妬、失望、恋心。その全てをお腹の底に溜め込んで、常に笑っていた。いつしかそれが私の中の普通になって、いつしかそれが私の足枷になっていた。
私が自覚をもって本心を隠すようになったのは、中学生に上がったころからだ。小学生のころは自分から進んでそんなことをしようと思ったことはなかった。
だけど、中学生になってからその考えが少しずつ変わっていった。それも全てあるひとつの出来事がきっかけだった。
私は中学生になってからすぐに友達と、生まれて初めての好きな人ができた。好きになったその人とはたまたま席が隣で、彼の裏表がない性格にすぐに惹かれた。人見知りで内気な私と、いつも男子達の中心にいる彼。つり合わないことは恋愛経験ゼロの私でもすぐにわかった。だから多くは望まず、ただ見ていれるだけでいいと思った。
ある日、いつも通り友達と学校から帰っていると唐突に愚痴大会のようなものが始まった。みんな好き勝手嫌いな人の悪口を言っていく。そしてその会話のターゲットは次第に私が密かに想っている彼に移っていった。
「そういえばさ、あいつと仲よかったやんな? 実際どうなん? やっぱり噂通りうざい?」
友達の一人が質問を投げかけてくる。その一言で友達の視線が一気にこっちへ向いた。そのとき感じた恐怖心は今でも覚えている。有無を言わせぬその圧に私は怖気付いて首を縦に振ってしまった。もしこのとき、他の返事をしていたら少なくとも私は一年間ぼっち生活を送っていただろう。
今考えると、本当にくだらないことだと思う。たかが一年ぼっちにならないために、私は好きな人の悪口を言ってしまったんだから。その罪悪感はとても大きなものだった。
だから私はこの出来事をきっかけにあることを決めた。それは自分の心に嘘をつかないということ。
――だけど、そんな決意はすぐに揺らいでしまった。
中学二年生の二学期くらいからだろうか。周りの人達が私を「優しい」「優等生」なんて言葉で褒めるようになった。先生も私がそう言われていたのを知っていたみたいで、懇談会で親にそのことを話していた。
もちろん、最初は嬉しかった。ただ、自分の心に正直になるだけでこんなにも褒めてもらえるだなんて思わなかったから。
でも、あるとき私は苦手な人の愚痴をポロッと仲のいい友達に話してしまった。その友達は一通り話を聞き終えたあと私に言った。
「なんか意外。そんなこと言う人やとは思わんかったわ。そういう人の陰口とかさ」
そのとき初めて気づいた。ほんの少しづつ。でも確かに周りが思う私の像と、本当の私の像の間に隔たりが生じていることに。今さらみんなに私はこんな人間じゃない、なんて訂正する勇気があるわけなくて中学卒業まで私は私を隠し続けた。
高校は同じ中学から進学する人が少ないところを選んだ。その方がなにかとやりやすいと思ったから。でも一度染みついた癖というものはなかなか抜けなくて、私は結局何も変われなかった。高校に入学してから無理やりにでも自分を変えるべきだった。そうしていれば、感情を押し殺す地獄のような日々を送ることにはならなかったはずだから。
私は中学同様、高校でも席が前後になった子とすぐに仲良くなれた。その子の性格はとてもサバサバしていて、いつも男子に対しても女子に対しても同じ態度で接していた。最初はそんな彼女が友達としてすごく好きだった。でも仲良くなればなるほど悪い部分というのは見えてくるもので、少しずつ一緒にいるのが苦痛になっていった。というのも、その子は人の陰口、悪口をいいながら、そんな自分のことは棚に上げて「悪口いう人嫌い」なんてふざけたことをよく口にする。
週一のペースで遊びに行っている友達の悪口を聞いたとき、私は心の底からその子を軽蔑したし、気持ち悪いとも思った。そんなに嫌いなら一緒にいなきゃいいのに。どうせまた明日になれば何事もなかったかのように接するくせに。そんな思いが私の中に渦巻いた。
その子と一緒にいるのが苦痛になった理由はそれだけじゃない。高校に入ってからできた好きな人とその子はとても仲が良くて、常に嫉妬していた。私だって話したい。もっと彼のことを知りたい。だから邪魔しないで。ずるい。羨ましい。汚い感情ばかりが胸の中に込み上げてきた。
あるとき、その子は私に好きな人はいるかと聞いてきた。絶対内緒にするから教えてって。私も教えれば彼から離れてくれるかもと思った。でも、その子を完全に信用することは出来なかった。もし教えてしまったら、あの薄っぺらい口からきっと誰かに情報がわたる。そんな気がした。だから、「いないよ」と嘘をついた。本当は私だってみんなのように恋の話で盛り上がりたかった。けれど、私には腹を割って話せる間柄の人は一人もいなかった。
それから一日一日が何事もなく同じように過ぎていった。その子の悪口に共感する毎日。好きな人が周囲にバレないように細心の注意を払いながら目で追う毎日。嫉妬や嫌悪、恋心。その全てを殺しながら変わらない過ごした。
ある晩、ベッドの中で一人考えていた。確かに私はあの子が嫌いだ。人の悪口をいうところも、私の好きな人と異様に仲がいいところも。でも私のしていることは、悪口をいいながらもその友達と何事もなかったかのように話す、あの子の行動と同じなんじゃないかと。あの子のことをよく思っていないのに常に一緒に行動して、表面上だけの友情を壊さないように必死になる。
いつもいつも、いいたいことは沢山あったはずなのに周りからの視線を常に気にして、本音をさらけ出したことなんて一度もない。
私は私が大切だ。だからこの世の中で一番大切にしてきたつもりだった。けれど、いつの間にかその方法を間違えてしまっていたみたいだ。結局は自分のせいだ。他の誰でもない私自身が弱いからこんなことになった。
私は声を殺しながら泣いた。失望したんだ。悲劇のヒロインぶって何もしてこなかった自分に。私の人生なんだから、もっとあがけばよかった。今更しても遅い後悔が押し寄せてくる。私の中に溜まった黒い感情が、自由になりたいと叫ぶ。自由になるための方法。それこそが『杏月澪』であり、小説だった。
『杏月澪』はいうなれば、もう一人の私だ。汚い部分を詰め込んだ本当の私。この名前は最悪な人生の全てを何もなかったところからやり直したい。ゼロから始めたいという想いでつけた。
私が書く小説のほとんどは、実際に私が経験した出来事やそこで芽生えた感情を軸に形成されている。もちろん、最初から小説を書こうと思っていたわけじゃない。最初はただ、ぶつけようのない想いを紙に殴り書きしていただけだった。だけど、次第に私はそれを理想の形へと書き換えていった。友達と正面から向き合って喧嘩したり、恋バナで盛り上がったり、運命の相手と出会って恋に落ちたり。胸に込み上げてくる色々な感情を乗り越えて、最後はハッピーエンド。そんな叶うことのなかった理想を詰め込んで完成したのが私の小説。
小説というものは不思議で、表現や構成にその人自身が出る。私の小説に登場する主人公は、ほとんどが自分の心に真っ直ぐな行動をとる。これは私がそうなりたいと願っているから。せめて空想の中だけでも自分に素直になりたいという表れだ。
私が小説を書き続け、小説家を目指している理由は誰かに笑顔になってほしいとか、誰かの想いを繋ぎたいなんていう素晴らしいものじゃない。ただ単に私の汚い部分を綺麗に表現したいから。そうすれば私は自分を好きになれるから。今まで抱いてきた感情は、確かに私が成長するために不可欠なものだったと、登場人物と自分を重ね合わせながら思いたいから。そんな自分勝手な理由だ。このことを誰かに話したら馬鹿みたいな考えだと笑われてしまうかもしれない。でも、誰になんといわれようとも、これが私だ。
高校二年生も終わりかけの今、私はいわゆるぼっち状態にあった。一年生の最後、私はあの子に自分の気持ちを包み隠すことなく全て伝えた。きっと小説の中の世界ならお互いの気持ちを理解して和解なんて道もあるんだと思う。でもこれは現実だから。そんな都合のいい話はない。それから私たちはお互いに口を聞かなくなった。多分これはどっちかが悪いとかそういう問題じゃなくて、私たちの反りが合わなかっただけなんだと今ならわかる。だから最初から無理に合わせる必要なんてなかったのかもしれない。気が合う人もいれば、合わない人もいる。当たり前のことだけど、気がつくまで随分と時間がかかってしまった。
一年生のときに好きだった人のことは今でも想い続けてる。いつも一人でいる私に、声をかけてくれるのは彼だけでいつか気持ちを伝えられたらいいなとは思ったりする。
ぼっちになって周りの目を気にしないようになったかというと、そんなことは微塵もない。けれど、今はそれ以上に、自分が自分をどう思うかを大切にするようにしている。周りの目ばかり気にして、自分を蔑ろにする毎日にはもうたくさんだから。
もちろん今も汚い感情は私の中で芽生え続けている。小説家になるという同じ夢を持つ人達が何かしらコンテストの賞に選ばれているところを見ると妬んでしまうし、悪口・陰口を考えもなしに発する人達には嫌悪感も募る。でも私はそれを書き換える術を知っている。小説と『杏月澪』に出逢えたことは私の人生において大きな成果だ。
長々と書いたけれど、私が伝えたかったことはただ一つ。
『自分に素直になることの大切さ』
結局大切なのはこれなんだ。これさえ出来れば、大抵のことはなんとかなることに気づいた。でもこの一歩が難しい。私のように踏み出せない人がきっとこの世界のどこかにいるはずだ。今はそんな人たちの背中を少しでも押せならいいなと思いながら小説を書いている。
私はこれからも私の人生を歩んでいく。自分に素直になれるように、自分の心にもう二度と嘘をつくことがないように。私が目指す理想の影を追いかけて。
私が自覚をもって本心を隠すようになったのは、中学生に上がったころからだ。小学生のころは自分から進んでそんなことをしようと思ったことはなかった。
だけど、中学生になってからその考えが少しずつ変わっていった。それも全てあるひとつの出来事がきっかけだった。
私は中学生になってからすぐに友達と、生まれて初めての好きな人ができた。好きになったその人とはたまたま席が隣で、彼の裏表がない性格にすぐに惹かれた。人見知りで内気な私と、いつも男子達の中心にいる彼。つり合わないことは恋愛経験ゼロの私でもすぐにわかった。だから多くは望まず、ただ見ていれるだけでいいと思った。
ある日、いつも通り友達と学校から帰っていると唐突に愚痴大会のようなものが始まった。みんな好き勝手嫌いな人の悪口を言っていく。そしてその会話のターゲットは次第に私が密かに想っている彼に移っていった。
「そういえばさ、あいつと仲よかったやんな? 実際どうなん? やっぱり噂通りうざい?」
友達の一人が質問を投げかけてくる。その一言で友達の視線が一気にこっちへ向いた。そのとき感じた恐怖心は今でも覚えている。有無を言わせぬその圧に私は怖気付いて首を縦に振ってしまった。もしこのとき、他の返事をしていたら少なくとも私は一年間ぼっち生活を送っていただろう。
今考えると、本当にくだらないことだと思う。たかが一年ぼっちにならないために、私は好きな人の悪口を言ってしまったんだから。その罪悪感はとても大きなものだった。
だから私はこの出来事をきっかけにあることを決めた。それは自分の心に嘘をつかないということ。
――だけど、そんな決意はすぐに揺らいでしまった。
中学二年生の二学期くらいからだろうか。周りの人達が私を「優しい」「優等生」なんて言葉で褒めるようになった。先生も私がそう言われていたのを知っていたみたいで、懇談会で親にそのことを話していた。
もちろん、最初は嬉しかった。ただ、自分の心に正直になるだけでこんなにも褒めてもらえるだなんて思わなかったから。
でも、あるとき私は苦手な人の愚痴をポロッと仲のいい友達に話してしまった。その友達は一通り話を聞き終えたあと私に言った。
「なんか意外。そんなこと言う人やとは思わんかったわ。そういう人の陰口とかさ」
そのとき初めて気づいた。ほんの少しづつ。でも確かに周りが思う私の像と、本当の私の像の間に隔たりが生じていることに。今さらみんなに私はこんな人間じゃない、なんて訂正する勇気があるわけなくて中学卒業まで私は私を隠し続けた。
高校は同じ中学から進学する人が少ないところを選んだ。その方がなにかとやりやすいと思ったから。でも一度染みついた癖というものはなかなか抜けなくて、私は結局何も変われなかった。高校に入学してから無理やりにでも自分を変えるべきだった。そうしていれば、感情を押し殺す地獄のような日々を送ることにはならなかったはずだから。
私は中学同様、高校でも席が前後になった子とすぐに仲良くなれた。その子の性格はとてもサバサバしていて、いつも男子に対しても女子に対しても同じ態度で接していた。最初はそんな彼女が友達としてすごく好きだった。でも仲良くなればなるほど悪い部分というのは見えてくるもので、少しずつ一緒にいるのが苦痛になっていった。というのも、その子は人の陰口、悪口をいいながら、そんな自分のことは棚に上げて「悪口いう人嫌い」なんてふざけたことをよく口にする。
週一のペースで遊びに行っている友達の悪口を聞いたとき、私は心の底からその子を軽蔑したし、気持ち悪いとも思った。そんなに嫌いなら一緒にいなきゃいいのに。どうせまた明日になれば何事もなかったかのように接するくせに。そんな思いが私の中に渦巻いた。
その子と一緒にいるのが苦痛になった理由はそれだけじゃない。高校に入ってからできた好きな人とその子はとても仲が良くて、常に嫉妬していた。私だって話したい。もっと彼のことを知りたい。だから邪魔しないで。ずるい。羨ましい。汚い感情ばかりが胸の中に込み上げてきた。
あるとき、その子は私に好きな人はいるかと聞いてきた。絶対内緒にするから教えてって。私も教えれば彼から離れてくれるかもと思った。でも、その子を完全に信用することは出来なかった。もし教えてしまったら、あの薄っぺらい口からきっと誰かに情報がわたる。そんな気がした。だから、「いないよ」と嘘をついた。本当は私だってみんなのように恋の話で盛り上がりたかった。けれど、私には腹を割って話せる間柄の人は一人もいなかった。
それから一日一日が何事もなく同じように過ぎていった。その子の悪口に共感する毎日。好きな人が周囲にバレないように細心の注意を払いながら目で追う毎日。嫉妬や嫌悪、恋心。その全てを殺しながら変わらない過ごした。
ある晩、ベッドの中で一人考えていた。確かに私はあの子が嫌いだ。人の悪口をいうところも、私の好きな人と異様に仲がいいところも。でも私のしていることは、悪口をいいながらもその友達と何事もなかったかのように話す、あの子の行動と同じなんじゃないかと。あの子のことをよく思っていないのに常に一緒に行動して、表面上だけの友情を壊さないように必死になる。
いつもいつも、いいたいことは沢山あったはずなのに周りからの視線を常に気にして、本音をさらけ出したことなんて一度もない。
私は私が大切だ。だからこの世の中で一番大切にしてきたつもりだった。けれど、いつの間にかその方法を間違えてしまっていたみたいだ。結局は自分のせいだ。他の誰でもない私自身が弱いからこんなことになった。
私は声を殺しながら泣いた。失望したんだ。悲劇のヒロインぶって何もしてこなかった自分に。私の人生なんだから、もっとあがけばよかった。今更しても遅い後悔が押し寄せてくる。私の中に溜まった黒い感情が、自由になりたいと叫ぶ。自由になるための方法。それこそが『杏月澪』であり、小説だった。
『杏月澪』はいうなれば、もう一人の私だ。汚い部分を詰め込んだ本当の私。この名前は最悪な人生の全てを何もなかったところからやり直したい。ゼロから始めたいという想いでつけた。
私が書く小説のほとんどは、実際に私が経験した出来事やそこで芽生えた感情を軸に形成されている。もちろん、最初から小説を書こうと思っていたわけじゃない。最初はただ、ぶつけようのない想いを紙に殴り書きしていただけだった。だけど、次第に私はそれを理想の形へと書き換えていった。友達と正面から向き合って喧嘩したり、恋バナで盛り上がったり、運命の相手と出会って恋に落ちたり。胸に込み上げてくる色々な感情を乗り越えて、最後はハッピーエンド。そんな叶うことのなかった理想を詰め込んで完成したのが私の小説。
小説というものは不思議で、表現や構成にその人自身が出る。私の小説に登場する主人公は、ほとんどが自分の心に真っ直ぐな行動をとる。これは私がそうなりたいと願っているから。せめて空想の中だけでも自分に素直になりたいという表れだ。
私が小説を書き続け、小説家を目指している理由は誰かに笑顔になってほしいとか、誰かの想いを繋ぎたいなんていう素晴らしいものじゃない。ただ単に私の汚い部分を綺麗に表現したいから。そうすれば私は自分を好きになれるから。今まで抱いてきた感情は、確かに私が成長するために不可欠なものだったと、登場人物と自分を重ね合わせながら思いたいから。そんな自分勝手な理由だ。このことを誰かに話したら馬鹿みたいな考えだと笑われてしまうかもしれない。でも、誰になんといわれようとも、これが私だ。
高校二年生も終わりかけの今、私はいわゆるぼっち状態にあった。一年生の最後、私はあの子に自分の気持ちを包み隠すことなく全て伝えた。きっと小説の中の世界ならお互いの気持ちを理解して和解なんて道もあるんだと思う。でもこれは現実だから。そんな都合のいい話はない。それから私たちはお互いに口を聞かなくなった。多分これはどっちかが悪いとかそういう問題じゃなくて、私たちの反りが合わなかっただけなんだと今ならわかる。だから最初から無理に合わせる必要なんてなかったのかもしれない。気が合う人もいれば、合わない人もいる。当たり前のことだけど、気がつくまで随分と時間がかかってしまった。
一年生のときに好きだった人のことは今でも想い続けてる。いつも一人でいる私に、声をかけてくれるのは彼だけでいつか気持ちを伝えられたらいいなとは思ったりする。
ぼっちになって周りの目を気にしないようになったかというと、そんなことは微塵もない。けれど、今はそれ以上に、自分が自分をどう思うかを大切にするようにしている。周りの目ばかり気にして、自分を蔑ろにする毎日にはもうたくさんだから。
もちろん今も汚い感情は私の中で芽生え続けている。小説家になるという同じ夢を持つ人達が何かしらコンテストの賞に選ばれているところを見ると妬んでしまうし、悪口・陰口を考えもなしに発する人達には嫌悪感も募る。でも私はそれを書き換える術を知っている。小説と『杏月澪』に出逢えたことは私の人生において大きな成果だ。
長々と書いたけれど、私が伝えたかったことはただ一つ。
『自分に素直になることの大切さ』
結局大切なのはこれなんだ。これさえ出来れば、大抵のことはなんとかなることに気づいた。でもこの一歩が難しい。私のように踏み出せない人がきっとこの世界のどこかにいるはずだ。今はそんな人たちの背中を少しでも押せならいいなと思いながら小説を書いている。
私はこれからも私の人生を歩んでいく。自分に素直になれるように、自分の心にもう二度と嘘をつくことがないように。私が目指す理想の影を追いかけて。