――グルルルルルルルル――
そこにいたのは巨大な犬の化物だった。
全身が真っ黒な毛に覆われていて、肋骨が浮き出るほど痩せ細っている。
赤い目は血走っていて、鋭い牙が覗く口からは舌が垂れ、だらしなく涎が滴り落ちている。
それは鋭い爪を畳に食い込ませ、今にも私を襲おうと、低くうなり声を上げていた。
「あ、開けてっ! ここから出してくださいっ!」
必死に扉を開けようとするが、びくりともしない。
「無駄だ。その部屋には結界を張っている」
「結界!?」
「こんな貴重な贄をみすみす手放すわけはいかない。元よりお前は当主ではなく私のものになるはずだったのに……」
扉の向こうから聞こえる養父の声はやけに冷静だった。
儀式だとか結界だとか術だとか、もうワケがわからない。
(なんとかして逃げなくちゃ――)
命の危険を感じた私は、どうにか脱出手段を探す。
だけど、この部屋には窓がない。明かりは四隅に灯された蝋燭だけが頼り。
薄暗い室内の中で、獣の瞳が私を真っ直ぐ射抜いていた。
「――ひっ」
――グアアアアアアアアッ――
恐ろしさのあまり、私が声を上げた瞬間、化物が襲いかかってきた。
振り下ろされる鋭い爪。私は寸でのところでかわしたが、左腕を掠めてしまったらしい。
「いっ……」
血が滴る腕を押さえ、よろけながら反対側へ移動して距離を取る。
その化物は畳に点々と落ちた私の血を、なんとも美味しそうに舐めているではないか。
「そのイヌガミは酷く飢えているんだ」
後ずさっていると、ごつんと足に何かが当たった。
「……っ!!」
蝋燭の明かりに照らされたのは、人。人だったもの。
女の人が転がっている。暗がりではっきりとは見えないけれど、手足が所々ちぎれて酷い臭いがする。
そういえば、美和さんが少し前に家政婦が突然いなくなったといっていたような――。
「その場しのぎの贄なんか、腹の足しにもならなかったよ」
男は扉の向こうでくつくつと笑っていた。
「うっ……」
私はとうとうあまりの恐怖でその場に腰を抜かしてしまった。
凄惨な光景に吐き気がこみ上げ、思わず嘔吐してしまう。
「た、助け……誰か……」
助けを求める声はあまりにも小さく、震えていた。
「さあ、イヌガミよ! おまえがずっと求めていた最上の贄だ!」
―グルルルルラアアアアアアアッ!―
それが合図のように、化物が私に飛びかかってきた。
畳に倒され、肩に重い足がのし掛かり、鋭い爪が食い込む。
鼻が曲がりそうなほどの獣臭でむせ返りそうになる。
(――私は、死ぬの?)
こんなことのために生まれてきたの?
私はこの化物に食べられてしまうの? お母さんのように骨も残さずに――。
(いや……)
いやだ。死にたくない。私は、こんなところで死にたくない。
「……たすけ、て」
誰でもいいから。助けて。
化物の牙が迫る中。私が最後に思い浮かべたのは――さっき二階の部屋で見かけたあの青年。
あの時、身を隠さずに「助けて」「私をここから出して」と助けを呼んでいればよかった。
そうしたら……なにかが変わっていたのだろうか。
「――――っ!」
固く目を閉じても、痛みはいつまでも襲ってこない。
「――やっと見つけた」
男の人の声がする。低くて、どこか懐かしいような――。
「あ――」
目を開けると私は男の人に抱き寄せられていた。
獣のような赤い瞳が真っ直ぐ私を見つめている。
この人は――。
「俺を呼んだのは、お前だな」
さっきこの家を出ていったはずの青年だった。
そこにいたのは巨大な犬の化物だった。
全身が真っ黒な毛に覆われていて、肋骨が浮き出るほど痩せ細っている。
赤い目は血走っていて、鋭い牙が覗く口からは舌が垂れ、だらしなく涎が滴り落ちている。
それは鋭い爪を畳に食い込ませ、今にも私を襲おうと、低くうなり声を上げていた。
「あ、開けてっ! ここから出してくださいっ!」
必死に扉を開けようとするが、びくりともしない。
「無駄だ。その部屋には結界を張っている」
「結界!?」
「こんな貴重な贄をみすみす手放すわけはいかない。元よりお前は当主ではなく私のものになるはずだったのに……」
扉の向こうから聞こえる養父の声はやけに冷静だった。
儀式だとか結界だとか術だとか、もうワケがわからない。
(なんとかして逃げなくちゃ――)
命の危険を感じた私は、どうにか脱出手段を探す。
だけど、この部屋には窓がない。明かりは四隅に灯された蝋燭だけが頼り。
薄暗い室内の中で、獣の瞳が私を真っ直ぐ射抜いていた。
「――ひっ」
――グアアアアアアアアッ――
恐ろしさのあまり、私が声を上げた瞬間、化物が襲いかかってきた。
振り下ろされる鋭い爪。私は寸でのところでかわしたが、左腕を掠めてしまったらしい。
「いっ……」
血が滴る腕を押さえ、よろけながら反対側へ移動して距離を取る。
その化物は畳に点々と落ちた私の血を、なんとも美味しそうに舐めているではないか。
「そのイヌガミは酷く飢えているんだ」
後ずさっていると、ごつんと足に何かが当たった。
「……っ!!」
蝋燭の明かりに照らされたのは、人。人だったもの。
女の人が転がっている。暗がりではっきりとは見えないけれど、手足が所々ちぎれて酷い臭いがする。
そういえば、美和さんが少し前に家政婦が突然いなくなったといっていたような――。
「その場しのぎの贄なんか、腹の足しにもならなかったよ」
男は扉の向こうでくつくつと笑っていた。
「うっ……」
私はとうとうあまりの恐怖でその場に腰を抜かしてしまった。
凄惨な光景に吐き気がこみ上げ、思わず嘔吐してしまう。
「た、助け……誰か……」
助けを求める声はあまりにも小さく、震えていた。
「さあ、イヌガミよ! おまえがずっと求めていた最上の贄だ!」
―グルルルルラアアアアアアアッ!―
それが合図のように、化物が私に飛びかかってきた。
畳に倒され、肩に重い足がのし掛かり、鋭い爪が食い込む。
鼻が曲がりそうなほどの獣臭でむせ返りそうになる。
(――私は、死ぬの?)
こんなことのために生まれてきたの?
私はこの化物に食べられてしまうの? お母さんのように骨も残さずに――。
(いや……)
いやだ。死にたくない。私は、こんなところで死にたくない。
「……たすけ、て」
誰でもいいから。助けて。
化物の牙が迫る中。私が最後に思い浮かべたのは――さっき二階の部屋で見かけたあの青年。
あの時、身を隠さずに「助けて」「私をここから出して」と助けを呼んでいればよかった。
そうしたら……なにかが変わっていたのだろうか。
「――――っ!」
固く目を閉じても、痛みはいつまでも襲ってこない。
「――やっと見つけた」
男の人の声がする。低くて、どこか懐かしいような――。
「あ――」
目を開けると私は男の人に抱き寄せられていた。
獣のような赤い瞳が真っ直ぐ私を見つめている。
この人は――。
「俺を呼んだのは、お前だな」
さっきこの家を出ていったはずの青年だった。