――話は半年前に遡る。

「お前が沙夜だな」

 それは母の葬式が終わった直後のこと。
 父と名乗る人物が突然訪ねてきたのだ。

「俺はお前の父親だ」
「……父親」

 そういわれてもぴんとこない。
 私はずっと母と二人きりで過ごしてきたから。
 幼い頃興味本位で父のことを聞いたことがあった。

『――そうね。やっぱり気になるよね、お父さんのこと』

 いつも明るい母の表情が曇った。

『いつかちゃんと話すから、その時まで待ってくれる?』

 悲しそうな母を見て、子供ながらに『ああ、これは聞いちゃいけないことなんだ』と悟る。
 それから私が父のことを口にすることはなくなった。
 そして「その時」も母が死んだことによって永遠にくることはないのだと思っていた。
 
 ところが父は突然現れた。
 髪をきっちりと撫でつけた厳格そうな人。
 密かに想像していた父親像とはあまりにもかけ離れていた。
 彼は玄関先から私たちが住んでいた古く小さな部屋を一瞥すると、奥にあった母の遺骨で目をとめる。

「よく十三年も生き延びたものだな。犬神家から逃げた恩知らずが」
「……え!?」

 その人は家に土足で踏み込んだかと思えば、母の骨壺を思い切り床に叩きつけたのだ。

「な、なんてことするんですか!!」
「ふん、骨も残さず喰われたか……自業自得だな」

 私は思わずそれから目をそらす。
 虚しく床に転がった骨壺は――空だった。
 なんとも奇妙なことに火葬された母は骨も残さず消えていたのだ。

『気味が悪い。あの遺体といい……まるで呪いね』

 参列者は口々に呟いてそそくさと帰っていった。
 無理もない。傷だらけの亡骸に、忽然と消えた骨。私ですら驚いたのだ。
 最後まで火葬場に残った私は、呆然と母がいたはずの場所を見つめながら立ち尽くしていた。

(――母さんのこと、この人はなにか知っている)

 でも、いきなり骨壺を倒すような人と話なんてしたくない。
 本当にこの人が父親だって保証もどこにもないのだから。

「……お引き取りください」

 骨壺を拾い上げながら私は男を睨みあげる。
 すると彼は目をつり上げながら、私の腕を思い切り引いた。

「なにをいっている、さっさと行くぞ。そのためにわざわざお前を迎えに来てやったんだ」
「それはこちらの台詞です! 帰る場所なんてない! 私の親はお母さんだけで……私の家はここですっ!」

 腕が抜けそうなほど強く引っ張られるが、私は全体重をかけて抵抗する。
 なにが起きているかさっぱり理解できない。
 父親なんて知らない。私の家族は母だけなのだから。
 負けじと男を睨みつけると、次の瞬間頬に鋭い痛みが走った。

「……っ!」

 平手打ちされた。
 一瞬耳鳴りがして、頬にじんじんと痛みが広がっていく。 

「違う。それは断じて違う」

 男は冷たい瞳で私を見下ろす。
 それは俗物でも見るかのような。人間を見る視線ではない。

「お前は生まれた時から犬神家の人間だ。お前は決して逃げられない」
「……逃げられない」

 死に際に発した母の言葉を思い出した。
 床に座り込んだままの私にようやく男は膝を突き、目をあわせた。
 腫れた頬なんて気にも止めず、思い切りその手で私の顔を掴み上げ強制的に目をあわせられた。

「お前、年は幾つだ」
「……十六、です」
「いいか、よく聞け沙夜。十六のお前は、一般社会ではまだ子供として扱われる。お前が幾ら拒もうと、私と共にこなければならない」

 一人で生きていけるのか?
 そう聞かれてすぐに頷けなかった。
 母の遺産はないに等しい。高校に入ってアルバイトをはじめたけれど、収入なんて微々たるもの。とても一人では食べていけない。
 そもそも後見人がいなければ、家も借りられない。住む場所も、お金だってない。
 どれだけ体がこの男についていくことを拒もうと、頭はそうするしかないと理解していた。
 抵抗していた腕の力が抜けていく。

「そう、それでいい。お前は逃げられない」

 もう一度繰り返された。

「……やっとだ。やっと……手に入れた」

 いやらしく笑みを浮かべる男。
 娘に再会できた喜びではない。自分に幸福が舞い込んだときのような、零れ落ちるような笑み。

 「お前は犬神様に捧げられるために生まれ落ちた贄なんだよ――」

 その言葉の意味を私が理解するのはもう少し先の話だ。