「――あ」

 目覚めると、私の手は天井に伸びていた。
 つうっと顔の横を落ちていく涙。どうやら泣いていたらしい。

「今の夢……」

 頭を抑えて起き上がる。
 でもその夢の記憶はもう掠れ、詳細を思い出せなくなっていた。

(でも、とても懐かしい夢だった気がする)

 そうひとりごち、視線をふと横にずらす。

「――え?」

 目を疑った。枕元に犬がいたからだ。
 シベリアンハスキーサイズの黒い犬。ハスキーというよりは狼と呼んだほうがいいかもしれない。
 真っ黒でもふもふのその子は凜々しい顔をして、私の傍に座っている。

「私を守っててくれたの?」

 恐る恐る手を差し出すと、その子はすり寄ってきてくれた。
 もふもふで可愛い。ずっと撫でていたくなる。

「ふふ……可愛い。あったかい」
「――目覚めたようだな」

 声と共に扉が開き、朔人さんが現れる。

「あ……」

 それと同時に抱きしめていた黒い狼が煙のように消えていく。

「気に入ったか? 今のは俺の式神で、俺の分身だ。()()()()()()()()おいておいてよかったよ」
「……分身って」

 煙となった狼は朔人さんの手の中に戻っていく。
 つまり私は間接的に朔人さんに抱きついていたようなもので――。
 自分の行動を思いだし、思わず顔が赤くなる。

「す、すみません私……なにもしらずに……」
「なに、恥ずかしがることはない。犬がいたら撫でたくなる。人として自然な反応だ。それよりも、腕を見せてみろ」

 朔人さんは私の左腕を持ち上げ、巻かれていた包帯を解く。
 黒く染まっていた傷が塞がり、縫っているような針の跡が見えた。

「うん。呪いは侵食しなかったようだ。とはいえ、裂傷だから念のため縫っておいた。しばらくは安静にしていろ」
「ありがとう……ございます」
「さて、夜も更けてきた頃だが……お前も今の状況を知りたいだろう」

 話をしても? と尋ねられると私はこくりと頷いた。
 朔人さんがいうように、窓の外は暗くて私は長い間寝ていたようだ。
 でもお陰で眠気はない。それに、自分の身になにが起きているか早く知りたかったから。
 そして朔人さんは私の前に座った。

「改めて。俺は犬神朔人。この犬神家の当主だ。お前を娘と欺き引き取った聡はその分家――正確にいうとお前の父の兄。つまりは叔父にあたる」
「じゃあお父さんは……」
「お前の父親は、犬神家の数多の分家を取り締まる『筆頭五家』の当主。簡単にいえば、この犬神家の中で二番目に偉い立場だったんだよ」
「そうだったんですか……」
「おや、もっと驚くかと思ったが」

 だって現実味がなさすぎる。
 ずっと母と二人で暮らしてきたのに、いきなり実の父親が凄い家の偉い人だった、なんて聞かされても。そもそも――。

「私は父の顔を知りませんから……」
「そうだろうな。悟は沙夜が幼い頃に行方を眩ませてしまったのだから」
「え……?」

 お父さんが行方不明? そんな話、母からは一度も――。

「その反応は……母親からはなにも聞いていないのだな」
「は、はい……お母さんから『いつかちゃんと話す』といわれただけで、それ以外のことはなにも……」
「……無理もない。母はお前を守るために、お前を連れてこの家から逃げ出したのだから。しかし、さすがは優秀なキヨミズの巫女。しっかり娘の記憶に蓋をしたようだな」
「あの……さっきからなにを話しているのかよく意味が……」

 目まぐるしく続く難しい話しについていけず困惑していると、朔人さんは私をじっと見つめた。

「沙夜。お前は幼い頃の記憶を失っているだろう」
「え――そんなこと……」

 いわれるがままに記憶を辿り、固まった。
 小学生になる前の記憶が一切ない。物心つく前だから、とは一切関係なく。その記憶がごっそりと抜けていた。

「今まで気にしたこと……なくて……」
「そうだろうな。そういうふうに母親が呪いをかけたのだろう」

 いわれて気付いた重大な違和感に私は鳥肌が止まらない。
 すると朔人さんは私の腕を掴み、ぐいっと抱き寄せた。
 綺麗な顔が近づいて赤い瞳に私が映る。

「お前は十年前まではこの屋敷で過ごしていた。俺の、許嫁――後の贄嫁として。だから俺はお前をずっと探していたんだよ、沙夜」
「――うそ」