「早く早くっ!」
鈴姫様(すずひめさま)、お待ちください。そんなに急かされたら、綺麗に身支度できません」
「……(やなぎ)の意地悪」

 別に宮中へ行くわけでもないのに、小袿(こうちぎ)を着替えるなんて馬鹿馬鹿しい。行くのは同じ敷地内にある、お母様の(つぼね)なのよ。
 その心の声が私の世話をする女房、柳に聞こえたのだろう。

「北の方様の局と言えども、身嗜(みだしな)みと鈴姫様に相応しい装いは必要ですよ。特に今は冬。お風邪を召されたら大変ですからね。帝への入内(じゅだい)も決まっている身。体調を崩されたら、この柳の首が飛んでしまいます」
「でもでも、その帝がいいって言ったんでしょう? 猫を飼っても良いと」

 そう、私は近い内に帝の元へ入内する。それも、左大臣家の養女として。すでに左大臣家からは、一の姫様が弘徽殿(こきでん)女御様(にょうごさま)として入内しているのにも関わらず。

 理由は簡単だ。帝との間に御子(みこ)ができないのだ。それに業を煮やした左大臣様が、もう一人、入内できる姫を身内から選んだ。それが私、鈴に白羽の矢が立ったのだ。

 いくら左大臣様でも、二の姫様を入内させることはできないから。それはあまりにも可哀想だ。母が違うとはいえ、姉妹揃って同じ殿方に嫁ぐなんて……。
 二の姫様に御子ができたら、さらに血の海を見ることになるだろう。

「左大臣様に強引に進められたお話ですから、鈴姫様のしたいように、との仰せらしいですね」
「つまり、帝も私の入内に困っているのよ。だから、退屈しないように、と配慮してくださったんだわ」
「鈴姫様。そんなご自分を卑下なさらないでください」
「していないわよ」

 今の話で、どうして話を飛躍させるの? 確かに、帝の渡りなんて期待できないのは、分かり切った話だけど……。

「そんなことよりも、柳。早くしてちょうだい。その猫を見に行きたいんだから」

 あぁ、早く会いたいわ。どんな猫かしら。私の猫になる子は。


***


 左大臣家の身内、と言っても我が家は貧乏貴族。それでも、お母様が左大臣様の叔父の娘、つまり従姉妹ということで、多少援助してもらっていた。

 それは偏に、お母様の美貌のお陰だ。私が今回、選ばれたのも、美しいと評判のお母様の娘だから。私も美しいのだろう、と勝手に邪推された末のこと。

 私はお母様ほど美しくはない。

「私の可愛い鈴には、この子がピッタリだと思うの」

 お母様は常に私をそう呼ぶけれど……。私はちっとも、そう思わない。けれど、お母様が薦めてくれた、白を基調とした三毛猫は……確かに可愛い!

 お母様からその三毛猫を受け取ると、さらに愛おしさが募る。この子となら、寂しい宮中の中にいても耐えられそうだ。

「可愛い上に、毛並みも素敵ですね。いつまでも撫でていたいくらいです」
「しかも、大人しくてあまり鳴かないから、ちょうど良いと思うわ」
「はい。お母様、ありがとうございます」

 私はそう言いながら、三毛猫に頬づりした。

「実はこの猫、帝が鈴にどうかって贈ってくださったのよ」
「え?」

 なんで、また……。

「ふふふっ、どこかで鈴の噂を聞いたのね。今が冬だというのに、猫と一緒にこれもくださったのよ」
「……風鈴ですか?」

 木箱に入った、緑がかった風鈴。取り出した瞬間、チリーンと綺麗な音色が聞こえた。
 すると、三毛猫がそれに驚いたらしく、私の膝から降りて……御簾(みす)の向こうへ。簀子(すのこ)に出てしまった。

「待って!」

 ただの猫ならいざ知らず、帝から贈られてきた猫に逃げられでもしたら、大変なことになる。私は慌ててその後を追った。

「っ!」

 すると外には、淡い水色の直衣(のうし)を身に(まと)った公達(きんだち)がいて、私は扇で顔を隠そうとした。が、慌てて局から出てきてしまったせいで、それができない。
 袖で僅かに隠しながら、私は三毛猫を探した。当然、公達の存在を気にしながら。

「もしや、この猫をお探しですか?」
「えっ!? あっ、そうです。いただいた猫が外に出てしまって」

 よく見ると、公達の腕の中に三毛猫がいた。どうやら飛び出して来たところを捕まえてくれたらしい。
 ホッと胸を撫で下ろすも、さてどうするか。局にいる女房たちは、見知らぬ公達に怯えてしまって頼めない。

「では、この猫の名を呼んでみてください。そうすれば、自ずとそちらへ行きますよ」
「名前? まだ付けていません」
「大丈夫。ただ呼べばいいんです」

 何を言っているんだろう。猫にだって、好みはあるはずだ。もしも、名前が気に入らなかったら……。呼んでも来なかったら……。

「大丈夫です。付けてあげて下さい」

 もう一度、公達が優しく声をかけてくれた。

(ふう)
「にゃ~」

 私がそう呼ぶと、風は公達の腕から飛び出し、簀子へピョンっと跳ねるようにやってきた。

「どうかしら。お名前、気に入ってくれた?」
「にゃ?」
「意味を知りたいそうです」

 風が首を傾げると、何故か公達が答える。不思議に思いつつも、私はその意味を告げた。

「風と一緒に、風鈴を頂いたんです」
「なるほど。鈴姫だから、猫は風と……」
「えっと……」

 私、名乗ったかな?

「姫様。早くこちらへ」

 御簾の中から柳が心配そうな声で催促をする。
 そうだ。今、袖だけで顔を隠しているから、早く戻らないと!

「えっと、風を捕まえてくださり、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」

 色々、疑問は尽きなかったけれど、もう会うこともない公達だ。私はこれから宮中に上がる身の上。それも女御として。


***


 屋敷の塀に止まっていた一羽の黒い鳥が、淡い水色の直衣を着た公達に近づいた。その肩の上に止まるわけでもなく、地面に着地する。

「どうでしたか?」
「うん。綺麗な姫だったよ」
「そちらではなく……」

 黒い鳥が喋っているというのに、公達は一向に動じる様子はない。むしろ、当たり前のように会話を続けた。周りに誰もいないのをいいことに。

「分かっているよ。無事に俺の式神を気に入ってくれた」
「それは良かったです。これで、帝からの依頼を達成できそうですね」
「何を言っているんだ。護衛はこれからなんだぞ。気を引き締めないとね。あと、帝にいい報告ができそうだ」

 公達は黒い鳥に向かって、ニコリと笑う。

「鈴姫はやはり、貴方の探していた姫だったよってね」

 帝は言っていた。幼い頃、寺に預けられていた時に出会った、可愛らしい姫のことを。
 いつか迎えに行きたくても、『鈴』という名前以外、知らぬ姫。下手に探している、と知られれば、野心がある貴族に目をつけられ、不幸にしてしまう恐れがあった。

 だから密かに、陰陽師である俺に依頼したのだ。さらに、陰謀渦巻く宮中に入った後も、無事に過ごせるようにと、護衛まで。

「これからどうなるのか、楽しみだね」
「まるで他人事のように言いますが、為風様(ためかぜさま)もですよ」
「そうだった」

 俺は笑いながら、帝の待つ宮中へ足を向けた。