ローズとの婚約が無事決まり、アカリから受け取った魔王の核の欠片が、青い薔薇を咲かせるのに有効だとわかってから数日たったある日。
 ベアトリーチェに呼び出されたメイジスは、落ち着かない様子の年下の上司を見て首を傾げた。

「『地剣』殿。どうかされたのですか?」

 青い薔薇の管理が容易になり、以前より騎士団に滞在できるようになったベアトリーチェの恋をひっそり応援していた彼は、もしかして恋愛相談? と思いこっそり胸を高鳴らせていた。
 ティア・アルフローレンが存命の頃は、求婚を断られ荒れに荒れていた彼である。
 前より大人になったとは思うものの、新しい婚約者のことで、悩みを抱えているのかもしれない。
 ここは恋の先輩として、彼に相応しいアドバイスをしなくては!

 噂では、彼女は他にレオン王子や騎士団の騎士団長にも思いを寄せられているとのこと。
 しかも彼らは幼馴染ということで、ぱっとでのベアトリーチェが新しい婚約者になったことでいじめられたりしやしていないかメイジスは少し気がかりだったのだ。

「アンクロット。……貴方のことをメイジスと、そう呼んでもいいですか?」
「はい?」

 しかしメイジスの心配とは大きく異なり、ベアトリーチェが自分を呼び出した理由は、自分と彼とのためらしかった。
 年齢よりもはるかに小さな年下の上司は、子どものように手をもじもじさせながら、自分と目線を合わせないようにして話を続ける。

「ユーリは私のことを何も知らなかった。だから彼と共になら、新しい自分になれる気がしました。勿論彼の魔法が、私と正反対だったというのもあります。ただ私がユーリに、自分のことを最初から『ビーチェ』と呼んでもらったのは、貴方のことがあったからなのです。貴方は、最初から私のことを知っていて。出会ってすぐ『地剣』殿と呼ばれたので、そのまま壁が出来てしまって。でも貴方は、いつも私を見守ってくれていて、その……私は、ずっとそんな貴方に感謝していて」

 普段素直に自分の気持ちを口にしないベアトリーチェが、懸命に自分のことを話している。
 メイジスは黙って話を聞いていた。
 何というか微笑ましい。

「私は、貴方との出会いをやり直したい。それは出来ないのは分かっています。だから……今更かもしれませんが、私は貴方と、友人になりたいんです」

 ベアトリーチェはそう言うと、メイジスを見上げた。
 新緑の瞳がきらきらひかる。
 それはまるで、可愛らしい幼い子供のように。

「私のことを名前で呼ばないのは、貴方の妻が私と同じ名前だからですか?」
「いいえ」
 メイジスは首を振った。

「わかっております。貴方は私の妻ではない。……私は、貴方をそういう目で見たことはありません」
「?」

 だったらどうして? ベアトリーチェは首を傾げた。
 小さな彼の体では、その挙動一つ一つが、彼が気を抜くと幼く見える原因になる。
 ユーリやローズの前では大人モードのベアトリーチェだが、メイジスの前――特に二人きりだと、ベアトリーチェはいつも大人スイッチは『オフ』だった。

「妻か、私か。どちらに原因があるかはわかりません。けれど私と彼女の間には、ずっと子供がいなかった。彼女との間に、もし子供が生まれていたならば――私は、貴方のような子どもが欲しかった」

 メイジスはそう言うと、ベアトリーチェの頭を優しく撫でた。 
 その手がくすぐったくて、ベアトリーチェは目をつぶった。

「貴方のように優しい子供が」
 メイジスはそう言うと、ベアトリーチェに手を伸ばした。

「なぜ抱き付いているのです」

 自分より遥かに大きな成人男性に抱き付かれ、ベアトリーチェはむかっとした。
 自分も本当は彼くらいの身長なのに! 目の前の相手の態度は完全に子どもに対するそれだ。

「……離して、下さい!」

 ベアトリーチェは怒りに震えた。バタつくものの抜け出せない。
 おかしい。先日ローズのおかげで成長した自分を見た筈なのに、何故彼は自分への態度を頑なに変えようとしないのか。
 自分への彼の態度は、十年前からまるで変っていない。というか、最近寧ろ昔よりずっと過保護になった。

「子供扱いはやめてくださいと言っているでしょう!?」
「親にとって、いつまでたっても子供は子供でしょう?」

 憤慨するベアトリーチェをメイジスは抱きしめる。
 当然のように言われて、ベアトリーチェは言葉を飲みこんだ。

 ライゼン、ロッド、アンクロット。
 自分には、自分を見守ってくれる沢山の『親』がいるのかもしれない。
 その愛情が、自分に魔法を与えてくれる。
 その全てと、自分はこれまですれ違って生きてきたのかもしれない――そんなことも考える。
 それはわかる。感謝もしている。だが、それとこれとは話が別だ。
 ベアトリーチェは強くメイジスの体を押した。
 結果、ようやくメイジスの腕から逃れることは出来たが、その拍子にベアトリーチェは階段を踏み外してしまった。

「危ない!」
 メイジスは腕を伸ばして、ベアトリーチェの体を支えた。

「貴方は、しっかりしているようでやはり少し抜けていらっしゃる。感情的になると周りが見えなくなるのは、昔からの貴方の悪い癖ですよ」

 それが、ローズを魔王討伐に向かわせるきっかけにもなった。
 またもや自分の欠点をさらっと指摘され、ベアトリーチェの顔が朱に染まった。
 ただ体を支えてもらっている以上、抵抗も出来ずされるがまま動けない。

「……ベアトリーチェ」

 大人しくなった彼を支えていたメイジスは、彼の体を元の位置に戻す際、耳元で名前を呼んだ。

「五月蝿いですよ。メイジス」

 ベアトリーチェは一度はむっとしたものの、彼に名前で呼ばれたことは嬉しくて、彼に向かってにこりと笑った。
 メイジスからすればそれは、100点満点の子どもの笑顔だったともしらず、ベアトリーチェは上機嫌だった。

「ハーブティーをいれます。メイジス、貴方は座っていてください」

 ただ少し照れくさく、ベアトリーチェは地面に足が付くと、パタパタと走ってティーセットをとりに向かった。そんな彼を見て、メイジスは目を細めて笑った。

「成長されましたね」
「何が言いたいのですか……?」

 なんだか嫌な予感がする。ベアトリーチェは怪訝な顔をして尋ねた。

「昔の貴方がいれてくださったハーブティーは、凄くこかったなあと思い出しまして」

 親が子供を見る瞳。
 ベアトリーチェが初めてハーブティーをいれた相手は、実は彼だったりする。
 多く茶葉を入れすぎたそれは不味かったが、メイジス・アンクロットはベアトリーチェの制止を聞かずすべて飲んでしまった。

「だからっ! 子ども扱いはやめてくださいと言っているでしょう!!!」

 十三歳年上の彼の部下は、昔からベアトリーチェを子供扱いする。
 そのせいで、ベアトリーチェは彼の前では子どもっぽくなる癖が抜けない。
 親のような親でない、兄の様な兄ではない、年の離れた友人は、出会った頃からずっと彼の部下だ。
 
 ベアトリーチェは、いれたてのハーブティーをどん、とテーブルに置いた。
 メイジスはそんな彼に静かに笑うばかりで、自分に差し出されたカップに手を伸ばした。

「……美味しい。上手に入れられるようになりましたね」

 ほうと彼は息を吐く。
 ベアトリーチェは彼をじっと見つめていた。
 彼の静かな微笑みは、今の自分が周りに向ける笑顔と何処か似ている。

「……どうしたのですか? 顔が少し赤いようですが」

 自分一人では、きっと変わることなんて出来なくて。
 自分が与えられた分だけ、そういう誰かになりたいと願うたびに。
 今の自分のお手本は彼を含めた周りの大人たちで、昔の自分はユーリに似ている。

 認めたくなくても、結局はそういうことだ。
 誰かの導べになりたいと思う今の自分は、誰かに導かれて作られたものに過ぎない。

「……メイジス」
「はい?」
「私も」

 ベアトリーチェの顔は真っ赤だった。
 ベアトリーチェは素直に気持ちを伝えることが苦手なのだ。それを自覚もしている。

「あ、貴方と出会ったことを、後悔はしていません。貴方が居てくれたから、今の私がある」

 彼から奪った腕のことを、後悔するのはやめる。
 自分の導べとなってくれた人に謝るのではなくて、ありがとうを返したい。
 今のベアトリーチェそう思った。

「ベアトリーチェ!」
 ベアトリーチェの言葉に、メイジスは感激した様子で椅子から立ち上がった。

「やっと自分を赦すことが出来たのですね……! 私は、貴方の成長がとても嬉しい。やっぱり貴方は、優しくていい子です」

 メイジスはそう言うと、ベアトリーチェの頭を撫でまわした。せっかく朝から整えた髪が台無しだ。

「だからっっ!! 子ども扱いするなと言っているでしょう!?」

 ベアトリーチェはメイジスの手を思いっきり振り払い、そして彼の睨んで叫んだ。
 ああもうどうして、彼はいつも自分にこうなのか。そろそろわかってほしい。成長した上司の年齢を。もう自分は、頭を撫でられる様な子どもではないのだ。


「――私はこれでも、もう26歳です!!!」