【二章】



「つまんない……」

 アストライアは自室から赤い月を見上げていた。

 アストライアの専属講師からもらった課題はすべて終え、やることがないのだ。

(……魔力圧縮でもしようかしら)

 強くなればそれなりに褒美などはもらえるが、シンというお気に入りと離れて早数ヶ月。アストライアは何をしても退屈に感じていた。

(シンは、なにをしているのかしら)

 アストライアの頭に浮かぶのは、シンのことばかりだ。恋愛感情ではないのだが、どうしても気になってしまう。

(オズヴィーンの稽古は厳しいけれど、シンなら大丈夫……よね)

 アストライアは何度かオズヴィーンの稽古を受けたことがある。アストライアでもかなり辛かった。

 ちなみに武術の方を教わりたかったのだが、魔王に「それは絶対にダメっ!」と言われて、まだ武術の指南は受けていない。

 非常に残念である。

「はぁ……【瑞水】【治癒】」

 魔法を詠唱し、アストライアは魔法の研究を始めた。現在アストライアは広域治癒魔法の展開、発動の研究をしている。

 【治癒】を付与した【瑞水】を【風吹】で飛ばして一気に回復させる。そうすれば広域治癒魔法が可能なのではないかと思ったのだ。

 問題は【瑞水】に【治癒】を付与することだ。かなり綺麗な【瑞水】でなければ【瑞水】を【治癒】で綺麗にしてしまうことになる。

 何度か挑戦しているのだが、あまりうまくいかない。アストライアが苦戦するとなれば、他の者が行使するのは難しいということになる。

 また、広域治癒魔法が完成しても、今のままでは【瑞水】【治癒】【風吹】と三つの魔法を詠唱しなければならない。そうなると時間がかかるので戦場では不向きだ。

 アストライアが広域治癒魔法を研究するのは父、ライゼーテ魔王からの(めい)だ。今は休戦中だが、いつ戦の狼煙(のろし)が上がるかわからない。

(【瑞水】だと【治癒】と相性が悪いのね。……なら【氷結】ならどうなのかしら)

 【瑞水】にこだわるのをやめ、アストライアは【氷結】を展開、発動する。

 【氷結】は氷の魔法だ。【瑞水】と違って綺麗、汚いははっきりとしていないため、【治癒】との相性が良いのではないかと考えたのだ。

「【氷結】【治癒】」

 【氷結】と【治癒】を展開、発動させる。

 するとーー

「! ……できた」

 【氷結】に【治癒】がそのまま付与された。【氷結】は【治癒】されていない。成功である。

「フローラ」
「何ですか、アストライア姫様」
「負傷した兵士たちはいるかしら?」
「少しお待ちを。…………どうやらいるみたいです。【転移】」

 負傷した兵士たちがまだいることを確認し、アストライアはフローラと共に医務室に転移した。



「! アストライア様……!」
「ここに負傷した方がいらっしゃると聞いたのだけれど、どこかしら?」
「こちらです」

 医務官に案内され、アストライアは兵士たちの元へと歩む。

 【治癒】ぐらいならば普通の兵士でも使えるがオズヴィーンが【治癒】をする時間を与えず、絶え間なく攻撃を入れるので、最近の兵士たちは皆、医務官に【治癒】をかけてもらわないといけないのだ。

「おとーさまに頼まれていた研究の実験をしたいの。多分完璧だと思うけど一応、ね」
「! それはそれは……わたくしたちの手間も省けますし、是非お願いいたします!」
「えぇ、そのつもりよ。……【氷結】【治癒】【風吹】」

 【氷結】に【治癒】が付与され、それを【風吹】で兵士たちに降り注ぐ。なにも問題なく終わる……とアストライアは思っていたのだが。

「ぎゃっ!」
「痛て、痛って!」

 (あられ)のようなものが兵士たちに降り注ぐ。

「あ、一個忘れてた」

 【氷結】【治癒】【風吹】で完璧だと思っていたのだが【氷結】を溶かすのを忘れていた。【火焔】をかけなければならなかったのだ。

「ごめんなさい、もう一回実験に付き合って。……【氷結】【治癒】【火焔】【風吹】」

 だが今度は【氷結】が【火焔】で溶け、水になったものが【治癒】されてしまった。【瑞水】の時と結果的に変わらなくなってしまった。

 アストライアはため息を吐く。

(まだまだ研究する必要があるわね)
「何度もごめんなさい。お詫びにいつもよりも強力な【治癒】を施すわね。……心も体も【癒えて治って】!」

 すると兵士たちの身体が光り輝き、体力も気力も回復した。

「ありがとうございます、アストライア様!」
「またオズヴィーン騎士団長のところで頑張ってきます!」
「えぇ、頑張って。……あ、一つ訊きたいことがあるのだけれど」
「? 何でしょうか」

 シンの様子はどうかと訊きたかったのだ。

 だけどーー。

「あの、シンは…………いえ、ごめんなさい。なんでもないわ」
「そうですか。では、失礼します」

 バタン、と扉が閉まる。そしてアストライアは兵士たちに振っていた手をやめ、下ろした。

 アストライアの後ろにはフローラが静かに見ていた。

「よかったのですか、アストライア姫様」
「なにが?」

 アストライアはなるべく平然としているように声色に気をつけた。だが、生まれる前からの付き合いのフローラにはお見通しだった。

「アストライア姫様が従者にすると言っていた人間のことですよ。兵士たちに訊かなくてよかったのですか?」
「…………いいのよ、別に」
「そうですか」

 その後フローラはこの話題について触れなかった。

(本当は、訊きたかったわよ)

 そんなフローラの態度が、アストライアの心にもっと、影響を与える。

 契約の条件は接触禁止なので、他者から訊いてはいけない、という訳ではない。

(でも、もし訊いてはダメってなったら、シンは私の従者にできないもの)

 魔王が契約内容を変更するとはアストライアも思っていない。だがもしかしたら、と考えると、すごくアストライアは怖くなるのだった。

(シン。あなたと私が共にした時間はたった少しだけ。でも、あなたが私のお気に入りになるにはそれだけで十分だったのよ)

 きっとアストライアがシンのことについて尋ね、知れば、それだけで嬉しくなるだろう。

 だけどアストライアが訊かないのは、シンと約束したからだ。

『絶対、強くなって、俺、ティアのこと守れるようになるから』
『うん』
『諦めたらなんか、しないから』
『うん』

 あの時のシンを、アストライアは何度も思い出し、絶対に忘れることはない。

 それほどあの時のシンは、美しかったのだ。そして初めて、アストライアが男の子の泣きそうな表情を見たのだ。

(まるで涙が宝石のようだったわね)

 シンの持つ全てが、アストライアを魅了するのだ。

「フローラ」
「自室に戻りましょう、アストライア姫様」

 フローラがアストライアに手を差し伸べ、それをアストライアは優雅に掴む。

(さ、私も頑張らないとね)
「フローラ」
「わかりました。……【転移】」

 フローラはアストライアの言葉から指示を汲み取り、【転移】を展開、発動した。



「夕食時まで部屋に(こも)るわ。……フローラ」
「その時になればお呼びいたしますね」
「えぇ、お願い」

 フローラが部屋を出ていくのを確認すると、アストライアは研究の続きを始めた。