「…………はあああぁぁぁっ!?」

 シンの大きな叫び声に、アストライアは思わず耳を塞ぐ。

「そんなに驚くこと?」
「驚くに決まってんだろ!」

 今回の場合はシンが正しい。だが魔界にアストライアのことを知らない者がいなかったこともあり、アストライアの反応も正しいと言える。どっちもどっちだ。

「俺、てっきりティアはどっかの高貴なお貴族様だと勘違いしてた……」
「高貴なことに変わりはないと思うけど?」
「王族と上級貴族を一緒にすんなっ!」
「えぇ〜?」

 国を動かすことのできる王族と、魔力の多い権力者の集いの上級貴族。どちらも魔力が多い一族だが、権力の大きさは桁違いだ。全然違う。

 もちろんそのことをアストライアも知っている。だが知らないフリをするのは、シンの前だからだ。

 アストライアにこんなにも砕けて話のできる者は、アストライアの親族以外にはシンしかいないだろう。

 周りが効果と驚きの視線をシンに向けた。そしてざわめき始める。

「おい、アストライア様と話している奴は誰だ?」
「かなり親しげだな……。どこの家だ?」
「……ん? あいつ、魔族か? 人間じゃないか?」
「えっ、人間っ!?」

 アストライアはシンに隠蔽魔法をかけていない。それは存在自体もだが、人間とわかる部分もだ。

 現在休戦状態の魔界と人間界だが、いつ戦争が再開してもおかしくない状況にある。魔界の、しかも魔王の住まう魔王城に人間がいるとなれば、周りがそのように反応するのも自然なことだった。

「騎士団を呼べ! 急げ!」
「いや、間に合わないかもしれない! 急がないと取り返しのつかないことになるぞ!」
「アストライア様! 離れてください!」

 ざっという音がして、アストライアとシンを囲っていた魔族たちが一斉に魔法陣を展開する。

(愚かな者たち)

 アストライアはそんな魔族たちを冷たく見つめる。

 このあとに待ち受ける悲しき運命に、自分たち自らが突っ込んで行くような、愚かな行為だったからだ。

(私が魔法でチャチャッとやればすぐに終わるけど……)

 アストライアは隣にいるシンに視線を移す。シンはーー震えていた。

「シン」
「…………」
「シン?」

 呼び掛けても応答がない。シンの顔はどんどん青白くなっている。

 だがそれは当たり前の反応だ。今、アストライアとシンを囲っている魔族たちは、そのほとんどが上級貴族なのだから。

 シンの魔力の質はいい。だが、その魔力の使い方はまだよくわかっていない。ある程度の魔法は使えたとしても、精度はイマイチだろう。

 おそらくシンは『防御』に魔力を全て注ぎ込む。だがシンの『防御』は上級貴族たちの攻撃を受け切れるだろうか。否、十中八九シンごと消え失せてしまうだろう。

(仕方のないことね。でも、今はそれよりも大事なことがあるわ……)

 魔王城では許可のない魔法の展開は禁止されている。だが彼らは今、魔王城内で魔法を、しかも第二王女であるアストライアがいる中展開しようとしている。

「消え失せろ、人間! 【火焔】!」
「【氷結】!」
「【緑化】!」
「【風吹】!」

 魔族たちが同時に魔法陣を展開し、アストライアの隣にいるシンに攻撃を目論む。

「っ! ……【防御】!」

 シンは震えながらも魔法陣を展開した。だがそれは上級貴族の攻撃を全て受け止められるほど強くはない。

 シンは恐怖で目を瞑る。

「誰か、助けてくれ……!」
「助けるに決まってるじゃない」

 だが魔族たちよりも遅く、シンよりも早く魔法陣を展開した者がいた。

 ーーアストライアだった。

「【防壁】」

 アストライアは二度目の【防壁】を展開をする。アストライアの魔法は強力だ。そんな【防壁】を二つも展開すれば、シンの命は絶対の保証ができた。

「ティア……」
「安心して、シン。私、自分の【防壁】の精度には自信があるの」

 アストライアの【防壁】の外で、白い煙が上がる。先程の上級貴族たちの攻撃の【火焔】と【氷結】がぶつかり、水蒸気が発生したのだ。

 しばらくは視界が曇ってよく見えないだろう。

 シンはアストライアの言葉を聞くと、魔法陣を解除し、へなへなと床に座り込んだ。気が抜けたと思われる。

 シンは安堵の息を吐き、そして悔しそうな表情(かお)をした。

「シン?」
「……情けないな、俺」
「なにが?」

 アストライアは首を傾げる。

 シンはミッドナイトブルーの髪を、くしゃくしゃと掴んだ。

「俺はあんたの従者なのに、守る側のはずなのに、主人(あるじ)に守られた。立場があべこべだ。格好悪い」
「そうかしら? だってシンは今まで本格的な魔法の鍛錬は積んでいないのでしょう? 私を守れなくて当然よ」
「…………」
(そんなに深く思い詰めなくてもいいのだけれど……)

 だがシンにとっては序列や関係性は重要なものなのだ。

 人間界で平民だったシンは、貴族に歯向かえば自分の命など簡単に消え失せる。命を賭けて主君(きぞく)を守るのが平民の宿命。

 それがシンの当たり前だったのだ。

 だが現在、シンは自分よりも幼く、高い身分の王族であり、且つ己の主人(あるじ)であるアストライアに守られた。

(でも、そうね……)

 これは紛れもない事実で、シンが落ち込むには十分過ぎる材料だった。

(私とあなた(シン)は違う種族(いきもの)だもの。価値観や考え方だって違う)

 男と女。平民と王族。そして、人間と魔族。それが、シンとアストライアだ。

「過去は変えられない。だけど未来は変えられる。そんなに悔やむのならば、いつか私を守れるぐらいに強くなって、シン」
「……あぁ、約束する」
(いい目つきになってきたじゃない)

 シンのピーコックブルーの瞳は、少し前と比べても、驚くほど変化していた。絶望の底からアストライアが手を差し伸べ、地上に引き上げたからだ。

 目標を持ったシンは、晴々としていた。

 だがアストライアは知っている。

 一部の者は張り切り過ぎて、転んだ時立ち上がれなくなったり、頑張り過ぎて逆効果を生み出したりしてしまうのだ。

「あ、でも頑張り過ぎるのもダメよ? シンはまだ子供なんだから」
「…………あんた、何歳だよ」
「六歳だけど?」
「俺より三つも年下なのかよ」
「悪い?」
「そうじゃない。変な奴だと思っただけだ」
「まぁ!」

 主人(あるじ)に対して口が悪いとアストライアは思う。

 しかしシンより年下のアストライアが、大人のような口振りをするのは、何か変な気分だとシンは思ったのだ。

「でも、無理のし過ぎはダメよ?」
「わかった」

 アストライアはシンの言葉を聞くと、ふっと笑った。

「!」

 その笑みの美しさに、シンは見惚れる。だがすぐに元の表情に戻ってしまった。

 しかしそんなシンの反応は、自分の感情を隠すためだとアストライアは悟る。それがなんだか可愛らしくアストライアは感じた。

(なんだかんだ言って、シンもただの男の子だものね。……ふふっ、シンには悪いけど、結構可愛いところがあるのね)
「ティア?」
「なんでもないわ」

 すると、コツコツという音が聞こえてきた。足音は複数。アストライアはその音に聞き覚えがあった。

「シン。私の(そば)を離れないでね」
「! ……わかった」

 それはだんだんと大きくなり、アストライアとシンに近づいて来る。アストライアの顔は険しいものになっていった。

 白い煙の向こうから、誰かがやって来るのをシンも感じた。影がまた一つ、二つと増えていく。

「アストライア姫様、ご無事ですか?」
「アストライア姫殿下、そこにいるのはわかっています。降参を要求します」

 女性の声と男性の声が聞こえた。それぞれ反対の方向から聞こえてきた。

 シンはアストライアのドレスの裾を掴む。女性と男性から、恐ろしいほどの魔力量を感知したからだ。

「フローラ、オズヴィーン」

 アストライアは誰かの名前を呼ぶ。白い煙から女性と男性が現れた。

 女性はヘリオトロープの髪を束ねており、フリルとリボンのついた、黒を基調としたメイド服を見に包んでいる。ミントグリーンの瞳は、アストライアを捉えていた。

 男性はコチニールレッドの髪をしていた。左腰にはロングソードを提げている。鎧兜(よろいかぶと)を着ており、胸には騎士団長の証である勲章が付いていた。セレストブルーの瞳はシンから視線を離さない。

「アストライア姫様。分かっていますね?」
「アストライア姫殿下。その者についての説明を願います」

 アストライアは、逃げ道を塞がれた。