(何か事情があるのだとは思っていたけれど……)
アストライアは驚き、というよりも疑問の念を抱いていた。
勇者というのは人間界にいる天使様の加護を持つ者のことだ。天使様の加護を持つ勇者は、どんな攻撃でも魔族には致命傷になる威力がある。
そんな勇者は、人間界を支配しようとしているアストライアたち魔族の強敵であり、人間界の希望の光のはずだ。
(そんな勇者を、ね……)
アストライアは、何か面白いことがありそうな予感がした。
「先に教えて、シン。あなたが勇者を殺してほしい理由は何?」
「……詳しくは言えない。だけどーー」
シンのピーコックブルーの瞳に、アストライアが映った。
「大切な人を、幸せにするためだ」
(へぇ……まるで愛の告白ね)
シンには魔界に来てまで幸せにしたい、大切な人がいるようだ。
それがアストライアには嫌と言うほど伝わった。
アストライアは再度シンを観察した。
アストライアの魔法によって綺麗になったシンはとても美しい。また、元いた村で武芸に励んでいたのか、体格も良い。
(そして何より、この魔力……)
シンから溢れ出ている魔力は、アストライアに劣るが、かなりの高精度、高濃度の魔力だ。魔力増幅の鍛錬に励めば、魔力量もいずれ増えるだろう。
だが、勇者を殺すことは容易ではない。
(……私ができるのは一つだけね)
「ねぇシン。あなたは何故、私たち魔族がたかが人間の勇者に勝てないか、わかる?」
「? ……わからない」
「勇者が天使様の愛子だからよ」
天使様の加護を持っている人間は、かなりの少人数だ。だが、一人ではない。
そのうちの一人に、天使様の愛子と呼ばれる者がいる。天使様の愛子は世界に一人だけだ。
天使様の愛子は、通常の天使様の加護を持つ者よりも強い力を生まれながらに手にしている。
天使様の加護の中には、攻撃以外にも防御や治癒があるが、最も大きいのは《死んでも一度だけ生き返る能力》だ。
つまりただでさえ強い勇者は、命が二つあることになる。結論を言えば、人間の中ではトップレベルに強い最強の類の人種だろう。
「そんな勇者を殺して? 殺せるものならとっくのとうに殺してるわよ。バカにしてるの?」
「……そう言うつもりじゃなかった」
シンはアストライアに謝る。だがアストライアは許さずに怒った演技を続けた。
「勇者を殺そうと奮闘する私たち魔族を、あなたは煽ったようなものよ。失礼にも程があるわ」
「……ごめん」
アストライアは限界までシンを申し訳なさで追い込む。無茶な交渉を了承してもらうためには、ある程度の心構えが必要なのだ。
「で? シン。そんな今の魔族が成し遂げられていない願いを叶える代償に、あなたは何を私に捧げられるのかしら?」
「ーー俺は、俺の命をあんたに捧げる」
「へぇ……」
だが、口ではなんとでも言える。哀れにも、良い歳をして惨めに言い訳をする魔族を、人間を、アストライアは今までに何度も見てきた。
口約束は信用などできない。
アストライアはシンの本気度を試すことにした。
「【創造】」
「!?」
硬い金属音が響き、小さく華奢なアストライアの手に、鈍い色をしたナイフが顕現する。ずっしりしていて重そうだ。
そんなナイフを、アストライアはシンの首に触れるか触れないかなギリギリで止める。
刃物を武器として扱うのは簡単じゃない。だがアストライアはそれを平然と使っている。その年齢でその腕前の者はなかなかいないだろう。
シンはゴクリと息を呑む。冷や汗が額を伝い、地面に一粒落ちた。
アストライアは不敵に笑う。
「本当に、あなたは私に命を捧げられる?」
人は追い詰められて初めて、本性を出す。
アストライアはそれをよく知っている。
だけどーー。
「……言ったはずだ」
決意が揺るぎない者は、どんな時でも揺れない。
「俺はあんたに命を捧げると言った。つまり俺の命はあんたのものだと言うことだ。あんたが俺の命をどう使おうと、俺は勇者を殺してくれればそれでいい」
ピーコックブルーがアストライアを射る。アストライアはスッとナイフを横に振り、シンの首を薄く切る。
だがシンはそれにも動じず、それどころかアストライアの握るナイフを強く握り締めた。
「!? シン、何を……」
「殺す前に契約はしろ。これだけの血があれば、血判は大丈夫だよな」
「!」
(この子、本気なのね……)
一連の動作に恐怖を感じていないところ、シンが自分からナイフを握り締めたところ、そして何より驚いたシンの覚悟。
「〜〜っ!」
アストライアは胸がゾクっと踊るのを感じる。
(あぁ、なんて私は恵まれているのかしら)
抑えきれない興奮が笑みに変わりそうになるのを悟ると、シンにナイフを突きつけたまま、下を見た。
「おいティア。どうかしたか?」
(さいっこう! 本当に面白いわ……!)
シンは体格、顔立ち、魔力量……全てをとっても得難い稀有な存在だ。そしてアストライアは欲していた。自分の願いを何でも叶えてくれる、優秀で有能、且つ美しい従者を。
シンはアストライアの要望に全て当てはまる、そして数年後にはアストライアのお気に入りとなる、最高の者だった。
「ーーいいわ。あなたの願い、叶えてあげる。その代わり、あなたは私の従者になりなさい」
「! ……よろこんで」
アストライアはその言葉を聞くと、ナイフを下ろして契約魔法を詠唱した。
「【契約】」
アストライアとシンの間に魔法陣が発現する。主従契約の際の魔法陣だ。あとは互いの条件を提示し、魔力で染めた血液で契約を交わすだけだ。
「シン。私を主人とし、私の従者になりなさい」
「わかった。……ティア。勇者を殺してくれ」
「約束するわ」
魔法陣が光を帯びた。シンはナイフを握り、血で爛れさせた手を、アストライアはナイフで指先を軽く切り、ぷくりと出てきた血を、魔法陣に触れる。
魔法陣は大きく展開し、アストライアとシンの周りを覆う。そして一瞬、多量の光を放ち、何事もなかったかのように消えた。
主従契約の完了だ。
「よろしくね、シン」
「こちらこそよろしくな、ティア」
二人はしばし互いを見つめ合う。先に動いたのはアストライアだった。
「じゃ、契約も終えたし、帰りましょうか。……【転移】」
アストライアは詠唱し、シンと共に帰った。
「……ここは」
「私の家よ?」
見るからに高級そうな造り。広い部屋、長い廊下。あちこちにいる魔族の者たち。そしてアストライアが現れた瞬間にざわつき、揺れた空気。
もちろんアストライアの帰って来た場所は、火山の頂上の花畑に来る前にいた魔王城である。
シンはここがどこか、どんな場所かを理解していた。またそのことをアストライアも理解していた。
「……え?」
「? 聞こえなかったの、シン? ここが私の家だと言っているの」
「ここ、魔王城だぞ?」
「えぇ。そうだけど?」
そう、アストライアの家は魔王城だ。
魔王城に住めるのは限られた者のみ。アストライアは六歳の幼女なことに加えて、当然でしょとでも言うかのような言葉。
アストライアが何者なのかをシンが悟るのに、そう時間はかからなかった。
「…………ティア」
「なにかしら?」
「あんた、何者なんだ……」
呆然とするシンに、アストライアは首を傾げ、数秒後、「あぁ、そう言うこと」と言ってシンの言いたいことを理解した……フリをした。
アストライアはドレスの端を優しく掴む。
「嘘は言ってないわよ? ティアは私の愛称だし」
そして優雅にシンに名乗った。
「私はアストライア・エイベル。この国の第二王女よ」
アストライアを一見、華奢で可愛らしい印象を持つ一方、どこか大人びていて美しいと感じる者は多い。
それは、アストライアが王族としての誇りと所作を身につけているからだ。
そのことをシンが知ったのは、もう少し後のお話だった。
アストライアは驚き、というよりも疑問の念を抱いていた。
勇者というのは人間界にいる天使様の加護を持つ者のことだ。天使様の加護を持つ勇者は、どんな攻撃でも魔族には致命傷になる威力がある。
そんな勇者は、人間界を支配しようとしているアストライアたち魔族の強敵であり、人間界の希望の光のはずだ。
(そんな勇者を、ね……)
アストライアは、何か面白いことがありそうな予感がした。
「先に教えて、シン。あなたが勇者を殺してほしい理由は何?」
「……詳しくは言えない。だけどーー」
シンのピーコックブルーの瞳に、アストライアが映った。
「大切な人を、幸せにするためだ」
(へぇ……まるで愛の告白ね)
シンには魔界に来てまで幸せにしたい、大切な人がいるようだ。
それがアストライアには嫌と言うほど伝わった。
アストライアは再度シンを観察した。
アストライアの魔法によって綺麗になったシンはとても美しい。また、元いた村で武芸に励んでいたのか、体格も良い。
(そして何より、この魔力……)
シンから溢れ出ている魔力は、アストライアに劣るが、かなりの高精度、高濃度の魔力だ。魔力増幅の鍛錬に励めば、魔力量もいずれ増えるだろう。
だが、勇者を殺すことは容易ではない。
(……私ができるのは一つだけね)
「ねぇシン。あなたは何故、私たち魔族がたかが人間の勇者に勝てないか、わかる?」
「? ……わからない」
「勇者が天使様の愛子だからよ」
天使様の加護を持っている人間は、かなりの少人数だ。だが、一人ではない。
そのうちの一人に、天使様の愛子と呼ばれる者がいる。天使様の愛子は世界に一人だけだ。
天使様の愛子は、通常の天使様の加護を持つ者よりも強い力を生まれながらに手にしている。
天使様の加護の中には、攻撃以外にも防御や治癒があるが、最も大きいのは《死んでも一度だけ生き返る能力》だ。
つまりただでさえ強い勇者は、命が二つあることになる。結論を言えば、人間の中ではトップレベルに強い最強の類の人種だろう。
「そんな勇者を殺して? 殺せるものならとっくのとうに殺してるわよ。バカにしてるの?」
「……そう言うつもりじゃなかった」
シンはアストライアに謝る。だがアストライアは許さずに怒った演技を続けた。
「勇者を殺そうと奮闘する私たち魔族を、あなたは煽ったようなものよ。失礼にも程があるわ」
「……ごめん」
アストライアは限界までシンを申し訳なさで追い込む。無茶な交渉を了承してもらうためには、ある程度の心構えが必要なのだ。
「で? シン。そんな今の魔族が成し遂げられていない願いを叶える代償に、あなたは何を私に捧げられるのかしら?」
「ーー俺は、俺の命をあんたに捧げる」
「へぇ……」
だが、口ではなんとでも言える。哀れにも、良い歳をして惨めに言い訳をする魔族を、人間を、アストライアは今までに何度も見てきた。
口約束は信用などできない。
アストライアはシンの本気度を試すことにした。
「【創造】」
「!?」
硬い金属音が響き、小さく華奢なアストライアの手に、鈍い色をしたナイフが顕現する。ずっしりしていて重そうだ。
そんなナイフを、アストライアはシンの首に触れるか触れないかなギリギリで止める。
刃物を武器として扱うのは簡単じゃない。だがアストライアはそれを平然と使っている。その年齢でその腕前の者はなかなかいないだろう。
シンはゴクリと息を呑む。冷や汗が額を伝い、地面に一粒落ちた。
アストライアは不敵に笑う。
「本当に、あなたは私に命を捧げられる?」
人は追い詰められて初めて、本性を出す。
アストライアはそれをよく知っている。
だけどーー。
「……言ったはずだ」
決意が揺るぎない者は、どんな時でも揺れない。
「俺はあんたに命を捧げると言った。つまり俺の命はあんたのものだと言うことだ。あんたが俺の命をどう使おうと、俺は勇者を殺してくれればそれでいい」
ピーコックブルーがアストライアを射る。アストライアはスッとナイフを横に振り、シンの首を薄く切る。
だがシンはそれにも動じず、それどころかアストライアの握るナイフを強く握り締めた。
「!? シン、何を……」
「殺す前に契約はしろ。これだけの血があれば、血判は大丈夫だよな」
「!」
(この子、本気なのね……)
一連の動作に恐怖を感じていないところ、シンが自分からナイフを握り締めたところ、そして何より驚いたシンの覚悟。
「〜〜っ!」
アストライアは胸がゾクっと踊るのを感じる。
(あぁ、なんて私は恵まれているのかしら)
抑えきれない興奮が笑みに変わりそうになるのを悟ると、シンにナイフを突きつけたまま、下を見た。
「おいティア。どうかしたか?」
(さいっこう! 本当に面白いわ……!)
シンは体格、顔立ち、魔力量……全てをとっても得難い稀有な存在だ。そしてアストライアは欲していた。自分の願いを何でも叶えてくれる、優秀で有能、且つ美しい従者を。
シンはアストライアの要望に全て当てはまる、そして数年後にはアストライアのお気に入りとなる、最高の者だった。
「ーーいいわ。あなたの願い、叶えてあげる。その代わり、あなたは私の従者になりなさい」
「! ……よろこんで」
アストライアはその言葉を聞くと、ナイフを下ろして契約魔法を詠唱した。
「【契約】」
アストライアとシンの間に魔法陣が発現する。主従契約の際の魔法陣だ。あとは互いの条件を提示し、魔力で染めた血液で契約を交わすだけだ。
「シン。私を主人とし、私の従者になりなさい」
「わかった。……ティア。勇者を殺してくれ」
「約束するわ」
魔法陣が光を帯びた。シンはナイフを握り、血で爛れさせた手を、アストライアはナイフで指先を軽く切り、ぷくりと出てきた血を、魔法陣に触れる。
魔法陣は大きく展開し、アストライアとシンの周りを覆う。そして一瞬、多量の光を放ち、何事もなかったかのように消えた。
主従契約の完了だ。
「よろしくね、シン」
「こちらこそよろしくな、ティア」
二人はしばし互いを見つめ合う。先に動いたのはアストライアだった。
「じゃ、契約も終えたし、帰りましょうか。……【転移】」
アストライアは詠唱し、シンと共に帰った。
「……ここは」
「私の家よ?」
見るからに高級そうな造り。広い部屋、長い廊下。あちこちにいる魔族の者たち。そしてアストライアが現れた瞬間にざわつき、揺れた空気。
もちろんアストライアの帰って来た場所は、火山の頂上の花畑に来る前にいた魔王城である。
シンはここがどこか、どんな場所かを理解していた。またそのことをアストライアも理解していた。
「……え?」
「? 聞こえなかったの、シン? ここが私の家だと言っているの」
「ここ、魔王城だぞ?」
「えぇ。そうだけど?」
そう、アストライアの家は魔王城だ。
魔王城に住めるのは限られた者のみ。アストライアは六歳の幼女なことに加えて、当然でしょとでも言うかのような言葉。
アストライアが何者なのかをシンが悟るのに、そう時間はかからなかった。
「…………ティア」
「なにかしら?」
「あんた、何者なんだ……」
呆然とするシンに、アストライアは首を傾げ、数秒後、「あぁ、そう言うこと」と言ってシンの言いたいことを理解した……フリをした。
アストライアはドレスの端を優しく掴む。
「嘘は言ってないわよ? ティアは私の愛称だし」
そして優雅にシンに名乗った。
「私はアストライア・エイベル。この国の第二王女よ」
アストライアを一見、華奢で可愛らしい印象を持つ一方、どこか大人びていて美しいと感じる者は多い。
それは、アストライアが王族としての誇りと所作を身につけているからだ。
そのことをシンが知ったのは、もう少し後のお話だった。