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「オリバー」
「あっ、戻って来たんだ」
「出番だし」
「そうだよね。……ふふっ」
「……なに」
「いや、声が……ふふっ、あははっ」
「…………」
「ごめん、やっぱりおかしい……っ」

 少女シノーーもといシンは楽しそうに笑うオリバーを睨む。
 こうなったのはヒューリが持って来た試薬品を事故でシンが飲んでしまったことから始まる。
 ヒューリが作っていたのは一時的に異性の体になる薬だ。
 オリバーの潜入捜査を手助けできないかと開発していたらしい。
 しかしまだそれは試薬品。
 完成品ではないため、当然何かしらの欠陥があった。
 効力が強いため、少なくとも3時間は異性の体のままなのだ。
 潜入捜査には打って付けの薬だが、一般人からしたら3時間は長い。
 そのためヒューリは解除薬を作っていたのだが……それもまた試験段階の未完成品だった。

「はぁ……この姿で師匠との試合、できるのかな?」
「できなくはないと思うけど……観客はどよめくよね」
「やっぱりかぁ……」

 現在、シンは女子用の戦闘服を着ている。
 通気性の良い黒ベースの防水素材でできたフード付きパーカーと半ズボン。
 【防御】が付与されたインナー。
 隠し武器としてズボンの裏に短剣三本と針五つ。
 隠し武器はヒューリとオリバーが「女子なんだから護身用に絶対必要だよ!」と言ったため携帯している。
 女子用の戦闘服にしたのは薬を飲む前に着ていた服は主に胸部がきつく苦しかったためだ。

「いやぁ、にしても見た目も声も女子のシン……今はシノだっけ? の女体化姿は過去一面白いよ。見られて満足満足」
「オリバーも飲むか? 飲もう? 飲め。似合うと思うぞ」
「えー、やだ。そ・れ・に」

 オリバーはヒューリの方に視線を向ける。
 そこにはシンと同じように試薬品を飲んだヒューリがいた。
 いつもはヘラヘラしてばかりの回復薬の匂いを纏う最悪中年なんじゃないかと疑われる不摂生なヒューリだが、女性と化した姿は何故か不思議な雰囲気の印象となる。
 シンに事故とは言えど申し訳ないということで自身も服薬したヒューリだが、女性の姿は似合っているので罰的なものになっていない。

「あ、あのう〜〜っ」
「ん、なんでしょうか?」
「はうっ……!」
「もしかして……私を口説きに?」
「え!? あっ、はい……っ」

 ヒューリに三人の男が近づく。
 頰が紅潮し、上気している。
 好意を抱いているのだろうか。
 だが相手は女性と化した中身は見た目とは真逆を行くあのヒューリ。
 男たちはヒューリ()だとわかっているのだろうか。
 シンとオリバーは視線で会話する。

「(すごく怖いんだが……)」
「(大丈夫。僕も同じ)」
「後ろのお二人は?」
「「お、俺たちも同じです!!」」
「そうなのですね。ではーー」

 ヒューリは口角を上げる。

「奥の部屋でお・は・な・し、しませんか?」
「お、お話とは……?」
「それは……百戦錬磨の皆様は意地悪ですね。女ならば一つや二つくらい秘密にしたいこともございますのに……」

 ヒューリは眉尻を下げ、悲しげに、そして少し恥ずかしそうにする。
 そんなヒューリの表情に男たちは釘付け。
 完全に堕ちたと確信したヒューリは奥へと手招きする。
 だがしかし、妖艶な展開になることはない。
 そう断言できるのは、シンもオリバーも何度かヒューリに捕まり、酷い目に遭ったからだ。
 軽い人体実験(オリバーの場合は魔族体実験)をされたり、変な試薬品(足が遅くなる薬や魔力消費が増える薬など。「こんな薬入ります?」と聞くと大抵「いつか役立つかも知れないよ?」と答えられる)を飲まされたり……。

(命知らず……いや、無知なだけか)

 シンとオリバーは共通で、中年のおじさんが女装した中年のおじさんを口説こうとする気持ち悪い絵図を想像する。
 もしヒューリがそれを知れば「まだ29なんだけど?」と苦い顔をして中年ではないことを指摘するだろう。
 だがそれと同時にシンとオリバーは口を揃えて「「不摂生じゃなくなれば少しはマシになるかと(思います)」」と言うに違いない。

「オリバー。あと何分くらいで薬の効果が切れる?」
「うーん……最低でも1時間はかかると思うよ。早くても、ね」
「そうだよなぁ……」

 あと30分もすればシンとヒューリの決勝が始まる。
 女体化したまま戦うのは確定事項だ。

「……シンはオズヴィーン様に勝ちたいんだよね?」
「今更何を……」

 オズヴィーンに勝利すればシンの実力は認められたも同然。
 アストライアの専属騎士に異論を申し出る魔族は確実に少なくなる。

本当の姿(シン)だったとしてもオズヴィーン様には勝てない。だから正攻法で勝とうとするのは諦めよう。この剣術大会のルール、覚えてる?」

 服装は自由。
 魔法は使用可能。
 (↑ただし、剣を使っての決着をつけなければいけない)

 主なものはこの三つだ。

「……つまり魔法を使って最終的に剣で勝敗を決める、と」
「そういうこと。ヒューリ様から魔法についての指導を受けているんだし、魔法ならなんとかなるんじゃない? 高等魔法が使えると言っても、【凍結】や【業火】は僕にも使える」

 オズヴィーンはヒューリの【業火】に対して【凍結】を使い(ふせ)いだ。
 【業火】や【凍結】は高等魔法を練習するときのはじめに行う、要は高等魔法の中の初歩なのだ。
 剣と魔法を同時に使って戦うことは多い。騎士団長のオズヴィーンなら【風吹】より強い【旋風】や、【天雷】より強い【万雷】などの高等魔法も使えるだろう。

「でも、絶対詠唱魔法を使われたら無理だ」

 魔法には種類がある。

 一般魔法…誰でも使える基礎魔法。
 例、【火焔】【氷結】【天雷】【風吹】
 高等魔法…魔力の多い者が使える魔法。
 例、【業火】【凍結】【万雷】【旋風】
 特化魔法…威力は強いが魔力消費は激しい魔法。
 例、【紅蓮】【氷霜】【爆雷】【狂風】



 そして、魔界にも数人しか使える者がいないその系統最強の魔法ーー絶対詠唱魔法。



 絶対詠唱魔法を使えるのは、有名な魔族だと筆頭魔術師のヒューリや魔王ライゼーテだ。
 天才児と言われたアストライアでも、使えるのは特化魔法まで。
 それほど難しい魔法なのだ。

「あれ、使えなかったっけ?」
「……」
「うそうそ。アストライア様でも使えない魔法を本格的に習い始めて一年ぐらいのシンが簡単に使えるようになるわけないもんね。常人が使えるようになるには魔力を増やすところから始まるし」

 シンは絶対詠唱魔法をヒューリから教わっている。
 だが、まだ絶対詠唱魔法を使えるほどの魔力を持っていない。
 弱い11歳に絶対詠唱魔法を教えるヒューリがおかしいのだ。

「ま、無詠唱でやってのけるヒューリ様が異常なだけだから安心しな」
「それは知っている」

 王族の異端児とも呼ばれるヒューリ。
 そんな異名が付いたのはヒューリが15歳の時、最年少且つ無詠唱での絶対詠唱魔法を成功させたからだ。
 しかし、すごいすごいと褒められまくった結果、自堕落で欲のままに生きる魔族となってしまった。
 才能はあるがそれを研究や娯楽に無駄遣いするヒューリに、シンは尊敬しつつも呆れ半分な気持ちを抱いている。

「話を戻すと、最低でも高等魔法を使って戦闘しないとオズヴィーン様には勝てないってこと」

 オズヴィーンのことだ。
 おそらく特化魔法も使える。

「だからオズヴィーン様の魔力を消費させた後、特化魔法で魔力切れスレスレにして剣を突きつける」

 ヒューリとの試合でオズヴィーンは魔力を消費している。

(だが回復薬は使わない、か……)

 オズヴィーンは戦闘時、こう言っていた。

『……私も、これほど魔法を使うとは予想していませんでした。剣士の恥です』と。

 つまりオズヴィーンはヒューリのようなバケモノがいない限り魔法を使うつもりはないということだ。
 魔王ライゼーテの護衛のため飲む可能性もある。が、オズヴィーンは真面目な魔族。言ったことは必ず実行する男だ。

オズヴィーン(師匠)は自身の名誉のため、回復薬を使わない)

 そのことをシンもオリバーは理解していた。

「負けを認める理由が剣の攻撃が来ると困るから、ということになるからシンの勝利はルールに(のっと)っているため認められる。これならオズヴィーン様に勝てる」

 オリバーの策は、素晴らしいものだった。

「詳しい方法なんだけど……ーーーー」

 だが、シンの心は晴れなかった。
 それが何故だか、シンにはわからなかった。





「なかなか面白い戦法にしたようだね」
「ヒューリ様……」

 コツコツと足音を鳴らしてヒューリがシンのもとにやってくる。
 次はいよいよ決勝。
 オズヴィーンとシンの優勝を決める戦いだ。

「……聞いていらしたんですね」
「まあね。可愛い弟子が夢に近づく好機(チャンス)だし」

 いつも通り何を考えているのかわからないヒューリ。
 シンは意を決して行動をとった。

「お願いします、ヒューリ様」

 頭を下げ、ヒューリに懇願したのだった。

「え、なにどうしたの? あ、もしかして私の意見が欲しかったりして?」
「はい。そうです」
「…………」

 ヒューリは少し……いや、かなり驚いた。
 ほとんどのことを自力でなんとかしようと踏ん張る弟子の取る行動とは思えなかった。
 だが驚いたのは驚いたからではない。

「……本気なんだ」
「はい」

 シンの、アストライアの専属棋士となることに対しての思いの重さを、体感したからだ。

(優勝できなければ俺は認められない。だが師匠相手に勝てるとは思えない。オリバーの策なら勝てるかも知れないと思った。けれどーー)
「でも、私が教えるとでも?」
「いえ。ですが、ヒントはくださると思っています」
「ヒント……くくく、ふははははははっ」

 ヒューリはおかしそうに笑った。
 いつからヒューリ(自分)は他者との関わりを持つようになったのだろうかと思ったのだ。
 重臣や親族との関わりは必須だったが、それ以外は「どうでもいい」を口癖に絶っていたはずだったのに。

「そっかそっか……ははっ、やっぱりおかしいや……! ……でも、いいよ。一つ教えてあげる」
「っ!」

 その時の笑みを、シンは忘れられない。
 珍しく真面目で、愚かな者を見下すかのような瞳を宿し、嘲笑していたヒューリの表情を。

「この大会に参加する意味はなんだ?」
「……意味、ですか」

 あまりにも簡単なこと過ぎて、シンはヒューリの考えていることがわからなかった。

(俺が剣術大会に出たのは、優勝したいのはアストライア様の専属騎士になるためだ)

 それ以外の理由はない。
 魔族たちにシンの実力を認めてもらい、アストライアの専属騎士となることを公式に認められるため、シンはここまで来た。

「それがわかればきっと上手くいく」

 ヒューリはそう言うと帰って行った。
 ただ一人、シンはヒューリの言葉の意味を考えた。