【一章】



 ある日、魔王城内に大きな足音が響き渡った。

 理由は単純。(よろい)をつけた兵士が一人の少女を追いかけているからだ。

「お待ちください、アストライア様っ!」
「ちょっと待っ……ぎゃっ、氷っ!?」
「外に出る時は護衛(ごえい)をつけてくださ……ゴフッ!」

 だが大の大人が十数人かけても、少女を捕まえることができない。何故か。簡単なことだ。

「やだ! だってここ、つまんないんだもん!」

 少女の名はアストライア。歳は六。

 アプリコットのふわふわとした髪に、ローズレッドの瞳の、一見華奢(きゃしゃ)可憐(かれん)な印象を持つ少女だ。

 だがそんな印象で侮ってはいけない。アストライアは幼いながらも魔法の腕前(うでまえ)は飛び抜けているからだ。

 それを兵士たちは知っているため、万全の体制でアストライアを捕まえようとするのだがーー。

「むぅ〜、みんなしつこい! ……【(こお)って】!」

 アストライアが一言そう言うと、(たちま)ち地面は凍りついた。兵士たちは足元を氷で固められ、動けられなくなった。

「あ、アストライア様お待ちを!」
「やだ! 勉強もつまんないし、剣を教えてって言ってもダメって言われるし、魔法は楽しいけどもう飽きたの!」
「そ、そんな……」

 兵士たちはアストライアの両親に仕えている者たちだ。

 アストライアの両親……主に父親はアストライアに深い愛情を注いでいる。

 つまりアストライアに何かあれば、雇われの兵士たちの命は簡単に吹き飛んでしまうのだ。

「アストライア様、アストライア様!」
「決めたものは決めたの! あとうるさい! ……【(こお)って】!」
「ちょ、本当に待っ……あああぁっ!」

 するとアストライアの創り出した氷が地面を伝い、兵士たちの身体に纏うかのように覆われていった。

 アストライアの創り出す氷は温度もかなり冷たいため、氷が溶けるまでの間は地獄の時間となるだろう。

「しばらくそこで、大人しくしててね?」
「は、はひ……」

 その言葉を最後に兵士たちの身体は氷で固められた。

「うん。これでよし。……【転移】」

 その姿にアストライアは納得して、魔王城を後にした。

 その後、アストライアに動けなくされた兵士たちは、魔王からのお叱りと騎士団長からの地獄の訓練を受けさせられたという。

 もちろんアストライアがそのことを知るはずもなかった。





「むふふんっ」

 魔王城から抜け出したアストライアは、南西にある火山の頂上にある花畑にいた。

 火山の頂上に花畑なんてあるわけない、と思うかもしれないが、ここは魔界。豊富な魔力と想像力があれば、なんだって実現可能なのだ。

 察しが良ければわかる通り、ここはアストライアが創り出した花畑である。

「ふふ、ふふふっ」

 アストライアは自らが創り出した花畑の中で舞った。

 アストライアは火山の噴火によって花が無くならないよう、花に特殊な魔法をかけている。

 また、その魔法が効かなかったように焔で創った火の花も所々に植えている。

 ここは、アストライアの最高傑作の場所であった。

 もちろんそんな場所に異物が入り込めば、アストライアは嫌でも感知する。そう、アストライア以外の魔力の気配がすればーー。

(……なにか、いるわね)

 アストライアは舞うのをやめた。

 そして誰かの魔力の気配がした方へと足を運ぶ。

「…………ーー」

 それは徐々に気配が強まり、殺気も加わった。警戒心がよくわかった。

 アストライアも身体中に魔力を行き渡らせる。いざという時に自分自身を守るためだ。

 そしてーー。

「……あなた、だれかしら?」

 花畑の隅の方に横たわっていた少年に、アストライアは声をかけた。

 少年は破れたり汚れたりしている、貧相な服装をしていた。明らかに普通の者ではない。

 アストライアの花畑にいる時点で尋常ではないのだが……身体も傷だらけだった。

(これじゃあまるで、ボロ雑巾ね)

 少年はアストライアの声に反応がない。死んでいるのだろうか。

(……魔力が感知できるってことは、生きてる証拠。なら、今の状態は瀕死ってところかしら)

 そう判断したアストライアは、少年と話をするために、魔法を使うことを決めた。

 アストライアの花畑に勝手に侵入してきたことが許せないのもあるが、何よりも、魔族ではない少年に興味が湧いたのだ。

「【治癒】【回復】【修復】【修繕】【補填】……」

 アストライアは自分の使える、今できる有効な魔法を短く詠唱した。するとーー。

「ーー…………ん、んん」
(起きたかしら?)

 少年が反応を示した。アストライアの魔法が効いているみたいだ。

 アストライア直々に魔法をかけてもらえるのは数少ない者だけだ。この少年は恵まれている。アストライアの魔法は高精度、高密度なので、魔法の質がいいのだ。

 少年はゆっくりと起き上がると、アストライアの存在に気づき、顔を上げた。そして殺気の籠った眼差しで、アストライアに訊いた。

(あら、この子……)
「…………誰だ」
「そんなこと訊くの、あなただけよ」

 これは本当のことだ。

 この魔界にアストライアの存在を知らない者はいない。知らないと答える者がいるならば、その者は相当な莫迦で、ものすごく早く殺されたい者だけだろう。

 そしてアストライアは、少年がとても美しい容姿をしていることに気がついた。

(ミッドナイトブルーの髪に、ピーコックブルーの瞳……)

 どれも魔界では珍しい色素の者だ。いなくはないが、かなり稀有だろう。

 そしてアストライアはもう一つのことに気づく。

「助けてもらってその態度はダメ。先に名乗るのが礼儀よ、人間さん?」
「!」

 少年の耳の先が丸いことに、アストライアは目ざとく気付いたのだ。

 魔族は耳が人間よりも長く、先が尖っている。だがこの少年の耳は丸かった。魔族の中に耳が丸い者はいない。

 珍しい色素や耳の形から、アストライアは少年が人間だと見抜いたのだった。

 少年はそんなアストライアの観察力に驚き、抵抗するか迷い、そして争わないことを決めた。

 良い決断だった。

「……シン。俺はシンだ」
「よくできました」
「…………」

 アストライアがそう言うと、少年ーーシンは莫迦にされたように思ったのか、ムッとして言った。

「俺は名乗った。早くあんたの名前を教えろ」
「そうねぇ……」

 アストライアは身嗜みを軽く整えると、上目遣いでシンに名乗った。

「私はティア。よろしくね、シン」

 ティアというのはアストライアの愛称だ。

 本当の名はアストライアだが、ティアでも愛称なので間違ってはいない。

 シンは不審そうにするが、信じることにした。

「それで? あなたは何をしにここにきたの?」
「……頼みがある」
「なにかしら?」

 シンは深く深呼吸すると、アストライアを真剣に見つめた。

 そしてーー。

「ーー勇者を殺してくれ」