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まだ朝日の見えない稽古場に、「ブン……ブン……」と竹刀の振り落とされる音が、風を通じて響く。
ほとんどの騎士たちは、まだ眠りについている。そんな中、シンは一人懸命に鍛錬を続けていた。
シンはヒューリと会ってから、武術と魔術の稽古を半々でオズヴィーンとヒューリから直々にしてもらっている。
それぞれの最強とも謳われる二方からの稽古は非常に良いものだ。実際、真の力は日に日に増していっている。
それでも己の強さの不安故に、こうして一人で稽古する時間をとっているのだ。
アストライアを狙う者が生半可な実力ではないと断言できる以上、アストライアの従者と認めてもらうためには、相応の実力が必要とされる。
(ティア……)
従者というのは主人を守るために存在するもののことだ。そんな従者が主人に守られるては、従者の立場がない。それどころか、存在する意味がなくなってしまう。
(強く、ならなくては……)
恩人のために自分にできることは全て行うと、シンは決めている。
『あなたならできるわ、シン』
あの日、そう言ってくれたアストライアが脳裏をよぎる。
華奢な身体、それ以上の実力、聡明で慧眼、そして時折見せる大人びた妖艶な笑み。
(ティア……)
無心で稽古をしろ、とオズヴィーンから言われているが、アストライアのことを思い浮かばずに稽古をできなかった日はない。
シンにとって、アストライアは恩人であり、目標であり、生きる意味であり、そしてーー。
(……いけない、集中しなくては)
頭を少し横に振り、軽く深呼吸する。
「…………よし」
そしてまた、稽古に励むのだった。
「おい。お前、人間だろ」
「……はい」
(誰だ、こいつは…………)
ある日のこと、シンがヒューリの研究室に向かう途中のことだった。見知らぬ魔族に声をかけられ、シンは足を止めた。
背はシンよりも少し高めの少年がそこにいた。歳はシンと同じくらいだろうか。威圧的な青紫の瞳と萌葱色の髪が印象的だ。
「私はシンと申します。見ての通り、魔王城唯一の公認の人間でございます。付かぬことを伺いますが、お名前を教えてくださいますでしょうか」
シンは最近、オズヴィーンに口調の矯正をされているので、社交上の口調で会話をすることができるようになった。一人称も『私』に変えている。
シンのその言葉を聞くと、相手はふっと自慢げに笑って名乗った。
「俺はオリバー・エーレンルーア。誇り高き魔族であり、その中でも高貴とされる公爵家、エーレンルーア家の跡取りだ。敬え、そして怯えろ、人間」
「…………」
エーレンルーア家。オリバーが説明したように公爵家で、魔界の中でも強い発言力を持った家である。
オリバーはそんなエーレンルーア家の跡取りとして育てられたため、非常に傲慢な少年に育ったのだった。
「……わー、すごいんですね、オリバー様は」
シンは見事なほどの棒読みで崇める。だかオリバーにはそれだけで十分だった。
「ふふん。そうだろう、そうだろう」
(何これ……)
本当にエーレンルーア家の跡取りなのかと疑うシン。こんなにもあからさまに嘘だとわかる言葉に喜べるのは、演技か、それとも馬鹿なのか。
機嫌を良くしたオリバーは、シンに指をさして言う。
「人間、お前、アストライア様の従者になったそうだな」
「はい」
(シンって言ったんだけど……)
「俺は認めない。お前はアストライア様に相応しくないからだ」
「…………」
(そんなの、言われなくてもわかってる)
だからシンは毎日のように稽古を続けているのだ。一日でも怠れば、三日分の稽古の力が消えるとオズヴィーンから教わっている。
それでもシンが稽古を続けるのは、表向きの理由はアストライアの庇護下にいるため、ということになっている。
表向きの理由は、だが。
「オリバー様」
「なんだ、人間」
「私は、人間である私にお慈悲を与えてくださったアストライア様に感謝しています」
「そうだろうな」
「はい。ですが、私がアストライア様の従者になったのは私の意思です。アストライア様が私を魔族の皆様から守るためではございません」
「……何が言いたい」
シンはオリバーを真っ直ぐ見つめた。
「要するに、私は私の意思でアストライア様の従者になったんです。アストライア様の従者に相応しくないのはわかっています。だから私は魔族の皆様に認めてもらえるよう、強くなります」
本当は契約する時に条件として提示されたものだが、それをシンはオリバーに言わない。それによってシンがアストライアの従者の座から蹴落とされる起因となりうるからだ。
するとーー
「……ふうん、そうか」
オリバーは頷き、そしてーー
「ーー……っ!?」
「ちっ、避けるか」
左腰に携帯していた剣を手に取り、シンに振り落とす。シンは間一髪のところで避け、オリバーと距離を取った。
オリバーの斬撃で、城の支柱が数本倒れる。
「…………魔王城内で許可のない抜刀は禁止されています」
「はっ、何を言う人間。それは魔族同士での間のルールだ。魔族対人間に適用されるとはどこにも記されていないぞ」
オリバーはさらにシンに近づく。
(っ、早い……!)
シンはオリバーよりも姿勢を低くして逃げる。オリバーはそれを面白くなさそうに見つめる。
だがーー
「っ!?」
「かすり傷か……、つまらん」
オリバーの斬撃がシンの頬を軽く入る。そこからぷくりと赤い鮮血が出た。シンは手で軽く拭うと、オリバーを見つめた。
(先程の会話からは想像していたよりもずっと強い……。俺に力量を悟られないためだったのか? だとしても、桁外れの力だ。場合によっては、師匠よりも強いんじゃ……)
オリバーもシンを見つめる。そして剣先をシンに突きつけた。
「人間、一つ勝負をしようじゃないか」
「勝負……?」
「あぁ、勝負だ」
オリバーの目は真剣そのものだ。
「俺は、お前さえいなければ、今年からアストライア様の従者になっているはずだった。俺がアストライア様の専属騎士の有力候補だったからだ」
「!」
専属騎士。騎士団長に並ぶ、魔界の騎士の憧れの地位だ。騎士の中では最上の名誉とされている。
アストライアの専属騎士、が意味するのは一国の姫を守ることのできる実力があると言うこと。
そんなアストライアの専属騎士になれば誰もが憧れるのはもちろん、敬われ、認められる。
「俺が勝ったならば、潔くその座から降りろ。だがもし俺が負けたならば、俺はアストライア様の専属騎士になることを諦め、お前を認めよう。……どうだ?」
「…………」
相手は魔族、その中でも上級貴族とされるエーレンルーア家の跡取りだ。
(受けない方が良いのはわかってる。けどーー)
オリバーの目は、既に獲物を捉えている。まるで肉食動物の狩をする時の目だ。断っても、何かしら理由をつけて強引に勝負させられるに違いない。
(……なら、答えは一つしかない)
「オリバー様」
「なんだ?」
「その勝負、お受け致します」
「ふっ、そうでなくては」
オリバーは満足そうに笑う。
「勝負内容は簡単だ」
そう言うとオリバーは二つの薔薇の花を取り出し、一つをシンに投げた。シンはそれを掴み、一瞥するとオリバーの説明に耳を傾けた。
「その薔薇を胸につけて戦う。先に相手の薔薇を落とした方が勝ちだ。ただし、相手の身体を少しでも傷つけた場合、傷つけた方を負けとする。……これでいいか?」
「……わかりました」
シンとオリバーは一歩、二歩と歩む。
「決まりだ」
そして互いの手を叩いた。
「よろしくな、人間」
「……よろしくお願いします」
手を叩くのは、オリバーの交渉が決まったということだ。また、了承の意と己が勝つという自信を示すための行動でもあった。
まだ朝日の見えない稽古場に、「ブン……ブン……」と竹刀の振り落とされる音が、風を通じて響く。
ほとんどの騎士たちは、まだ眠りについている。そんな中、シンは一人懸命に鍛錬を続けていた。
シンはヒューリと会ってから、武術と魔術の稽古を半々でオズヴィーンとヒューリから直々にしてもらっている。
それぞれの最強とも謳われる二方からの稽古は非常に良いものだ。実際、真の力は日に日に増していっている。
それでも己の強さの不安故に、こうして一人で稽古する時間をとっているのだ。
アストライアを狙う者が生半可な実力ではないと断言できる以上、アストライアの従者と認めてもらうためには、相応の実力が必要とされる。
(ティア……)
従者というのは主人を守るために存在するもののことだ。そんな従者が主人に守られるては、従者の立場がない。それどころか、存在する意味がなくなってしまう。
(強く、ならなくては……)
恩人のために自分にできることは全て行うと、シンは決めている。
『あなたならできるわ、シン』
あの日、そう言ってくれたアストライアが脳裏をよぎる。
華奢な身体、それ以上の実力、聡明で慧眼、そして時折見せる大人びた妖艶な笑み。
(ティア……)
無心で稽古をしろ、とオズヴィーンから言われているが、アストライアのことを思い浮かばずに稽古をできなかった日はない。
シンにとって、アストライアは恩人であり、目標であり、生きる意味であり、そしてーー。
(……いけない、集中しなくては)
頭を少し横に振り、軽く深呼吸する。
「…………よし」
そしてまた、稽古に励むのだった。
「おい。お前、人間だろ」
「……はい」
(誰だ、こいつは…………)
ある日のこと、シンがヒューリの研究室に向かう途中のことだった。見知らぬ魔族に声をかけられ、シンは足を止めた。
背はシンよりも少し高めの少年がそこにいた。歳はシンと同じくらいだろうか。威圧的な青紫の瞳と萌葱色の髪が印象的だ。
「私はシンと申します。見ての通り、魔王城唯一の公認の人間でございます。付かぬことを伺いますが、お名前を教えてくださいますでしょうか」
シンは最近、オズヴィーンに口調の矯正をされているので、社交上の口調で会話をすることができるようになった。一人称も『私』に変えている。
シンのその言葉を聞くと、相手はふっと自慢げに笑って名乗った。
「俺はオリバー・エーレンルーア。誇り高き魔族であり、その中でも高貴とされる公爵家、エーレンルーア家の跡取りだ。敬え、そして怯えろ、人間」
「…………」
エーレンルーア家。オリバーが説明したように公爵家で、魔界の中でも強い発言力を持った家である。
オリバーはそんなエーレンルーア家の跡取りとして育てられたため、非常に傲慢な少年に育ったのだった。
「……わー、すごいんですね、オリバー様は」
シンは見事なほどの棒読みで崇める。だかオリバーにはそれだけで十分だった。
「ふふん。そうだろう、そうだろう」
(何これ……)
本当にエーレンルーア家の跡取りなのかと疑うシン。こんなにもあからさまに嘘だとわかる言葉に喜べるのは、演技か、それとも馬鹿なのか。
機嫌を良くしたオリバーは、シンに指をさして言う。
「人間、お前、アストライア様の従者になったそうだな」
「はい」
(シンって言ったんだけど……)
「俺は認めない。お前はアストライア様に相応しくないからだ」
「…………」
(そんなの、言われなくてもわかってる)
だからシンは毎日のように稽古を続けているのだ。一日でも怠れば、三日分の稽古の力が消えるとオズヴィーンから教わっている。
それでもシンが稽古を続けるのは、表向きの理由はアストライアの庇護下にいるため、ということになっている。
表向きの理由は、だが。
「オリバー様」
「なんだ、人間」
「私は、人間である私にお慈悲を与えてくださったアストライア様に感謝しています」
「そうだろうな」
「はい。ですが、私がアストライア様の従者になったのは私の意思です。アストライア様が私を魔族の皆様から守るためではございません」
「……何が言いたい」
シンはオリバーを真っ直ぐ見つめた。
「要するに、私は私の意思でアストライア様の従者になったんです。アストライア様の従者に相応しくないのはわかっています。だから私は魔族の皆様に認めてもらえるよう、強くなります」
本当は契約する時に条件として提示されたものだが、それをシンはオリバーに言わない。それによってシンがアストライアの従者の座から蹴落とされる起因となりうるからだ。
するとーー
「……ふうん、そうか」
オリバーは頷き、そしてーー
「ーー……っ!?」
「ちっ、避けるか」
左腰に携帯していた剣を手に取り、シンに振り落とす。シンは間一髪のところで避け、オリバーと距離を取った。
オリバーの斬撃で、城の支柱が数本倒れる。
「…………魔王城内で許可のない抜刀は禁止されています」
「はっ、何を言う人間。それは魔族同士での間のルールだ。魔族対人間に適用されるとはどこにも記されていないぞ」
オリバーはさらにシンに近づく。
(っ、早い……!)
シンはオリバーよりも姿勢を低くして逃げる。オリバーはそれを面白くなさそうに見つめる。
だがーー
「っ!?」
「かすり傷か……、つまらん」
オリバーの斬撃がシンの頬を軽く入る。そこからぷくりと赤い鮮血が出た。シンは手で軽く拭うと、オリバーを見つめた。
(先程の会話からは想像していたよりもずっと強い……。俺に力量を悟られないためだったのか? だとしても、桁外れの力だ。場合によっては、師匠よりも強いんじゃ……)
オリバーもシンを見つめる。そして剣先をシンに突きつけた。
「人間、一つ勝負をしようじゃないか」
「勝負……?」
「あぁ、勝負だ」
オリバーの目は真剣そのものだ。
「俺は、お前さえいなければ、今年からアストライア様の従者になっているはずだった。俺がアストライア様の専属騎士の有力候補だったからだ」
「!」
専属騎士。騎士団長に並ぶ、魔界の騎士の憧れの地位だ。騎士の中では最上の名誉とされている。
アストライアの専属騎士、が意味するのは一国の姫を守ることのできる実力があると言うこと。
そんなアストライアの専属騎士になれば誰もが憧れるのはもちろん、敬われ、認められる。
「俺が勝ったならば、潔くその座から降りろ。だがもし俺が負けたならば、俺はアストライア様の専属騎士になることを諦め、お前を認めよう。……どうだ?」
「…………」
相手は魔族、その中でも上級貴族とされるエーレンルーア家の跡取りだ。
(受けない方が良いのはわかってる。けどーー)
オリバーの目は、既に獲物を捉えている。まるで肉食動物の狩をする時の目だ。断っても、何かしら理由をつけて強引に勝負させられるに違いない。
(……なら、答えは一つしかない)
「オリバー様」
「なんだ?」
「その勝負、お受け致します」
「ふっ、そうでなくては」
オリバーは満足そうに笑う。
「勝負内容は簡単だ」
そう言うとオリバーは二つの薔薇の花を取り出し、一つをシンに投げた。シンはそれを掴み、一瞥するとオリバーの説明に耳を傾けた。
「その薔薇を胸につけて戦う。先に相手の薔薇を落とした方が勝ちだ。ただし、相手の身体を少しでも傷つけた場合、傷つけた方を負けとする。……これでいいか?」
「……わかりました」
シンとオリバーは一歩、二歩と歩む。
「決まりだ」
そして互いの手を叩いた。
「よろしくな、人間」
「……よろしくお願いします」
手を叩くのは、オリバーの交渉が決まったということだ。また、了承の意と己が勝つという自信を示すための行動でもあった。