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 さあ、反逆の恋をはじめよう。

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「ほどほどのところがいいんじゃないか?」

 窓硝子を滑り落ちながら、しとしとと雨が降る。その音を聞くともなしに聞いていた光の耳に、艶やかな声が言った。
 明るい赤茶色のふわりとしたくせっ毛。しっかりとしたしなやかな体躯の男が、光のベッドに我が物顔で寝転がっている。抜け出てきた夜会の正装を着崩して、襟元をくつろげただらしない出で立ちが、どこか様になっているのが妙に腹正しい。

「ほどほどって?」

 とりあえず微笑み、光は首をかしげた。はずみで、白い首筋をくすぐる金色の髪が、ランプの薄明りに儚く揺れる。
 それだけのしぐさに、向かい合う男は眩しげに目をすがめた。

「……言葉通りだよ。上級クラスじゃ手に余る、下級クラスじゃ物足りない」

 寝転んでいた男は緩慢に身を起こした。ベッド下、濃緋の絨毯に転がしていた革靴に、つま先をつっこんで座り直す。天蓋の薄布が、彫の深い顔に影を落とした。

 この邸の主の趣味で、数々の部屋は和洋折衷の重厚なしつらえが取り入れられている。絨毯しかり、天蓋付の広いベッドしかり。文机やソファはもちろん、先ほど女中たちが用意していった茶器一式まで、意匠を凝らした細工と、深みを重んじた色彩で選び抜かれていた。

 絢爛たる部屋のしつらえと、それに負けぬ華やかな男前。悪くはない組み合わせだ。
 そう、悪くはない。はず、なのだが――

(胃もたれしそう……)

 (ひかる)は視界を圧迫する華美の重量感に、小さくため息をこぼした。

「お前いま、わりと失礼なこと考えなかったか?」

「やだな、深山(みやま)。考えてないよ。で? 続けて?」

 目聡くうろんげに寄った眉を、光は笑顔で流す。その顔立ちは、名は体を表すのごとく、光輝くばかりの恐ろしい整いぶりだ。中性的でどこか儚げ。長いまつげの生える角度ひとつひとつまで、神が緻密に計算して作り上げたとしか思えない。まだ青年と呼ぶには躊躇われる、少年の影を残した齢。すらりと長身ながら、細い体の線。そのあやうげな美しさは、触れてはならないような、神秘的な趣さえたたえていた。

 悔しいかな、深山は幼少期から、この幼馴染の見目には弱かった。頭を掻きやり、納得いかない風を装うも、追及はせず、話題を戻して口を開く。

「だから、お前が使役する、花精(かしょう)な? 中ほどのクラスの奴から始めるのが、ちょうどいいんじゃないかって言ってるんだよ」

「いや、でも……アオイは上級も上級クラスじゃん……」

「まるっきり上手くいってねぇんだから、そこのことはいったん忘れろ。親父に下手な義理立てしなくていいから、アオイじゃない、他の花精使えって言ってんの」

 しごく気まずそうに逸らされた光の淡い紫の瞳に、なぐさめにしては投げやりに深山は投げかけた。

 光たちの住まう国には、花精と呼ばれる存在がある。手のひら大の黒く丸いタネに宿る存在で、特殊な能力を持つ人間が力を流し込むと、人の姿をとって顕現する。人語を操れはしないが意思があり、ある程度の疎通もできる。妖精やあやかしといった類の命である。人やそれに類似する生命とは、違う(ことわり)で息づくモノたちだ。

 その花精と人は、切っても切れぬ深いで縁で共生していた。

 花精は、人間の術者の力を得なければ、タネのままで一生を終える。自由に動ける人型になる機会もなければ、子孫を残せることもない。(しゅ)の存続としての術を、人間に預ける形になっていた。

 一方、人間たちも花精の力を借り、種族として永らえさせる必要があった。ある病を治癒するために、花精の力が必要なのだ。

 この地には、海の向こうの国々から、風土病と恐れられ続けている、古来からの病があった。文明開化の音が高らかに響きわたってから半世紀。世は変わっても、その病の恐ろしさだけは変わらない。
 
 《くたし(やまい)》と呼ばれる病気で、かかると身体が土か枯れ木のように茶色く、黒くなり、動けなくなる。その状態では、飲み食いできずとも、不思議と命だけはあるのだが、やがて身体が黴び、腐り始める。腐れ落ちて身体の形が保てなくなるともう助からず、どろどろに崩れて死んでしまう。

 助かる術は、ただ一つ。花精の力を借りることだ。人の姿をとなった花精が病人に触れると、その土のような体から花が芽吹く。その咲き誇る花だけが、病を吸い取り、癒し、元の健康な体に戻してくれるのだ。
 だから、くたし病に怯えるこの国の人々は、花精とその力を引き出せる術者を珍重していた。

 その術者というのが、光たち一族だった。もっとも力を持つ、本家たる(すめらぎ)家を頂点に、近縁遠縁含めて同じ地域に住まい、もはや町ほどの大きさの生活圏を築いている。

「お前は、本家直系のうえ、間違いなくいま生きる術者の中じゃ、誰より力があるんだからさ……。下手な負い目や遠慮で、その力を無駄にすんなよ。もっとお前のやりやすい方法で、磨いていけ。それで、いつか本家の兄貴を見返してやれよ」

「……いや、深山。俺は別に見返したいとは……」

「思ってないのか? ほんとに?」

 小さく異義を唱えた光を、思いのほか真摯に深山の蜜色の瞳は射抜いてきた。

「俺は、お前じゃないけど思ってるぞ? なんで、才能あるお前が、ただ生まれてきた順番と、母親の違いだけで、本家から追いやられないとならないんだ?」

 憤慨する深山に、光は困ったように微笑んだ。どこかやわらかな透きとおる美しさは、その憂いの影すら麗しい。

 その誰もが目を奪われるかんばせにかかる、金色の髪。その髪色が、彼が皇の直系であることを示す、何よりの証だった。
陽射し色の髪と謳われる、皇の色。植物を育む陽光の象徴とされていた。

 けれど、光の姓は『皇』ではない。彼の名は『(みなもと)光』。母が一族の出自ではないゆえ、皇の籍を外されたのだ。そして、分家筋末端の姓を与えられ、戸籍上は本家とは赤の他人にされてしまったのである。
 それは、光――というよりは、光の亡き母の存在を疎んだ、父の本妻のせいであった。

「――まあ、母さんは、無念ではあったと思うけど……俺はよく、覚えてないし……」

 術者一族は、この国の生活の根幹にかかわる力を持つ。ゆえに、平等を旨とし、表立っては政治にも宗教にも関わり合っていないが、その権威は絶大だった。だから、一族の長たる皇家ともなれば、どこへ赴こうが、下へも置かない扱いを受けた。それほどの存在なのだ。

 だからこそ、当主と本家に連なる者は、その立場に固執し、奪われまいとする。そうした欲が出てくるのは当然で、人の摂理だ。だから光は、父の本妻を恨めずにいる。

 けれど深山は、彼以上に怒ってくれているらしい。こういったところは、本当に、彼と出会っていてよかったと光は思う。

 本家に捨てられ、母方の身寄りもなく、行く当てもなかった少年の光を引き取ってくれたのが、彼の家である一条家だった。一族でも皇に並ぶ名家のひとつ。そこの長子でありながら、深山はずいぶんと気さくで、己が弟のように、光のことを気にかけてくれていた。だからだろう。彼のちょっかいが鬱陶しいことも間々あったが、不思議とそれは、嫌気のさすものにはならなかった。

「『妾の子だということで本家から追放されましたが、チートスペックと顔面ですべてを見返して本家当主の座を取り戻してやります。ざまあ』、ぐらいのことしろよ」

「え……やだ。そんな真向から本家を殴ってく感じ。面倒くさそう……」

「絡め手ならいいみたいな断り方してくんなよ」

 微妙な否定にちょっと呆れた視線を流しつつ、「ともかく」と、深山は光を指さした。

「お前は力はあるが、経験が足りないんだよ。それで、アオイとも上手くいかない。上級花精は扱いが難しいのが多いし、その中でもアオイは特に気難しいからな。けど、中級クラスなら気性も穏やかだし、咲かせる花の力もそこそこ強い。経験不足の術者にはちょうどいい相手だ。だから、まずは中級クラスと恋をしろ。数をこなせ。恋なんて、ダレと何度してもいいんだからな」

「――花精の扱いとしては至極正論なんだけど、それ、やっぱ人としてクズが過ぎるなぁって思うんだよね……」

「わりきれよ。術者にとっちゃ、恋は仕事だ」

 花精が花を咲かせる条件は、術者と恋をしていることだ。術者へ抱く恋情を、花に変える。そうして術者は病を癒やせるし、花精は恋の力を花に変えていくうちに、次の子孫を宿したタネを育めるのだ。
 だから、花精と術者は、互いのために恋をする。

「あとまあ、その心配はいらないと思うけど、恋はしても、愛しはするなよ」

 にやりと笑みひく幼馴染に、光は細い肩をすくめた。

 術者と花精の恋の矢印は、ちょうど同じくらいがいいのだ。重すぎず、軽すぎず。それが、双方の長く良好な関係に結びついた。
 花精の想いが強すぎては、その恋心に溺れてすぐに枯れて朽ちてしまう。逆に術者が恋に沈んでしまえば、花精の気にやられて精神を病んでしまう。

「恋は奪いあえるが、愛は、与えようとしちまうからな……」

 遠くを見や横顔が、理由もなく意味深げにうなずく。彼も彼で、光とは別方向に青年らしく端正な顔かたちをしている。だから、無意味なその仕草でも絵になるはずなのだが、いかんせんどこか鼻につく。人格のせいかもしれない。

「……深山、最近とみに兄貴風が面倒くさいよね」

「お前ほんと、最近可愛げをなくしたなぁ」

 隠しもしない棘で刺してくる年下の幼馴染に、残念そうに深山は肩を落とした。

「まあ、試しては、みるよ」

 涼しげな視線は気だるげに呟いて、また雨打つ窓の外へと流れていった。