辺りの住宅地が一面闇に包まれ、街灯の光だけを頼りに私たちは並んで歩いていた。
結局、私たちは図書室には寄らず、帰ることを選択した。
先輩が今何を考えているかはわからない。
ただ私の隣を歩いている先輩は、いつになく小さく見えた。
「先輩。見てください! 月が綺麗ですね!」
「あ、本当だね。月が綺麗だ」
空に浮かぶ雲たちの隙間から顔を覗かせるように現れる月。
月明かりが綺麗で、見ているだけでも心が揺らいでしまいそう。
(先輩、気づいてくれなかったな)
月が綺麗だったのは本当のことだ。でも、その言葉の裏に隠された意味を先輩は理解してはくれなかった。
『月が綺麗ですね』のもう一つの意味を。我ながら、大胆な行動に出たと思ったが、どうやらそれは私だけだったらしい。
「小野さん」
「はい」
「僕ね、今日ずっと彼女の和歌のことを考えていたんだ」
「彼女?」
「うん。小野小町の『秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを』って和歌を」
「どうしてですか?」
「現代語訳はね、『秋の夜長なんて名ばかりね。恋人に会えたと思ったら、あっけなく夜が明けてしまったところを見ると』って意味らしいんだ。素敵だよね。恋している気持ちをストレートに表現していて、それに秋の夜と重ね合わせているのが、また季語を使っていて風情を感じるっていうか・・・」
私はこの和歌を知っていた。私が和歌を好きになった理由が、彼女のこの和歌だったのだから。
恋する乙女がこんなにもストレートに恋している気持ちを表現できているのが、私にはすごいと感じてしまった。
夜は長く、孤独で寂しいはずなのに、好きな人と会うとそんな夜でさえ一瞬にして終わってしまう。
夜ベッドの上で、先輩のことを想っている私ですらそう感じてしまう。
まるで、自分のことを言っているようなものに、私はひどく感心してしまった思入れのある和歌なのだ。
「その和歌がどうかしたんですか?」
「本当にそうなんだなって思ってさ」
「え?」
「大切な人といると、夜なんてあっという間に過ぎ去ってしまうんだろうなって。夜が好きではないはずなのに、この夜が長く続くことを望んでしまう気持ちもわからなくないや」
急にどうしたのだろう。先輩の話している意味がいまいち理解しがたい。
まるで、先輩にとって大切な人がすぐ側にいるような言い草。
「せん・・・」
「秋の夜が長いなんて嘘だね。小野さんに会えたと思うと、夜が明けないでほしいと思っちゃうよ・・・」
前を歩く先輩の背中を白色の街灯が、ぼんやりと照らす。微かに揺れる彼の黒い髪の毛と、私の上下に激しく揺れる心臓。
先輩の言葉を理解するのに、つい時間がかかってしまう。私が片想いをしていた先輩が、まさか自分に好意を抱いていたなんて。
現実という名の夢でも私は見ているのだろうか。震える指で頬をつねる。力強く加減をせず全力で。
痛い。頬の肉がちぎれてしまいそうになるくらい痛かった。
夢ではなかった。
「ごめん、急にこんなこと言われても困るよね。人生初の告白がまさか、和歌を自分なりの言葉にして、告白するとは思わなかったな。振られても黒歴史だし、振られなくても当分笑いものにされそう」
恥ずかしいはずなのに、先輩はやけに楽しそうだった。人生初の告白がこんな形になってしまったというのに、先輩はそのことを微塵も後悔はしていないように見える。
それが、増してカッコいい。恥じることなく堂々としているところが先輩らしい。
「あ、あの・・・」
「大丈夫だよ。返事はいつでもいいからさ」
「君を思ふ」
「え?」
「私も先輩のことが大好きですよ」
振り向きざまに彼と私の視線が絡み合う。先輩の顔が赤く染まり、普段の先輩らしさが一切無くなっていた。
先輩の目にも同じような表情の私が映っていることだろう。
夜はまだまだ続いてゆく。でもね、明けない夜はないんだ。私だってそうだった。
眠れないほどに、あなたを想う夜があれほどあったのに、今ではそれが嘘だったかのように明けてしまった。
あなたのことを何度も想い返しては眠れなくなったあの夜を。
恋はいつの世も同じなのだ。小野小町もきっと私と同じだったのだろう。
大好きな人を想わずにはいられない日があったに違いない。
人は生きている限り、誰かに恋をし、日々過ごしていく。
当然、実る恋もあれば、儚く花が散るように涙する恋もある。
何があるかわからない。だから、恋をするのは楽しいのかもしれないな。
「いとをかし」
「何が興味深いの? あれ、そういう意味だよね?」
「なんでしょうね! さ、帰りましょ!」
あぁ、恋をするって楽しいな。ありがとう。過去のあなたたちの言葉のおかげで、私の恋は実りましたよ。
最後に私の大好きな和歌をあなたへ。
『たちかへり泣けども吾は験無み思ふわぶれて寝る夜しぞ多き』
(春が巡ってきても、私は何度泣いても甲斐がない、あなたを思い悩む夜が多いのです)
泣くな! 悩んでいても、相手は待ってはくれないよ。まずはあなたから行動をしなさい。
そして、次の春には笑っていられるように願っています。
夜道の街灯に照らされ、結ばれるふたつの手。離れることなく固く結ばれた手は、夜の中へと消えていった。
明日の朝を心待ちにして...
結局、私たちは図書室には寄らず、帰ることを選択した。
先輩が今何を考えているかはわからない。
ただ私の隣を歩いている先輩は、いつになく小さく見えた。
「先輩。見てください! 月が綺麗ですね!」
「あ、本当だね。月が綺麗だ」
空に浮かぶ雲たちの隙間から顔を覗かせるように現れる月。
月明かりが綺麗で、見ているだけでも心が揺らいでしまいそう。
(先輩、気づいてくれなかったな)
月が綺麗だったのは本当のことだ。でも、その言葉の裏に隠された意味を先輩は理解してはくれなかった。
『月が綺麗ですね』のもう一つの意味を。我ながら、大胆な行動に出たと思ったが、どうやらそれは私だけだったらしい。
「小野さん」
「はい」
「僕ね、今日ずっと彼女の和歌のことを考えていたんだ」
「彼女?」
「うん。小野小町の『秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを』って和歌を」
「どうしてですか?」
「現代語訳はね、『秋の夜長なんて名ばかりね。恋人に会えたと思ったら、あっけなく夜が明けてしまったところを見ると』って意味らしいんだ。素敵だよね。恋している気持ちをストレートに表現していて、それに秋の夜と重ね合わせているのが、また季語を使っていて風情を感じるっていうか・・・」
私はこの和歌を知っていた。私が和歌を好きになった理由が、彼女のこの和歌だったのだから。
恋する乙女がこんなにもストレートに恋している気持ちを表現できているのが、私にはすごいと感じてしまった。
夜は長く、孤独で寂しいはずなのに、好きな人と会うとそんな夜でさえ一瞬にして終わってしまう。
夜ベッドの上で、先輩のことを想っている私ですらそう感じてしまう。
まるで、自分のことを言っているようなものに、私はひどく感心してしまった思入れのある和歌なのだ。
「その和歌がどうかしたんですか?」
「本当にそうなんだなって思ってさ」
「え?」
「大切な人といると、夜なんてあっという間に過ぎ去ってしまうんだろうなって。夜が好きではないはずなのに、この夜が長く続くことを望んでしまう気持ちもわからなくないや」
急にどうしたのだろう。先輩の話している意味がいまいち理解しがたい。
まるで、先輩にとって大切な人がすぐ側にいるような言い草。
「せん・・・」
「秋の夜が長いなんて嘘だね。小野さんに会えたと思うと、夜が明けないでほしいと思っちゃうよ・・・」
前を歩く先輩の背中を白色の街灯が、ぼんやりと照らす。微かに揺れる彼の黒い髪の毛と、私の上下に激しく揺れる心臓。
先輩の言葉を理解するのに、つい時間がかかってしまう。私が片想いをしていた先輩が、まさか自分に好意を抱いていたなんて。
現実という名の夢でも私は見ているのだろうか。震える指で頬をつねる。力強く加減をせず全力で。
痛い。頬の肉がちぎれてしまいそうになるくらい痛かった。
夢ではなかった。
「ごめん、急にこんなこと言われても困るよね。人生初の告白がまさか、和歌を自分なりの言葉にして、告白するとは思わなかったな。振られても黒歴史だし、振られなくても当分笑いものにされそう」
恥ずかしいはずなのに、先輩はやけに楽しそうだった。人生初の告白がこんな形になってしまったというのに、先輩はそのことを微塵も後悔はしていないように見える。
それが、増してカッコいい。恥じることなく堂々としているところが先輩らしい。
「あ、あの・・・」
「大丈夫だよ。返事はいつでもいいからさ」
「君を思ふ」
「え?」
「私も先輩のことが大好きですよ」
振り向きざまに彼と私の視線が絡み合う。先輩の顔が赤く染まり、普段の先輩らしさが一切無くなっていた。
先輩の目にも同じような表情の私が映っていることだろう。
夜はまだまだ続いてゆく。でもね、明けない夜はないんだ。私だってそうだった。
眠れないほどに、あなたを想う夜があれほどあったのに、今ではそれが嘘だったかのように明けてしまった。
あなたのことを何度も想い返しては眠れなくなったあの夜を。
恋はいつの世も同じなのだ。小野小町もきっと私と同じだったのだろう。
大好きな人を想わずにはいられない日があったに違いない。
人は生きている限り、誰かに恋をし、日々過ごしていく。
当然、実る恋もあれば、儚く花が散るように涙する恋もある。
何があるかわからない。だから、恋をするのは楽しいのかもしれないな。
「いとをかし」
「何が興味深いの? あれ、そういう意味だよね?」
「なんでしょうね! さ、帰りましょ!」
あぁ、恋をするって楽しいな。ありがとう。過去のあなたたちの言葉のおかげで、私の恋は実りましたよ。
最後に私の大好きな和歌をあなたへ。
『たちかへり泣けども吾は験無み思ふわぶれて寝る夜しぞ多き』
(春が巡ってきても、私は何度泣いても甲斐がない、あなたを思い悩む夜が多いのです)
泣くな! 悩んでいても、相手は待ってはくれないよ。まずはあなたから行動をしなさい。
そして、次の春には笑っていられるように願っています。
夜道の街灯に照らされ、結ばれるふたつの手。離れることなく固く結ばれた手は、夜の中へと消えていった。
明日の朝を心待ちにして...