その日の夕方から始まった、柾の卒業と就職を祝う宴会は、近所の人たちと、彼の親族を加えて夜更けまで続いた。

 どうやら、彼女は、この家に泊まる約束で来たらしい。
 彼女は客間でとっくに布団に入ってしまっている。無理に睡眠する必要のない私は、縁側で何とはなしに、暗くなった外を見ていた。すると、隣に座る者があった。

「よう、フユちゃん。何一人で黄昏ているんだ?」

 柾だった。宴会を抜け出してここへ来たらしい。

「いや……綺麗な庭だなあと思いまして」
「そうか? 手間がかかるだけの、木と岩ばっかりの庭だぞ。夏には気を付けないと池が藻だらけになるし」

 柾は、ふぁああ、とあくびを一つすると、眠そうに伸びをした。

「もう眠ったらどうですか? もう零時をまわりましたよ」
「眠れたら眠りたいんだが、がやがやとまだ酒盛りしている奴らがうるさくてな。
そういうフユちゃんは寝ないのか? ……というか、ロボットって眠るのか?」

 興味津々と身を乗り出してきた柾に、何だか初対面のわりに距離が近くて嫌だなあと思いつつも、答える。

「眠るというか、オンタイマーかけて意識をシャットダウンします。
ですが、別に眠らなくても故障はしませんよ。ただ、起きているといくら何も考えないようにしても、余計な思考回路を働かせてしまうのでね、省エネのためにシャットダウンはしますね」

 すると、柾は「へえー、すげえなあ」と目をキラキラと輝かせた。

「今のロボット工学ってそこまで進んでいるのか……俺は全く知らないけど、日夜ロボットは人間臭くなってるってことだな」
「まあ、機械が人間に近づいてもいいものかどうかはわかりませんが、そういうことですね」

 機械やパソコンのほうが、演算処理などをする点においては、人間よりもはるかに秀でているはずである。
 なのに、感情などという余計なものをつけて、人間に似せていくという、人類の行動の無意味さが分からないと私は思う。
 彼女も何の必要性があるのかと、よく研究雑誌を読みながらぼやいていた。

「いいじゃん、人間臭いやつらがいっぱいいたほうが。世の中楽しくなるんじゃね?」
「おおよそ神学を修めた者の、言葉と振る舞いとは思えませんが」

 神道系の学校では、神職として必要な知識だけではなく、心持や、所作振る舞いも習うはずである。なのに、目の前の男からは、そういった気配がほとんどしなかった。

「神学を修めたから、人間的にも精錬であれ、なーんてことはどうでもいいんだよ。
神様なーんて、いるかもわからない架空の奴に使えて、人としての人生を無駄にするんだ。日頃ぐらい、人間的な現実の生活を送りたいっていうのが俺の本音だよ」
「神という存在を信じていないのなら、なぜ神社の跡を継ぐんですか」

 私は思った疑問を素直に口にした。すると、柾は、先程までの表情とは打って変わって、急に真面目な顔をしてこちらを向いた。

「周りがそう俺にあってくれと、望んでいるからだよ」

 柾は、ふうと息をつくと、懐に手を入れた。そして、取り出したのは、野球のボールだった。よほど使い込まれているのか、白いはずの皮は、土で茶色く汚れていた。
 それをじっと見つめると、柾は庭に投げた。それは、段ボールの山で一度はねた後、すぐに見えなくなる。

「だから、神社とは関係のない普段の時ぐらいは、人間的に自由にしようって決めているんだ」
「……そうですか」

 彼にもいろいろと、何か事情があったのだろう。しかし、その一つ一つを問う気にはなれない。
 なぜなら、彼の言葉には先程までと違って打って変わって重みがあり、今までの年月(としつき)で経験してきたであろう、覚悟がうかがえたからだ。


「でもさ」
 ふと、空を見ていた柾が、口にした。

「実は、神様……というか、そういう存在って、いてるんじゃないかって思いも、捨てきれてないんだ」
 すると、柾が「なあ、一つだけいいことを教えてやるよ」とこっちを振り返った。

「願いを確実に叶えてもらう。神様への願いの伝え方が存在しているんだって」

 おそらく現実的な思考を持つはずの彼が、非科学的なことを急に言い出すものだから、私は思わず「何ですか?」と彼を見た。

「この願い方をしても、神様の気分次第なのか、聞いてもらえないこともあるらしいが、それはな…」

 彼は家の者に聞こえないために用心したのか、声を潜めて言った。

「俺のひいひいじいさんの話だがな。昔ひいひい……めんどくさいからひいひい略するな。
……じいさんには好きな人がいてな。だけどその人には別に好きな人がいて……じいさんが二人の間に割って入る余地なんてなかったらしい。だけど、どうしてもあきらめきれなかったようで……振り向いてもらうために、ここの神社で願ったらしい。……まあ、そのおかげか、じいさんはその人と結婚したんだが。願う時に在ることを言っていた」

「あることとは?」
「自分の寿命を半分捧げてでも、彼女がどうしても欲しいと言ったらしい。……実際、その通りになって、じいさんは、三十にもならないうちに死んで。嫁にもらった俺のひいひいばあさんは、姑と仲が悪くなって家を出ていった。そして、元々の恋人と再婚したらしい」
「……」

「要するに願いを叶えて欲しくば、何か同等のものを代価として差し出せということだ。じいさんは自分の人生の半分を代価に、ばあさんの人生の半分をもらったんだろう。
どっかの漫画の話で出てきた言葉で分かりやすくいえば、等価交換だよ」

「……あなたはそれを信じるんですか?」

 先程まで、神などいない存在と堂々と言っていた神職見習いが、こんな偶然が起こっただけのような話を信じるのだろうか、と私は首を傾げた。
 だが、柾は、真面目な口調のまま続ける。

「俺だって小さい時はただのおとぎ話だと思っていた。だけどな、俺の母さんが同じことをした」

 私は思い出す。彼女がおばさんと呼んでいた女性のことを。彼女は右足が悪いのか、引きずって歩いていた。

「弟が交通事故にあったとき、腕を切断しないといけないかもしれなかったんだ。そしたら、母さん、夜通し神様に祈って。
結果として一年後には、弟の手は、怪我なんてまったくしなかったんじゃないかってぐらいに、回復した。
……だけど、ちょうどその頃、母さんが病気にかかって、足が悪くなったんだ。ビハビリもしたんだが、結局動かないままでな……」

 柾は、私の顔を見ると言った。

「弟は、その頃小さいながらもテニスで結構有名でな。母さんは舞の名手だった。このことが意味すること……分かるだろ?」
「……何だか、非常に信ぴょう性が高くなってきましたね」

 何だか私は背筋が寒くなってきた気がした。実際には、寒さなんて感じないはずなのに、そんな感じがしたのだ。

「だから、俺は神様は信じていないけれど、神様に代わる悪魔のような、願いに代価を欲求する存在は信じているのさ。
だけど、俺は、そんな存在には、願い事なんて叶えてもらいたくないからな。母さんが病気をしてからは、神様に願い事をするなんて恐ろしいこと、ちょっとしたことでもしないようになった。
……神様はいない。だけど、代わりに化け物みたいなやつがいる。それが、俺の神道に対しての信条」

 「そうですか……」とかける言葉もなく頷く私に、柾は続ける。

「お前も、何かどうしても、何事に変えても叶えたい願いがあったら、やってみればいいさ。だけど、おすすめはしないね。渡しても後悔しない代価を、用意できるんならいいけど」
「ロボットに代価なんてありませんよ。手がなくなれば部品を交換すればいいだけですし、ショートしても基盤を取り換えれば治りますから、寿命なんてありませんし。記憶と思考回路が消えない限りは、半永久的に行動できますよ」

「そういうのずるいな……。まあ、人間じゃない奴の願いを叶えてくれるかどうかは分からないからなあ……」
「確かに、相手もそれを分かってて、願い事を叶えないかもしれませんね」

 柾は、「まあ、」と暗くなってしまった空気を変えるかのように、明るく声を上げた。
 そして、「それはそれとして」と、胡坐をかいて向き直った。

「今夜は、まだまだ長いし、俺は眠れそうにないし、
次は現実的な楽しみで夜明けまで一緒に遊んで過ごそうじゃないか」

「いや、私はもうハル様のところへ戻りますよ。一人で寝かせているのが心配ですし」

 すると柾はつまらなさそうに口を尖らせた。

「い~じゃん、ケチ。ハルとは毎日一緒に寝てんだろ? たまには、一緒に寝ずに、俺の相手をしたってばちはあたんねえよ」

 神様を信じない人がばちとかいうんだ、と思いつつも、私はそれもそうかと思った。
 何よりも、この男のことが、もう少しよく知りたいと思ったからだ。

――勝つためにはまず敵を知る。

 なぜかふとそう思ったが、柾は敵ではない、と慌てて思い直した。

「ちなみに何をして過ごすおつもりで」

 すると柾はごそごそと、上着の内ポケットから何かを取り出した。

「掃除してたらな、昔こっそり買ってやってたゲームが出てきて」
「ゲームって架空の世界で遊ぶんですか? さっき人間的な現実の生活を送りたいって言ってたのに」

「架空の世界を楽しむのであっても、楽しむのは現実の肉体であって、何も矛盾はないはずだ」
「屁理屈……。ハル様の友達だ……」

 私は妙に納得がいって、ぼそりとつぶやいた。

「まあまあ、お前もやってみたら楽しくなるって。ロボットでも男なんだからさ」
「私はロボットなので、男とか女の性別はありません」
「まあまあ、そんな固いこと言うなって」

 「な?」とキラキラと目を輝かせて近づいてくる。私はなんだか断りづらくなって、仕方なく頭を縦に振った。

「わかりましたよ……朝までお付き合いすればいいんでしょう? ちなみにどんなゲームですか?」
「それはなー、アダルトゲームで、題名はスクール……おごはっ……」

 柾が言い終わるよりも先に、柾は背後から蹴り飛ばされ、庭に突っ込んだ。

「まったく、トイレに行こうと起きたら……このろくでなし。
マ〇オカートならまだしも、アダルトゲームなんて教育衛生上悪いものを、フユにやらせないでくれないか。
フユのAIに余計な情報を入れて、今後悪影響があったらどう責任を取ってくれるつもりだ」

 いつの間に起きてきていたのか、ハルは、般若のような顔で、倒れる柾を見下ろした。
 そして、彼女は、私の首をつかみ上げて視線を合わせると、恐ろしい目で睨んできた。私は恐怖ですくむ。

「お前もお前だ。こんなちゃらんぽらんが遊ぼうと言ったら、ロクでもないことをやらされるのは目に見えているだろうが。
どうせ、ロボットに、こういうゲームやらせたらどんな感想を持つか、試してみたかっただけなんだろうが」
「すみませんでした……」

 私は謝りつつも、彼女が過剰反応する様子が不思議で、何だか『アダルトゲーム』というゲームの内容が気になった。
 アダルトとは大人という意味のはず。大人用のゲームということだろうか。
 だが、彼女がそんな思考を見透かしたかのように、おぞましい顔でにらんでくるので、私はそれ以上考えるのをやめた。

「さあ、さっさと寝るぞ。フユ」
 彼女は、私の首根っこをつかんだまま、階段を上る。

「はい、ハル様……」
 私は恐縮したまま、おとなしくぶら下げられていた。彼女はだいぶとイライラしているのか、小さく口の中で何かをつぶやいていた。

「柾のエロ野郎。柾死ね、いや、全人類男死ね……」

 セリフははっきりと聞こえたのだが、怖すぎたので、私は、声が小さくて何も聞こえなかったことにした。