翌朝。


 柾は仕事に行く前、もみ路さんにしっかりと家の戸締りを頼んでいた。
 そして、誰かが来ても、知り合いではない限り、決して扉は開けないように
 変だと思ったらすぐに電話をするか、警察を呼ぶようにと、出て行った。

 幼稚園も冬休みなため、私は朝から桜さんと部屋で、おままごとをしていた。今では桜さんも成長していて、私の口におもちゃのニンジンやら、ピーマンやらをつっこんでくるようなことはしない。
 私は、色々な意味で嬉しく思いつつも、その成長に、何だか置いてけぼりをされたような心地がして、しんみりとしていた。


「よし、おままごとは今日は終わり! 次は、本を読んであげるね、フユちゃん」

 桜さんは、ごそごそと「なんの本がいいかなあ」と、本棚をあさっていた。そして、ある一冊の本を持ってきた。確か、『人魚姫』を有名な映画会社がアニメ化して、それを絵本にしたもののはずだ。

 ふと私は、あの日の記憶を思い出した。
 あの日、彼女は、『人魚姫』を確か「暗くて救いのない話」と言っていた。
 だが、桜さんが何度も読んでくれたそれは、人魚のお姫様が王子様に恋をし、悪い魔女に足の代価として声を取られるものの、王子様が魔女を倒し、声も取り戻して、王子様と結婚して幸せに暮らす話だった。

 彼女は、冗談を言っていたのだろうか。
 それとも、彼女は、何か別の物語と、間違っていたのだろうか。
 ならそれは、一体何の物語だったのだろうか。

 玄関のチャイムが鳴ったのは、そんなことを考えていた時だった。


「……フユちゃん」

 もみ路さんは不安そうに赤ん坊を抱くと、私を見た。私は廊下にそろりとでると、インターフォンの画面を見上げた。そこにいたのは、予想を裏切ることなく、あの男であった。

「静かにして、居留守を使いましょう」
「ええ……」

 しかし、男はあきらめなかった。何度もチャイムを、一定の間隔を開けて押し続けている。そのたびに、ガチャガチャとノブを回してくるのは、恐怖以外のなんでもなかった。

「しつこい、ですね……」
「柾さんに、電話しましょう……」
「それがいいですね」

 もみ路さんは電話した。しかし、呼出音がなるだけで、つながらない。年末年始は、神職は忙しいから、きっと出られないのだろう。

「次は警察ですね」
「ええ……」

 と、ふと、静かになった。
 画面には誰も映っていない。あきらめたのだろうか。
 念には念を入れて、三十分ほどしてから、そっと、玄関を開けて辺りをうかがった。
 誰もいなかった。

「あきらめた、ようですね」
「よかったわ……」

 私は、もみ路さんと顔を見合せ、ふうとため息をついた。