「フユちゃん、フユちゃん、おいしいですか?」
「……おいしいで、ふ……うぉえっ?!」

 女の子に、口にニンジンのおもちゃをつっこまれ、私は悲鳴を上げた。
 しかし、幼い彼女は力加減も知らず、私の耳をつかむと、さらにニンジンをのどの奥に突っ込もうとした。

「こら、桜。フユちゃん、壊れちゃうわよ」
「えー、おいしいって言ってるのに?」

 危うくあごが壊れる一歩手前で、女の子の母親――もみ()さんが、慌てて私を引きはがした。
 何とかそのすきに縁側に逃走し、あごのかみ合わせを確かめていると、風呂上がりの柾が、気の毒そうな目で私を見てきた。

「フユ……なんつーか、連れてきてごめんな……」
「今更それを言いますか」

 もみくちゃにされた毛並みを整えながら、私は柾をにらむ。

「危うく耳もぎ取られて、あご破壊されるところでしたよ」
「やんちゃ盛りなんだ、許してやってくれ……」

 柾は、申し訳なさそうに言いつつ、隣に座った。

「でも、可愛いだろ? 俺の自慢の娘なんだ。」

 ニコニコとして言ってくるのは、きっと親馬鹿という心からだろう。しかし、危うく壊される所だった私には、それが腹ただしかった。

「可愛いのは見た目だけです。中身は凶暴です。ハル様も凶暴ではありましたが、凶暴の種類がまだかわいいもんでしたよ。
力任せの動物じみた暴力ではなく、ドライバーと電ノコを持ってくるだけ、理性的で人道的でしたよ」
「いや、それも十分凶暴だと思うけどな……」

 ふんすか、と怒っている私に、柾はボソッと何やら言ったが、まあどうでもいい。
 私は、やり場のないイライラを、ぺしぺしと柾の太ももを蹴って晴らす。


「……お前、本当に、人間みたいだよな……」

 ぺしぺしと蹴り続けている私に向かって、ふと柾がそう言った。
 私は、その言葉に心をぐさりと刺された気がして、蹴るのをやめた。

「……機械ですよ。ただの、人間のために作られた、器械(おもちゃ)。感情も何もかも、求められるように人工的に作られただけの、偽物。人間もどきの、器械……」

 私は、力なく言う。すると、柾は私の背に手を置いた。

「お前は、人間じゃないかもしれないけれど、人間だよ。俺たちと同じように、心をもって、自分の意思で笑って、泣いて、怒って、誰かと一緒に過ごしている、人間だよ」

 私は首を振った。

「違いますよ。そうプログラミングされているだけです。こういう時はこういう気持ちを持て、こういう表情をしろって、そういうふうに組み込まれているだけの、器械ですよ」
「ほかの機械はともかく、……俺は、お前ほど人間のようなロボットを見たことがない」

 柾は優しく背中を撫でる。何だか頷きたくて、しかし、私には、それはとても恐れ多いことのようでできなかった。

「……それは、たまたま作った人間のプログラミングの腕が良かっただけですよ。だから、あなたには、そういうふうに見えているだけで。実際には、私には何も人間的なものはない。私には最初から何もない。……空っぽですよ」
「……そうでもないだろ。空っぽなら、なんで」


――そんなに悲しそうな顔をしているんだ。


 柾は、そう言った。


「それは、ただ単に、そういうプログラミングで……」
「じゃあなんだ? プログラミングには、ハルが望んでない結婚をすることになって、ハルに拒絶されて、ハルに会えなくなったら、悲しくなるというふうに元々書いてあったのか?
そんなこと、お前が作られた十一年前には、わかりっこなかっただろ?」

「そこまでは設定されてなかったと思いますけど、悲しい状況になったら落ち込めっていうふうなプログラミングが、きっと書かれてあったんですよ」
「じゃあ、その悲しい状況っていうのは、いったい誰が決めたんだ?
プログラミングする奴が、こういう状況を悲しいものだって、未来予測して入力したのか?
……違うだろ。悲しいってのは、ほかの誰でもない、お前の主観だろ?」

 私はなぜか、話しているうちからイライラとしてきて、柾の手を振り払い叫んだ。

「……屁理屈ばっかり! いい歳したおっさんが、ロボットにも心はあるなんて、言うんですか?
ロマンチックに童話に生きてるんじゃないですよ!
ロボットの本人が、理論的に私は機械だって認めているんだから、それはそれでいいんですよ!」

「屁理屈って、お前の方が屁理屈だよ! 変なところばっか、ハルに似やがって。
世の中、説明のつかない超常現象も、ざらに起こるんだ。
お前みたいな、自分の意思を持つ人間のようなロボットができたって、何も不思議じゃねえんだよ。むしろそれがこの世界の普通だ!」

 柾も叫んだ。そして、私の首根っこをつかむと、私の目を見て言った。

「いい加減素直に認めろよ。そうやってハルに言われたことをいじいじ気にしてるお前も!
そうやって今怒っているお前も!
全部、お前の気持ちなんだよ! それは、他の誰の意思でも、操作でもない、お前自身の気持ちなんだよ!」

 柾は怒鳴った。私という一匹――一人をしっかりと見つめて、怒鳴った。

「なのに、なんでそれを否定する? お前も分かっているはずだ。心のどこかで、ハルの言ったことは間違っているって」

 柾は、私の首から手を離すと、座りなおして私を見た。

「お前はな。お前の、自分の意思で、ハルの傍にいたんだ。誰の命令でも指示でもない」

 私は、初めて見る柾の真剣な瞳から、なぜか目をそらすことができなかった。

「それだけは俺が保証する」

 その言葉には、そのことを証明できるだけの論理的な根拠はないが、
 なぜか、その言葉が世の中すべてのあるべき事象――森羅万象のように思えて。

 私は、自然と認めざるを得なかった。
 だから、次に自然と口を突いて出たのは、問いであった。

「……私は、これから、どうすればいいんですか?」

 私はうつむいた。

「……この感情が、気持ちが、まぎれもない自分の物だって分かったところで。だから、これからどうしろっていうんです?
ハル様ともう二度と話せない、この悲しい気持ちをずっと抱えて、一人ぼっちで生きていけっていうんですか?」
「お前なあ……」

 柾はあきれながら言った。

「もう二度と話せないって、仲直りすればいいだけだろう?」

 柾は頭をかくと、夜空を見た。

「別にハルと死に別れたわけではないんだ。生きてさえいれば、会える。死んだ者には気持ちを伝えたくても伝えられないけれど、お前たちはそうじゃない。どっちも生きているじゃないか。

あいつは、お前を決して嫌いになったわけじゃない。……あいつは、長い間、父親との関係の問題を抱えていた。そして、今回の件がきっかけとなって、長い間張りつめていた糸が切れて――自棄を起こしただけだ。

でも、残念だけど、あいつが意地となっているところを見るに、俺やお前がこれ以上何を言ったって、もっとかたくなになるだけで、この結婚は止められないだろう。お前も、仲直りしに行ったところで、たぶん顔すら見せてもらえない。

……でも、何十年かかるかはわからないが、いつかはきっと落ち着く日が来る。もしかしたら、案外、相手の人が良い人で、幸せになる可能性もないとは言えない。

だから、その時に仲直りすればいいんだ」

「……長い間」

 どれほど、私は、彼女と話せないまま、過ごさなくてはいけないのだろう。そのことを想像して、私は急に恐ろしくなった。
 すると、そのことを見透かしたのか、柾は安心させるように笑った。

「大丈夫。お前たちの特権は、どちらも生きていることだ。運のいいことに、今の時代は人間人生百年で、お前はほぼ不死身と、まだまだ時間がある。慌てず、少しずつ、また前のように戻っていけばいいじゃないか」
「……できます、かね?」
「できるさ、きっと」

 柾は、にかっと笑った。

「あいつとお前の関係性は、完全に消えてはいない。いつかきっと、元通りになるさ。
そして、その時にお前が、ハルを幸せにしてやればいいんだ」


――幸せ。
私が、彼女を幸せに――。


 できるのだろうか。この、温度のない体で。
 できるのだろうか。この、人型でもない体で。

 できるのだろうか。この、人工物の脳で――。


 いくら考えても答えは出ない。
 そんな苦悩を一時中止させるかのように、柾は私の背を叩いた。

「さあ、難しいことを悩むのは、明日にして。今日は遅いから、さっさと寝ろ。背が伸びないぞ」
「……私は睡眠とってもとらなくても、背も何も大きくなりませんが、」

 むしろ睡眠するだけで大きくなれるなら、大きくなれた方がありがたかった。
 そうすればせめて、ハル様を抱きしめて、少しでも心を落ち着かせられるのに――。


 そんなことを望んだところで、現実は無常で。
 そんなことを望んだところで、やはり私は器械で。


「……お言葉に甘えてここは寝ましょうかね」

 もう考えるのが嫌になった私は、多少投げやりな心地で、柾の言葉に頷いた。
 すると、柾は、ぽんぽんと膝の上をたたく。
 私は、優しい申し出に甘え、その上に乗る。

 柾が優しくなでてくれるのに、意識を何とか向けて、余計なことを考えないようにして――。
 私は、この非情な世界から逃れるかのように、意識をシャットダウンした。