「……リヒト様?」

 アカリは驚いた様子でリヒトの名を呼んだ。
 ローズはそこに少し驚いた。
 ――まさか彼女は、リヒトに報告なしに来たのだろうか?
 『光の聖女』として行動が制限されていると思っていたローズは、リヒトに断りの一つくらいは入れているものと思っていた。
 そういえば護衛も居なかったが、まさか彼女は一人でここまで来たというんだろうか?
 今になって、ローズはアカリの不審な点に気付いて混乱した。

「アカリから離れろ!」
 リヒトは、アカリの髪に付いた綿毛をとろうとしただけのローズを怒鳴りつけながら歩く。
 ローズは動揺しながらも、必死に顔には出さないよう自制した。

「まさかまたアカリに手を出そうとしているなんて……。騎士になったと聞いたから――変わったと思っていたが勘違いだったようだな」

 リヒトはそう言うと、ローズを睨み付けた。

「お前と婚約破棄したっていうのに、父上はアカリとの婚約を認めてくださらない。ローズ。お前、裏で何か手を引いているんじゃないのか?」
「そんなことをするわけがないでしょう」
 身に覚えのない罪の疑惑を着せられて、ローズは流石に反論した。

「だが現に今だって、アカリの頬を叩こうとしていたんだろう?」
「していません」
 ローズは即答した。

「リヒト様。貴方が何を勘違いし、アカリと恋仲だろうがなかろうが、今の私にはどうでもよいことなのです。貴方方の婚約が認められないことに、私は何の関係もありませんし興味もありません」

 ――どうしてこの人は、いつもずれたことばかり言うんだろう。
 ローズは少し頭にきて、語調強めにリヒトに言った。

「な……!」
 ローズは、ぷいと顔を背けた。
「決闘だ!」
 すると何を思ったか、リヒトはローズに決闘を申し込んだ。

「……は?」
 離れた場所で二人を見守っていたユーリは、聞こえた言葉が理解出来ず声を漏らした。
 勝敗など戦う前にわかっているというのに、戦う理由がわからない。

「俺と決闘しろ! ローズ・クロサイト!」
「……リヒト様、一体何のために決闘が必要だというのですか?」

 ユーリは思わずリヒトに尋ねていた。
 幼馴染であるユーリは、幼い頃のリヒトの力量を知っている。そして、いつもリヒトを圧倒していたローズの能力も。
 負けるとわかっているのにわざわざ決闘を挑む? ユーリにはリヒトの考えが理解出来なかった。

「かしこまりました」
「ローズ様!?」
 しかしローズは一つ溜息を吐いて、リヒトの要求を受け入れた。
 ユーリは思わずローズの名を叫んでいた。ユーリの声が裏返る。

「ユーリ」
 ローズは、自分の前に出ようとするユーリを手で制した。
「手出しは無用です」
 ゆっくりと目を瞑り、そして静かに告げる。

「アカリと一緒に下がってください」
「……かしこまりました」

 騎士ではなく公爵令嬢。
 今のローズに逆らうことが出来ず、ユーリはローズに言われるがままアカリを誘導した。
 光の聖女であるアカリを、私闘に巻き込むわけにはいかない。
 本来であればこの場所で戦うこと自体騎士団にとって迷惑な話だったが、幼馴染とはいえ王子相手に「迷惑だから喧嘩はやめてください」とは、ユーリは言えなかった。

 ローズは二人が離れたのを確認してから、新調したばかりの指輪に触れた。
 ユーリ相手ならまだしも、リヒト相手に剣で戦うわけにはいかない。
 ――怪我をさせるわけにもいかないし、そうなると無難なのは水魔法でしょうか……?

「本気で来い!」
 そんなことを考えているとリヒトの叫び声が聞こえて、彼女は我に返った。
「わかりました」
「よし!」
 ローズは首肯した。
 その返事に満足したらしいリヒトは、赤い石の嵌った指輪に触れて、水魔法を発動させた。

 ――だが。
 ちょろ。ちょろろろろ……。
 リヒトの水魔法は、子どもがお風呂で遊ぶ水鉄砲レベルの勢いもなかった。
 水は前に進むことなく、そのまま下へと滴り落ちる。

「……リヒト様」
 同じく水魔法を使おうとしていたローズだったが、余りのお粗末さに思わず尋ねてしまう。

「ふざけていらっしゃるのですか?」
 これでは決闘も何も、お話にならない。

「なわけないだろ!」
 ローズの目には、リヒトは焦っているように見えた。

「い、今のは……失敗しただけだ」
 どもりながらリヒトは言う。
 確かにローズの知る今の彼の実力であれば、この威力はおかしい。
 ちょろ。ちょろろろろ……。
 しかし再び彼が発動した魔法は、同じように滴り落ちるだけだった。

「…………」
 本人も原因がわからないのか呆然としている。

「リヒト様」
 ローズは静かにリヒトに語り掛けた。
「本気を出した方がよろしいですか?」
「あっ、当たり前だ!」
 リヒトは反射的にそう返していた。

「本気で来い!」
 そして、なんの攻撃にもならない魔法しか使えない手を、ローズへと向けた。
 確かに『本気で来い』という相手に本気を出さないのは、失礼に当たるかもしれない。
 でも相手は――あのリヒトなのだ。
 ローズは静かに目を伏せて、左下へと視線を向けた。
 ローズの記憶の中で、幼い誰かが一人で泣いている。

『僕はどうして、兄上のように魔法が使えないんだろう。毎日、毎日、こんなに頑張ってるのに。どうして、僕は、僕には……』

 幼いローズは、ずっと木に隠れて彼の姿を見ていた。声を掛けていいかわからずに、一輪の花を背に隠して。
 結局差し出されずに枯れた花を――その最後を思い出して、かつて花を握りしめた手に、ぎゅっとローズは力を込めた。
 リヒト相手に本気の魔法をぶつけることは、ローズには出来なかった。たとえそれを、リヒトに侮辱だと罵られても。
 ローズは力を抜いて魔法を使うことにした。
 原因はわからないが、今彼は魔法を上手く使えないらしいし、頭を冷やすくらいの水で攻撃するだけならば大丈夫だろうとーーそう思って。

「え?」
 しかし、『測定不能』という値をはじき出したばかりのローズは、今の自分の力を制御出来ていなかった。
 バケツ一杯分の威力をイメージした魔法は、濁流となってリヒトを攻撃する魔法へと変わる。

 ――違う。私は、こんな魔法は望んでいない!

「ローズ様!」
 ユーリは、ローズの行動を理解して彼女の名を叫んだ。
 ローズは風魔法で一気に加速すると、リヒトに近付いた。
 本来であれば、発動された魔法に追いつくことは不可能だ。
 けれど今のローズには、力を抑えた魔法に追いつくことは可能だった。

「――リヒト、さま……」
 突然自分に向けられた魔法に、尻餅をついて倒れ込んでいたリヒトは、目を開けた時に目の前にあった光景に、呆然と目を見開いた。
 濡れた髪から頬を伝う。その滴は、リヒトへと降りかかる。
 リヒトには、まるで彼女が泣いているかのように見えた。

「……大丈夫、ですか?」
 ローズは自ら放った水魔法を受け、リヒトを庇った。

「……なん、で……」
 自分を庇ったがためにびしょ濡れになった彼女を見て、リヒトは思わずそう漏らしていた。
 声が震える。
「なん、で、こんな……」
 水滴はリヒトの頬に落ち、その滴もまた、涙のように彼の頬を流れる。

「……申し訳ございません。力の制御を誤ってしまったようです」
 ローズは、濁流を受けた背中の痛みを隠すために、何でもないふりをした。
 光魔法を使って治癒すればいいだけのことだが、衝撃の痛みは心に残る。

「貴方が。――……貴方が、ご無事でよかった」
 ほっと息を吐く。びしょ濡れのローズが、リヒトを気遣うような声で言う。

「……っ!」
 リヒトは息を飲んだ。ローズの表情に、ずきりと胸が痛む。
 けれどどこかで頭が冷えていく彼も居て、リヒトはあることに気付いて唇を噛んだ。
 冷静になって考えれば、『貴方は弱いから庇いました』と言われたようなものだ。それも、決闘を挑んだ相手自身に。

「お、俺の上からおりろ!」
「……はい」
 押し倒すような状態で庇われていたリヒトは、声を荒げて叫んだ。
 ローズは、リヒトにばれないよう光魔法で傷を癒しながら、ゆっくりと立ち上がった。

「礼は言わないからな! 元々、お前のせいなんだから……」
 治癒したばかりの体には違和感が残る。
 ローズが他に体に異常が無いか確認していると、リヒトは少し高めの声でローズを責めた。
「はい」

 どうやら『決闘(?)』は終わったようだ。
 事態を目撃していた若い騎士の一人が、ユーリにタオルを渡した。
 ユーリは彼に礼を言ってそれを受け取ると、タオルを手にローズへと駆け寄った。

「ローズ様……こんな危険なこと、もうなさらないでください」
「……すいません。ユーリ」

 見目美しいユーリは、ローズと並ぶと一枚の絵画のようだった。
 まるで恋人のように、ユーリは優しい手つきでローズの髪を拭いた。
 その光景を見て、リヒトは舌打ちして低い声で言った。

「……騎士団も落ちたものだな」
 その声音は、氷のように冷たかった。
「風紀が乱れているんじゃないか? こんなことで、国が守れると思ったら大間違いだ」

「リヒト様!」
 ユーリは、思わず彼の名を叫んでいた。
 どうしてこの方は、ローズ様を傷つけることばかり仰るのか――反論しようとしたものの、ローズに濡れた手で腕を掴まれ、ユーリは硬直した。

「いいのです。ユーリ、構わないで」
 ローズは静かに首を振った。
「ローズ様……」
 ユーリは、困ったように笑うローズを見て眉を下げた。
 そしてあることを思い付き、行動に移すことにした。
 ――もう貴方に、ローズ様を傷付けることは許さない。
 その決意も込めて。

「ローズ様、服を着替えましょう」
「……え? あ……あの、ユーリ?」

 ユーリはそう言うと、ローズを抱き上げた。
 ローズは驚いて、思わずユーリの顔を見た。
 金色の瞳は、ローズのために柔らかな笑みを作っていた。
 ローズの頬が、微かに朱色に染まる。
 子どものように抱き上げられて笑われると照れてしまう。
 リヒトは二人を見て顔を顰めると、ローズたちから背を向けた。

「聖女様」
 ユーリは静かな声でアカリを呼んだ。

「はっはい!」
「申し訳ございません。今日はもう、お引き取り願えますか?」
「……わかりました。今日はありがとうございました」
 アカリはローズたちに一礼すると、リヒトを追いかけていった。



 びしょ濡れになったローズは、結局公爵邸に帰宅することになった。
 騎士団に籍をおいている騎士とはいえ、ローズは公爵令嬢だ。今回の説明もあり、騎士団長であるユーリがローズを送ることになった。
 様子を見ていたベアトリーチェは、一人首を傾げていた。

「――やはり、妙ですね」
 本を手に思案する。そのさまは、とても彼に似合っていた。

「リヒト王子は、あそこまでは力が弱くなかった筈。ローズ様も、力の制御が出来なくなっているのは何故でしょう……?」
 僅かな間。彼は思考を巡らせる。

「熟考の価値がありそうです」
 ベアトリーチェはそう言うと、つかつかと部屋の中を歩いて、読んでいた本を戻した。
 そしてふと、あることに気付く。

「そういえば」
 彼の中でいくつものピースが結ばれていく。
 正解の、一枚の絵を完成させるために。

「聖女様とリヒト様は式をお持ちだとしても、ローズ様はなぜ騎士団の中に入ることができたのでしょうか……」
 解錠のための式は、普通の魔法とは異なり、配布した本人しか扱えないよう魔力検証が同時に行われる。

 魔力は、誰一人として同じ人間はいない。
 心臓に宿るという魂から送り出される、血液の中に交じる魔力。人の目には見えないそれが合致しければ、鍵は開かないはずなのに。

「彼女から申請はなかったですし……」
 自分が不在の間に行われた試験。
 誰かが彼女を中に招き入れたというのは考えられないし、第一記録が残る。
 許可なく部外者を招き入れるなんて、騎士団を除籍されてもおかしくない愚行を侵すものが居るとは、ベアトリーチェは思えなかった。

「記録について、一度調べる必要があるようですね」

 ベアトリーチェはそう言うと、カーテンを閉めて部屋を出た。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ローズが公爵家につくと、ミリアがすぐにローズを迎え入れてくれた。
 ユーリはローズを送る前、今回の出来事のを概要を、紙の鳥を使った手紙でミリアに伝えていたため、スムーズに事は運んだ。
 ミリアはローズの為に湯を沸かしていた。

「お嬢様、このままでは風邪を引いてしまいます。一度お湯につかってください」
「ありがとう、ミリア」
 ローズは礼を言って浴室へと向かった。
 結果、残されたユーリとミリアは二人っきりになった。

 一応美形で通っているユーリである。
 普通の淑女ならば、黄色い声の一つでも上げるのが普通の反応なのだが、ユーリの魅力は従妹のミリアには通じない。

「ユーリ・セルジェスカ」
 明らかに怒っている。
 そんな声で名を呼ばれ、ユーリは震えた。

「お嬢様と彼女を引き合わせましたね? どうしてちゃんと見ていなかったのです。お嬢様がまたあの方に傷つけられる可能性に、気付いていなかったとは言わせませんよ」

 自分と同じ金色の瞳がギラリと光る。ユーリは僅かに視線を逸らした。

「……好意的な顔をしていても、どこまでが本心か。王子の心を奪い婚約破棄させたくせに、自分は王子とは婚約出来ていないところは、失笑に値しますが」
「ミリアは本当、ローズ様のことになると容赦がないな」

 小馬鹿にしたように嘲笑う従妹に、ユーリは苦笑いした。

「当然です。お嬢様は私の大切な主人ですから」
 ミリアは静かに返す。
 ユーリは、言いたいことを言って少し落ち着いたらしい従妹の言葉に、感情を逆なでしないよう気を遣いながら同意した。

「まあ……俺も正直、よくわからない。彼女の言葉が本当かどうか。こんな時、あの方が居て下さったら……」
 手紙には、アカリがローズに話していた内容も大まかには書かれていた。ミリアはユーリが飛ばした手紙を見て顔を歪めた。

「貴方が言いたいことは分かります。けれど、叶わぬことを願ってもどうしようもないことでしょう?」
 ミリアの表情は暗い。
「……『真実を見通す目を持つ人間』なんて、そうそう生まれるものではありません」
「わかってる」

 ユーリはそう言うと、窓の外を眺めた。かつて共に過ごした幼馴染たちを思って。
 そして彼はふと、あることを思い出した。
 アカリが魔王討伐の前に、ローズと対峙した後呟いた言葉を。

「……そういえば以前、彼女が一つ気になることを言っていた」
「? 何です?」

 風に飛ばされ蒔いた種は、知らない場所で芽を出すものだ。
 それは微かに心に抱いた悪意も同じように。
 前に進もうと思っても、変わろうと思っても――過去は変えられないと、忘れた頃に人に告げる。

「ローズ様のことを、確か――『悪役令嬢』と」

「――何ですって?」
 ユーリの何気ない一言は、ミリアの何かに触れるものがあったらしい。

「み、ミリア……?」
 先程までの穏やかな彼女はどこへやら。ミリアは血が滲むほど唇を噛んで、怒りを顕わにしていた。

 どごお!
 ミリアは拳で壁に押し当てた。
 壁は、パラパラと粒子を落とす。

「やはりローズ様にあの女を近づけるべきじゃない。お嬢様をこれ以上傷つけさせない」
 先程まで輝いていた筈の瞳は、どこか陰りを帯びている。

「『光の聖女』がなんだというのです? あんな役立たず、さっさと見捨てて別の人間を探すべきではないのですか? 力が使えないくせに周りに頼ってばかりで。泣けば何もかもが上手くいくとでも思っているんでしょう。そんな幼稚な人間が、世界を救えるわけがない」

「……」
「どうせ元の世界でも、そうやって誰かに頼って生きてきたのでしょう? 自分では何もせずに、与えられるものだけを享受する。自分の為に誰かが動くことが当たり前で、ローズ様の命を危険に晒したにもかかわらず、よくのこのこと顔を出して魔法を教わろうなどと。自分は特別だとでも思っているのでしょうか。馬鹿馬鹿しい。あんな小娘の一人や二人、殺す事なんて片手でもできる」

「……ミリア」
 ユーリは、従妹の名前を呼んで彼女の言葉を静止させた。
 殺すなんて言葉を、自分と同じ瞳を持つ人間から聞くなんて、彼には受け入れられなかった。

「――『光の聖女』が死ねば、新しい『光の聖女』が選ばれる。彼女じゃなくてもいいと、貴方が告げないのは何故ですか」

 しかし止めたことで、ミリアは責める標的を今度はユーリに変えた。突然話を振られて、ユーリは反応に困った。
 とてもすぐに答えられる質問ではない。

「自分は特別だと立場に甘んじるから、成長も無いのではないのですか」
「…………それでは、脅しになるだろう……」

 ユーリは甘い。それは彼の優しい性格のせいで、短所であり長所でもある。ミリアは従妹でユーリを理解はしている。でも、優しいばかりでは何も変えられないのも事実なのだ。

「ではこれからも、お嬢様が傷つけられてもいいと言うのですか!?」
 ミリアは声を荒げた。

「替えの効く人間とお嬢様なら、どちらを選ぶべきは明白でしょう? もしこれからも――彼女がお嬢様を傷付けるようなら。魔王と戦う力を使うことが出来ないなら……!」
 ミリアは拳を握りしめた。冷ややかな声で言う。

「――私が、この手で彼女を排除します」
 ユーリはごくりと唾を飲んだ。
 ミリアは本気だ。ユーリには、それがわかってしまう。
「私は、お嬢様を傷付けるものを許さない。たとえそれが、誰に咎められることであっても」

『貴方の手は、人を守ることが出来る手なのね』

 ミリアは自分の手を見つめた。
 かつて自分のそう言って笑いかけてくれた幼い主のことを、ミリアは思い出していた。
 薔薇の棘は幼い時は柔らかいと、ミリアは昔誰からか聞いたことがある。そして薔薇はまだ幼い時に棘を抜かれては、ずっと傷跡として残り続けると。
 ローズ。
 ミリアの主人である少女の名前は、薔薇だ。幼い時はどこか無防備だったが、今は気高く花へと成長した。
 しかしそれでも、傷つきやすい子ども時代からローズを守り続けるミリアにとって、ローズの印象はこどものころと変わっていない。
 ローズの心に傷を残すような人間を、ミリアは許せない。

 ローズは幼い頃、瓦礫に埋もれて死にかけたことがある。 
 それを助けたのは、まだ『お嬢様』に出会ったばかりのミリアだった。あどけない顔をしたローズは、傷だらけになったミリアの手を包んで言った。

『私を、助けてくれてありがとう』

 温かな光がミリアの体を覆う。
 ローズは、自分を守るために傷付いたミリアを光魔法で治した。
 身体強化系の魔法は、男であれば喜ばれるが、女である場合世間の目は厳しい。
 ミリアは由緒あるアルグノーベン家の生まれだが、生まれた時に男だったら良かったのにと、ずっと周りから言われて育った。
 ミリアにとってローズは、自分が初めて守った命で、居場所を与えてくれた恩人だった。

「お嬢様は、昔からお優しい。だからこそ、それに付け入る人間を、私は許しません。貴方が彼女を罰さないなら、私がこの手で罰を下す」

 そもそもミリアにとっては、アカリがローズよりも光魔法の潜在能力が優れているということ自体許せないことだった。
 ――お嬢様より彼女の方が、優しい人間だとでも? ……そんなことは有り得ない。
 ミリアは赤い林檎を一つ手に取って、強く握りしめた。
 林檎は粉砕され、ぽとぼとという音を立てて欠片は床に落ちていく。

「私は、お嬢様をお守りするために居るのですから」

 ミリアは地面に落ちた林檎の欠片を冷たく見下ろしてから、静かに口端を吊り上げた。