「それにしても、ディーンのあのパワー、ごっついよなぁ」
ある日の開店準備中、パティが水拭き用のモップにもたれかかった姿でおもむろに口を開いた。
その言葉にディーンは当然、という顔つきで得意げに鼻を鳴らす。
「うん、確かにすごいと思うけど。……急にどうしたの?」
「ほら、前にディーンがウチを小脇に抱えてダッシュしたやん? あれ、めっちゃおもろかってん」
「面白かった!?」
私は勢いよくパティを振り返った。パティは真剣な顔つきで天井を見上げている。
「おん。ぎゅんぎゅん景色が変わっていくし、風がめっちゃ気持ちえぇし、目的地まであっちゅーまやったし」
「……怖いとは思わなかったの?」
「最初はびびったけど、めっちゃおもろかったで」
パティは絶叫マシーンが平気なタイプなのかもしれない。
「ほんでな、えぇこと思いついてん」
「いいこと?」
パティの目がきらりと輝いた。
「魔獣人どもに、運搬業をさせるんはどうやろう? 例えば親の死に目に間に合わせたいとか、一刻も早く薬を届けたいとか、需要は多いと思うねん」
「却下」
私の言葉に、パティはドタドタと足を踏み鳴らす。
「なんでぇや! もう普通の人間やないってバレとんのやし、この際めいっぱい特性を活用していこうや! 絶対儲かるって!」
「やっぱりそれか」
「それしかないやろがぃ。なぁ、レオ。どない思う?」
急に話を振られたレオポルドは、窺うようにこちらへ目を向けた。
「それがアリスのためになるのなら」
「なるで、めっちゃアリスの助けになる!」
「そうか。なら……」
「私の名前を利用しない!」
その時、ふいに店の扉が開いた。
「あ、すみません。まだ準備中でして……」
「ふむ、ここが例の店ですか」
私の言葉を無視して入ってきたのは、恰幅のいいてらてらと額を脂で光らせた中年男だった。
ぐるりと店内を見回し、レオポルドたちを見る。
目つきはどろんとしているが、油断ならない光が奥に光る。
背後には人相の悪い男たちが控えていた。
「あのぅ……」
「あなたが店長のアリスさんですね?」
男は無遠慮にパーソナルスペースへ踏み込んできた。
「わたくし、テヴリ商会のオーナー、ザカリアと申します」
「はぁ」
距離感が気持ち悪く、私は一歩下がる。
すると相手はまた一歩、詰めて来た。
「……何の御用でしょうか」
「開店前のお忙しいところ、誠に申し訳ない。手短に用件だけお伝えいたします」
そう言うと私から離れ、ドカッと席に腰を下ろす。
「実はテヴリ商会では飲食店をいくつが営んでおりまして。新たに開く店で使える斬新なアイデアを探していたのです。そんな折、こちらのお店の噂が耳に入りましてなぁ」
「どうぞ」
セスが湯気の立つお茶を訪問者に差し出す。
男の丸々と太った指が、セスの真珠色の鱗に覆われた腕を掴んだ。
「あぁ、実にいい! この非日常感! そしてこの艶めかしさ」
ザカリアはべろりと、自分の唇を舌で湿す。
「アリスさん、こちらのお嬢さんをぜひ私の店へスカウトしたいのだが」
「お嬢さん? セスが?」
「申し訳ございません、ザカリア様。私、これでも男でして」
「なんだ、男か。紛らわしい」
男、という言葉にザカリアは露骨に態度を変える。
放り出すようにセスの腕を離すと、再びこちらへ作り笑いを浮かべ揉み手した。
(セスを渡すつもりはこれっぽっちもないけれど)
「男じゃだめなんですか?」
「えぇ、わたくしの店では給仕は全て女の仕事となっておりまして。そんなわけで、彼らのような姿のメスを、わたくしは欲しているわけでございます」
メス?
「どうでしょう、アリスさん。メスを数匹譲ってはいただけませんでしょうか?」
匹、ね……。
「生憎ですが、女性のケモはいません」
「女性はいない? ははは、そんなことないでしょう」
そんなことがあるんです。
ゲーム『けもめん』には男の獣人しかいなかったのだ。
私がキスすることで生まれる魔獣人たちが、その登場キャラを模した存在である以上、女の獣人は生まれない。
ナビの妖精だけは、人型の女の子の姿だったけど。
「ねぇ、アリスさん」
男が再び迫ってくる。
そして私の手を両手でぎゅっと包んだ
「ぎゃ!?」
「意地悪言わないでくださいよ。お礼ならきちんとしますから、ねぇ?」
小首をかしげて目を覗き込んでくるが、脂ギッシュな中年親父は、コリンのように可愛く決まらない。
猫なで声も、正直きつい。
「離して……!」
「そんな嫌そうな顔をしなくても……あだだだ!?」
ザカリアが悲鳴を上げ、私から手を離す。
見れば漆黒の指が、ザカリアの太い腕をぎっちり捕らえていた。
「アリスに狼藉は許さん」
「レオポルド!」
「あだだ、痛、痛っ! 骨がっ! は、離せ!」
「オーナー!」
周りの男たちが気色ばむ。
けれどその前に、コリンやディーン、セスが立ち並んだ。
「出てってなの。アリスに嫌なことする人には、ボク、容赦しないの」
「なぁなぁ、アリス! こいつらぶちのめしてもいいよなぁ! 敵だよなぁ!?」
「ふふ、二人とも。店を壊さないよう手加減して差し上げなさいね?」
「くそっ」
ザカリアが腕を振りほどく。レオポルドが解放したようだ。
「今日の所は、これで失礼いたしますよ。アリスさん」
掴まれていた腕をさすりながら、ザカリアはゾッとするような笑みを浮かべる。
「わたくしの店は、国のあちこちにあります。同じ飲食店経営者として、今後も穏便に付き合っていきたいでしょう?」
「……」
「帰るぞ、お前たち」
背に苛立ちを滲ませながら、ザカリアは足音を立てて店を後にする。
取り巻きの男たちも、こちらを睨みながら主の後に続いて出て行った。
ある日の開店準備中、パティが水拭き用のモップにもたれかかった姿でおもむろに口を開いた。
その言葉にディーンは当然、という顔つきで得意げに鼻を鳴らす。
「うん、確かにすごいと思うけど。……急にどうしたの?」
「ほら、前にディーンがウチを小脇に抱えてダッシュしたやん? あれ、めっちゃおもろかってん」
「面白かった!?」
私は勢いよくパティを振り返った。パティは真剣な顔つきで天井を見上げている。
「おん。ぎゅんぎゅん景色が変わっていくし、風がめっちゃ気持ちえぇし、目的地まであっちゅーまやったし」
「……怖いとは思わなかったの?」
「最初はびびったけど、めっちゃおもろかったで」
パティは絶叫マシーンが平気なタイプなのかもしれない。
「ほんでな、えぇこと思いついてん」
「いいこと?」
パティの目がきらりと輝いた。
「魔獣人どもに、運搬業をさせるんはどうやろう? 例えば親の死に目に間に合わせたいとか、一刻も早く薬を届けたいとか、需要は多いと思うねん」
「却下」
私の言葉に、パティはドタドタと足を踏み鳴らす。
「なんでぇや! もう普通の人間やないってバレとんのやし、この際めいっぱい特性を活用していこうや! 絶対儲かるって!」
「やっぱりそれか」
「それしかないやろがぃ。なぁ、レオ。どない思う?」
急に話を振られたレオポルドは、窺うようにこちらへ目を向けた。
「それがアリスのためになるのなら」
「なるで、めっちゃアリスの助けになる!」
「そうか。なら……」
「私の名前を利用しない!」
その時、ふいに店の扉が開いた。
「あ、すみません。まだ準備中でして……」
「ふむ、ここが例の店ですか」
私の言葉を無視して入ってきたのは、恰幅のいいてらてらと額を脂で光らせた中年男だった。
ぐるりと店内を見回し、レオポルドたちを見る。
目つきはどろんとしているが、油断ならない光が奥に光る。
背後には人相の悪い男たちが控えていた。
「あのぅ……」
「あなたが店長のアリスさんですね?」
男は無遠慮にパーソナルスペースへ踏み込んできた。
「わたくし、テヴリ商会のオーナー、ザカリアと申します」
「はぁ」
距離感が気持ち悪く、私は一歩下がる。
すると相手はまた一歩、詰めて来た。
「……何の御用でしょうか」
「開店前のお忙しいところ、誠に申し訳ない。手短に用件だけお伝えいたします」
そう言うと私から離れ、ドカッと席に腰を下ろす。
「実はテヴリ商会では飲食店をいくつが営んでおりまして。新たに開く店で使える斬新なアイデアを探していたのです。そんな折、こちらのお店の噂が耳に入りましてなぁ」
「どうぞ」
セスが湯気の立つお茶を訪問者に差し出す。
男の丸々と太った指が、セスの真珠色の鱗に覆われた腕を掴んだ。
「あぁ、実にいい! この非日常感! そしてこの艶めかしさ」
ザカリアはべろりと、自分の唇を舌で湿す。
「アリスさん、こちらのお嬢さんをぜひ私の店へスカウトしたいのだが」
「お嬢さん? セスが?」
「申し訳ございません、ザカリア様。私、これでも男でして」
「なんだ、男か。紛らわしい」
男、という言葉にザカリアは露骨に態度を変える。
放り出すようにセスの腕を離すと、再びこちらへ作り笑いを浮かべ揉み手した。
(セスを渡すつもりはこれっぽっちもないけれど)
「男じゃだめなんですか?」
「えぇ、わたくしの店では給仕は全て女の仕事となっておりまして。そんなわけで、彼らのような姿のメスを、わたくしは欲しているわけでございます」
メス?
「どうでしょう、アリスさん。メスを数匹譲ってはいただけませんでしょうか?」
匹、ね……。
「生憎ですが、女性のケモはいません」
「女性はいない? ははは、そんなことないでしょう」
そんなことがあるんです。
ゲーム『けもめん』には男の獣人しかいなかったのだ。
私がキスすることで生まれる魔獣人たちが、その登場キャラを模した存在である以上、女の獣人は生まれない。
ナビの妖精だけは、人型の女の子の姿だったけど。
「ねぇ、アリスさん」
男が再び迫ってくる。
そして私の手を両手でぎゅっと包んだ
「ぎゃ!?」
「意地悪言わないでくださいよ。お礼ならきちんとしますから、ねぇ?」
小首をかしげて目を覗き込んでくるが、脂ギッシュな中年親父は、コリンのように可愛く決まらない。
猫なで声も、正直きつい。
「離して……!」
「そんな嫌そうな顔をしなくても……あだだだ!?」
ザカリアが悲鳴を上げ、私から手を離す。
見れば漆黒の指が、ザカリアの太い腕をぎっちり捕らえていた。
「アリスに狼藉は許さん」
「レオポルド!」
「あだだ、痛、痛っ! 骨がっ! は、離せ!」
「オーナー!」
周りの男たちが気色ばむ。
けれどその前に、コリンやディーン、セスが立ち並んだ。
「出てってなの。アリスに嫌なことする人には、ボク、容赦しないの」
「なぁなぁ、アリス! こいつらぶちのめしてもいいよなぁ! 敵だよなぁ!?」
「ふふ、二人とも。店を壊さないよう手加減して差し上げなさいね?」
「くそっ」
ザカリアが腕を振りほどく。レオポルドが解放したようだ。
「今日の所は、これで失礼いたしますよ。アリスさん」
掴まれていた腕をさすりながら、ザカリアはゾッとするような笑みを浮かべる。
「わたくしの店は、国のあちこちにあります。同じ飲食店経営者として、今後も穏便に付き合っていきたいでしょう?」
「……」
「帰るぞ、お前たち」
背に苛立ちを滲ませながら、ザカリアは足音を立てて店を後にする。
取り巻きの男たちも、こちらを睨みながら主の後に続いて出て行った。