扉の向こうから覗いたのは、鮮やかなオレンジ色のポニーテール。
「パティ!?」
「うぉ、一人増えとるやん! アリス、また産んだんか」
「産んでないし! じゃなくて、帰ってきたの!?」
「なんや、帰ってったらアカンのかい」
「違うよ、思ったより早かったから。お帰り!」
 私が出迎えるとパティはフロアの椅子にどかりとリュックを下ろす。そして自分の肩を軽く揉みながら、首をコキコキ鳴らした。
「運が良かったんや。海まで行かんでも、プレックをぎょうさん溜めこんでる店見つけてな」
 言いながらパティはリュックを開き、中から昆布の束を取り出す。
「ほいよ。そこでも使われずに棚の奥で眠らせてたみたいやから、根こそぎ買い取って来たったわ」
「え、すごい量。ありがとう!」
「海から来た行商人から買ったはえぇものの、使い方わからんまま放置しとったんやて」
「そう言う人、結構いるのかな。勿体ない」
「えぇやん、知られてへん方が。コレから極上の味が出ると知られてしもたら、誰もかれもが使い始めて、アリスの料理が珍しくのぅなってまう」
「それは困るよね」

「ほんで」
 パティはディーンを見た。
「この新人君は、なんちゅう名前なん?」
「あ、この子ね。ディーンだよ」
「ディーンか。ウチはパティや、よろしゅうなディーン」
「ケッ」
 ディーンは反抗期丸出しで、パティの差し出した手を無視する。
「んだよ、このブス」
「おぉん!?」
 パティはこめかみに青筋が浮かべた。
「誰がブスや、このちんちくりん! べっぴんさんに失礼やぞ!」
「変な言葉! 何言ってるか分かんねぇよ。バーカバーカ!」
「バカ言う方がバカやって知らんのかぃ? バーカバーカ、ウルトラバーカ!」
 大人げなく、ディーンと同レベルでやり合うパティに笑ってしまう。
「またにぎやかになりそうだな」
 肩をすくめるレオポルドに、私はうなずいて返した。



「そうそう。道中、けったくそ悪いモン見てもうてな。参ったわ」
 パティは、夕飯の魚の天ぷらにがぶりと噛みつく。
「けったくそ悪いもの?」
「おん。見世物小屋の中でな、ザーリッドが虐待されてたんや」
「ザーリッドって?」
「爬虫類型の魔獣や」
 私は息を飲んだ。

「言っとくけど、ウチらにとって魔獣は今でも敵やで? 人間に害を及ぼす討伐対象や。せやけどな、あれはアカン。見てられへんかった」
「何を見たの?」
「魔獣て、魔石(ケントル)砕かんと消滅せぇへんやん? それをえぇことに、逃げられんようにガチガチに繋ぎ止めておいて、興行主も客も一緒になって、刺したり斬ったりやり放題やったんや」
「……!」
 私はレオポルドをふり返る。
「あの、今更だけど、魔獣って痛みは感じる? それとも石を砕かない限り平気だったりする?」
「いや、痛みはある。すぐに塞がるため、刹那のものだが」
(痛み、一応あるんだ……)

「ウチが見た時もそうやった。斬られても目の前で傷は塞がってしまう。そしたらまた同じ場所を傷つけられるんや。あの魔獣、来る日も来る日も、終わらん苦痛を味わわされとるんやろうな。蜥蜴型魔獣(ザーリッド)の雄叫びと、客の下衆な笑い声が、今も耳にこびりついとるわ」

 私はフォークを下ろす。
 食事が喉を通らなくなってしまっていた。
「アリス、大丈夫なの? 顔色悪いなの」
「……ん」
「っと、悪い悪い。食事中にする話やなかったな」
「……ううん」
 パティはガリガリと頭を掻く。
「しっかし、レオらと付き合ぉてるうちに、ウチも魔獣を単純に敵として見れんようになってしもたなぁ。アリス、アンタのせいやで?」
「……うん」
 冗談めかしたパティの口調にも、私は気の利いた言葉を返せない。

「……その子、助けてあげられないかな」
 ようやく私が絞り出した言葉に、パティは顔をしかめる。
「助けるて? 興行主の手から奪い取って、野に放つんか? それはアカンで。人を襲うようになる」
「じゃあ、魔獣人に変えて、ここで引き取るのは?」
「気持ちは分かるけどな、あの興行主もアレでおまんま食っとるんや。趣味の悪い仕事やけど、飯のタネを奪う権利はウチらにはない」
「買い取る、とか」
「向こうとしては商売道具を手放すんや。まぁ、何百万カヘ積んでも売ってくれるかどうかやな」
「……だよね」
 私はため息をつく。これは『可哀相』なんて気持ちで簡単に解決できない問題だ。
「出来ることなら……」
 隣から聞こえてきたのは、寂しげな低い声。
「いっそ、この手で石を砕いてやりたいものだ……」
(レオポルド……)
 魔獣の立場としては、やはり終わりのない苦しみから仲間を解放してやりたいのだろう。

 だが、このしんみりした空気の中、ただ一人目を輝かせた者がいた。
蜥蜴型魔獣(ザーリッド)の石を砕く!? それ、オレにやらせてくれよ!!」
「ディーン!?」
「オレ、蜥蜴型魔獣(ザーリッド)とは一度やりあってみたかったんだよなぁ!」
 言ったかと思うとディーンは椅子を蹴って立ち上がり、大股でパティへ近づいていく。
 そして、ビーチボールでも扱うかのように、パティを小脇に軽々と抱えてしまった。
 千切れんばかりに尻尾を振り回しながら。
「へ?」
「行くぜ! 案内しろよ、その蜥蜴型魔獣(ザーリッド)んとこに!」
 言ったかと思うと、ディーンは扉を突き破り外へと飛び出していった。
「おわぁあぁああああ!?」
 パティの雄叫びが暗闇の中、遠ざかっていった。