(う……)
涼やかな水の音と、顔に当たる微細な雫で目を覚ます。
(ここは……)
目に映ったのは、深緑の世界に浮かび上がる青白い水流。
(滝?)
苔むした岩場で身を起こすと、これまでの記憶が蘇ってきた。
(私……、呉天谷キャンプ場で吊り橋から落とされて……)
渓流に叩き付けられたはずだ。子どもの膝ほどの深さしかない、岩だらけの場所に。
(痛いところや怪我は、特にないな)
私は滝にもう一度目をやる。
(川の中を流されて、あの滝からここに落ちた? それにしては……)
服は殆ど濡れていない。横たわっていたのが岩場というのも謎だ。
「あっ、スマホ!」
私は腰に手をやる。財布やスマホを入れたウェストポーチは、そこになかった。
「『けもめん』のデータぁ!!」
真っ先に頭に浮かんだのはそれだったが、時間差で常識的な問題に思い至る。
(嘘でしょう? 財布にはクレカも入ってたのに! それにスマホなしでこんなところに落ちてしまって、どうやって助けを求めればいいの?)
BBQのメンバーが救助要請を出してくれるだろうか。
(……難しいかも)
そもそも私は、彼女らとそれほど仲が良くない。
BBQへ呼ばれたのは、男性幹事の神室さんが私を呼ぶよう言ったからだ。
女性幹事の岡名さんはそれを面白く思っていない。
そして私を落としたのが神室さんとなれば……。
(岡名さんは神室さんを庇おうとするかも。手を洗いに行った私を二人で探したけど、見つからなかったことにしようとか何とか言って)
ゾッと背筋が冷える。
(そして岡名さんは秘密の共有を盾に、自分と付き合うよう神室さんに迫る可能性も……)
つまり、救助は期待できないということだ。
さらに言えば、私は現在親元を離れ一人暮らしである。
私がキャンプ場から帰っていないことに気付いてもらえるのは、ずいぶん先だと判断した。
私はあらためて辺りを見回す。
黒いほどに深い緑色の森の中。轟く滝は相当な高さを誇っており、壁面をよじ登るのは無理そうだ。
私はポケットに手を入れる。
(あ……)
マンションの鍵につけておいた、推しのラバーストラップが指先に触れた。
「レオポルドぉお!」
私は取り出し、愛しい黒豹獣人のキャラを見つめる。
艶やかな漆黒の体に鋭い翠の瞳。スッと背筋の伸びた立ち姿。
彼の精悍な顔立ちを見ているうち、胸の奥に熱がよみがえった。
(ここにいても仕方ない。えぇと、こんな時って川沿いに歩いて行けばいいんだっけ?)
そんなことを思いつつ、いずこへか進もうと立ち上がった時だった。
「……か……て……!」
耳に届いたのは、微かな人の声らしきもの。
「え?」
私は辺りを見回す。葉が風になぶられるような音が徐々に近づく。
やがてそこに足音が加わり地響きまでもが伝わってきた。
「助けて! 誰か!」
それが女性の声と認識できたのと同時に、草むらからオレンジ色の髪をした人物が飛び出す。
「うわ!」
「あ、アンタ!」
(関西なまり? いや、荷物でっか……!)
だがそれ以上彼女を観察してはいられなかった。
時を置かず、灰色の追跡者たちが飛び出してきたからだ。しかも、群れなして。
「何、これ!?」
大型のネズミのような生き物が牙をむいて威嚇している。
「ヌートリア!?」
ただし、黒い目が三つある。
「何言うてんねん! こんなんユズオムて見たらわかるやろ!」
「ゆず?」
「後や、後!」
言いながら彼女は荷物から棍棒を引っ張り出す。
「ここやったら樹の枝に引っ掛かることもないやろ!」
すかさず飛び掛かってきた一匹の頭部を勢いよく殴りつける。
刹那、殴られた個体は塵となって消え失せた。
「な!? 消え……!」
「アンタもその辺の棒で何とかしぃ! 名前は?」
「え? 不破……、有寿」
「よっしゃ、アリスな。ウチはパティ。背中は任せたで!」
「わ、わかった!」
私は目についたそれなりの太さの枝を拾い上げる。そして飛び掛かってきた一匹の胴を薙ぎ払った。
だが、私が払い落した個体は全くダメージを受けた様子がなく、ぴんぴんしている。
「なんで? 消えるはずじゃ……」
すぐさまその生き物は反撃してきた。鋭利な爪が腕をかすめ、血がじわりと滲む。
「痛っ!」
「アホ! 額の石砕かんでどうすんねん!」
(額の石?)
言われて気付く。額の中央にある三つめの目に見えたものがそれのようだ。
「えやっ!」
言われた通り、枝を巨大ネズミの額に振り下ろす。
何かが砕けた気配と同時に、ネズミは塵となって消えた。
私たち背中合わせになり、次々と襲い来る巨大ネズミを叩き落とし、チャンスがあれば額の石を割る。
「これ、いつまで続ければいいの!?」
「知らん! こいつらがウチらに飽きたらや!」
「飽きるっていつ!?」
「こいつらに聞け!」
互いに息を荒げ怒鳴りあいながら、私は思った。
(ここ、絶対に私の知ってる世界じゃない!)
額に石のある巨大ネズミ、しかもそれを砕けば塵になって消える?
私のこれまでの常識ではとても考えられない。
(じゃあ、まさかのアレ!? 異世界なんちゃら?)
その時だった。巨大ネズミたちが耳をピクリと動かし、動きを止めた。
(え?)
ネズミたちは辺りを落ち着かなく見回しながら、鼻をヒクヒク動かしている。
そのうち、じりじりと後退し始めた。何かに怯えるように。
「ひ!?」
パティの息を飲む声が背後から聞こえた。
「何?」
「嘘やん。無理やん、こんなん……」
「だから、何?」
「アホ! 大声出しなや……!」
ウルルルル……
頭上から降ってきたのは獣の唸り声。
見上げた先に、巨大ネズミとは段違いの大きさの黒い獣がいた。
涼やかな水の音と、顔に当たる微細な雫で目を覚ます。
(ここは……)
目に映ったのは、深緑の世界に浮かび上がる青白い水流。
(滝?)
苔むした岩場で身を起こすと、これまでの記憶が蘇ってきた。
(私……、呉天谷キャンプ場で吊り橋から落とされて……)
渓流に叩き付けられたはずだ。子どもの膝ほどの深さしかない、岩だらけの場所に。
(痛いところや怪我は、特にないな)
私は滝にもう一度目をやる。
(川の中を流されて、あの滝からここに落ちた? それにしては……)
服は殆ど濡れていない。横たわっていたのが岩場というのも謎だ。
「あっ、スマホ!」
私は腰に手をやる。財布やスマホを入れたウェストポーチは、そこになかった。
「『けもめん』のデータぁ!!」
真っ先に頭に浮かんだのはそれだったが、時間差で常識的な問題に思い至る。
(嘘でしょう? 財布にはクレカも入ってたのに! それにスマホなしでこんなところに落ちてしまって、どうやって助けを求めればいいの?)
BBQのメンバーが救助要請を出してくれるだろうか。
(……難しいかも)
そもそも私は、彼女らとそれほど仲が良くない。
BBQへ呼ばれたのは、男性幹事の神室さんが私を呼ぶよう言ったからだ。
女性幹事の岡名さんはそれを面白く思っていない。
そして私を落としたのが神室さんとなれば……。
(岡名さんは神室さんを庇おうとするかも。手を洗いに行った私を二人で探したけど、見つからなかったことにしようとか何とか言って)
ゾッと背筋が冷える。
(そして岡名さんは秘密の共有を盾に、自分と付き合うよう神室さんに迫る可能性も……)
つまり、救助は期待できないということだ。
さらに言えば、私は現在親元を離れ一人暮らしである。
私がキャンプ場から帰っていないことに気付いてもらえるのは、ずいぶん先だと判断した。
私はあらためて辺りを見回す。
黒いほどに深い緑色の森の中。轟く滝は相当な高さを誇っており、壁面をよじ登るのは無理そうだ。
私はポケットに手を入れる。
(あ……)
マンションの鍵につけておいた、推しのラバーストラップが指先に触れた。
「レオポルドぉお!」
私は取り出し、愛しい黒豹獣人のキャラを見つめる。
艶やかな漆黒の体に鋭い翠の瞳。スッと背筋の伸びた立ち姿。
彼の精悍な顔立ちを見ているうち、胸の奥に熱がよみがえった。
(ここにいても仕方ない。えぇと、こんな時って川沿いに歩いて行けばいいんだっけ?)
そんなことを思いつつ、いずこへか進もうと立ち上がった時だった。
「……か……て……!」
耳に届いたのは、微かな人の声らしきもの。
「え?」
私は辺りを見回す。葉が風になぶられるような音が徐々に近づく。
やがてそこに足音が加わり地響きまでもが伝わってきた。
「助けて! 誰か!」
それが女性の声と認識できたのと同時に、草むらからオレンジ色の髪をした人物が飛び出す。
「うわ!」
「あ、アンタ!」
(関西なまり? いや、荷物でっか……!)
だがそれ以上彼女を観察してはいられなかった。
時を置かず、灰色の追跡者たちが飛び出してきたからだ。しかも、群れなして。
「何、これ!?」
大型のネズミのような生き物が牙をむいて威嚇している。
「ヌートリア!?」
ただし、黒い目が三つある。
「何言うてんねん! こんなんユズオムて見たらわかるやろ!」
「ゆず?」
「後や、後!」
言いながら彼女は荷物から棍棒を引っ張り出す。
「ここやったら樹の枝に引っ掛かることもないやろ!」
すかさず飛び掛かってきた一匹の頭部を勢いよく殴りつける。
刹那、殴られた個体は塵となって消え失せた。
「な!? 消え……!」
「アンタもその辺の棒で何とかしぃ! 名前は?」
「え? 不破……、有寿」
「よっしゃ、アリスな。ウチはパティ。背中は任せたで!」
「わ、わかった!」
私は目についたそれなりの太さの枝を拾い上げる。そして飛び掛かってきた一匹の胴を薙ぎ払った。
だが、私が払い落した個体は全くダメージを受けた様子がなく、ぴんぴんしている。
「なんで? 消えるはずじゃ……」
すぐさまその生き物は反撃してきた。鋭利な爪が腕をかすめ、血がじわりと滲む。
「痛っ!」
「アホ! 額の石砕かんでどうすんねん!」
(額の石?)
言われて気付く。額の中央にある三つめの目に見えたものがそれのようだ。
「えやっ!」
言われた通り、枝を巨大ネズミの額に振り下ろす。
何かが砕けた気配と同時に、ネズミは塵となって消えた。
私たち背中合わせになり、次々と襲い来る巨大ネズミを叩き落とし、チャンスがあれば額の石を割る。
「これ、いつまで続ければいいの!?」
「知らん! こいつらがウチらに飽きたらや!」
「飽きるっていつ!?」
「こいつらに聞け!」
互いに息を荒げ怒鳴りあいながら、私は思った。
(ここ、絶対に私の知ってる世界じゃない!)
額に石のある巨大ネズミ、しかもそれを砕けば塵になって消える?
私のこれまでの常識ではとても考えられない。
(じゃあ、まさかのアレ!? 異世界なんちゃら?)
その時だった。巨大ネズミたちが耳をピクリと動かし、動きを止めた。
(え?)
ネズミたちは辺りを落ち着かなく見回しながら、鼻をヒクヒク動かしている。
そのうち、じりじりと後退し始めた。何かに怯えるように。
「ひ!?」
パティの息を飲む声が背後から聞こえた。
「何?」
「嘘やん。無理やん、こんなん……」
「だから、何?」
「アホ! 大声出しなや……!」
ウルルルル……
頭上から降ってきたのは獣の唸り声。
見上げた先に、巨大ネズミとは段違いの大きさの黒い獣がいた。