「あ、はは」
 私は慌てて目元をこする。
「恥ずかしいな。こんな顔、誰にも見られたくなかったのに」
「……」
「ごめん、落ち着いたら部屋に戻るから。大丈夫、ちょっと頭の中がワーッてなってるだけ」
「……誰にも、見られたくなかったのか」
 闇に融けるようなレオポルドの声が、胸の痛みに心地よい。
「うん……」
「分かった」
 瞬きした次の瞬間、レオポルドは私のすぐ横に片膝を立てしゃがんでいた。
 既に私の脇の下から背に、そして膝の裏に彼の手が回っている。
 彼の意図を察する前に、私の体は上昇した。
「ひぁ!?」
 続けてぐるんと姿勢を変えられ、私はレオポルドの逞しい肩の上にうつ伏せ状態にされる。
 お姫様抱っこ、からの(たわら)担ぎだ。
「れ、レオポッ!?」
 次は言葉が終わらぬうちに体に強い圧力がかかる。
 衝撃で取り落としそうになったラバーストラップを、慌てて掴み直した。
 周囲の景色が、すさまじい勢いで遠のいてゆく。
 レオポルドは私を肩に担いだまま、街の外へと疾走した。

 辿り着いたのは、イハバの森だった。
 レオポルドは駆け込んできた勢いのまま、軽い足取りで枝から枝へと跳躍する。
(ひぃい!?)
 ぐんぐんと遠ざかる地面に涙も引っ込む。私は固く目を閉じ、ラバーストラップを握る両手へ祈るように力を込めた。
 やがて動きが止まり、ぐるっと体をひっくり返される気配がする。
「……?」
 恐る恐る瞼を開き、そして息を飲んだ。
「ヒュッ!?」
 レオポルドは、地面を遥かに見下ろす高所の枝に腰を下ろしていた。私を膝に乗せて。
(ぎゃああああ!!)
 ぶらりと下がった足の下は、どこまでも続く闇へと繋がっている。
 少しでもバランスを崩せば、落ちてしまいそうだ。
「お、下ろして! 地面、下ろして!」
 私はレオポルドにすがりつき、訴える。
 この高さまで連れて来られたのは二度目だが、全く慣れる気がしない。
「足、地面、着きたい!」
 わななく口で何とか意思を伝える私を、レオポルドは静かな眼差しで見下ろしている。まるで今宵の月の光の様なその双眸で。
「ここなら、誰にも見られない」
「っ!」
「気の済むまで泣くといい」
(いや、無理!!)
 恐怖でがちがちに強張った心から、そんな潤いを絞り出せるわけがない。望郷の思いに涙するには、ある程度の心の余裕が必要なのだ。

 レオポルドは私の背を包むように、逞しい腕を回してきた。先より密着したため、安定感が増す。そして艶やかな獣毛に覆われた手が、私の両目を覆った。
「っ! 何?」
「……」
 レオポルドが静かにハミングを始める。
(このメロディ……)
『けもめん』のBGMの一つだ。
 メインテーマでなく、確かタイトルは「結び合う心」。
 キャラの個別イベントで、親交が深まったタイミングで流れる曲だ。
 私の中にある情報が注ぎ込まれた際、これも彼の中にインプットされたのだろうか。
(あ……)
 頭の中に、ゲームのレオポルドの思い出がよみがえる。
 その瞬間、涙を止めていた堰がふつっと切れた。
「っぐ、ぅ……ふうっ……」
 鼻の奥がツンとなる。目が熱い。喉には何かがつっかえているようだ。
 レオポルドはハミングを止めると、私の後頭部を掴み、顔を自分の胸へとやや強引に押し付けた。痛いほどに。
「アリス、これで自分にも顔は見えない。安心しろ」
「……っあ!」
 一度大きくしゃくりあげると、私は全ての感情を彼の胸へとぶちまけた。


「……お世話になりました」
 ひとしきり吐き出すと、私の心も落ち着いてきた。
「もう大丈夫デス」
「そうか」
 私の頭を抑え込んでいた大きな手が、そっと緩む。
 同時に辺りの景色が見えるようになったが、先ほどのように恐怖を感じなかった。
「いやー、別に泣くほどのことでもなかったんだけどね」
 気まずさを振り切るため、私はまだ少し鼻をすすりながら、あえて陽気な声を出す。
「この世界ならレオポルドがいてくれるし、大切にしてくれるし」
「……」
「……たださ、二十数年積み上げてきたものが急に消えたのに今更気付いちゃって、喪失感が押し寄せてきたって言うか。まぁ、失って困るような人生でもなかったんだけど!」
「……『レオポルド』」
「え?」
 闇夜に光る金の瞳は、私の手元を見つめていた。そこにはマンションの鍵に取りつけた、『けもめん』レオポルドのラバーストラップがあった。
「それが、お前の『レオポルド』なのだな」
「あ、うん。ゲームのね」
「……それは、失いたくなかったものだろう」
「うん……」