ウルホ湖で完全な形の魔石(ケントル)を回収後、残り二か所の討伐を軽く終え、私たちはパティのいる広場へと戻った。
「早かったやん。例のヤツはどんだけ手に入った?」
「今日だけで12個。他に、これまで溜めてあった分が16個」
「やるやん」
「グランファとマドカを移動中、偶然に兎型魔獣(ラティブ)と出くわしちゃったこともあったから」
「そりゃラッキーやったな。ほな、いくで」

 私たちはパティに続いて細い路地へと入る。
(やっぱり、この道で合ってるよね? 私、ちゃんとこの通りに進んだよね? なんであの日は、お店に辿り着けなかったんだろう)
 そんなことを考えていた時だった。
 例の魔石(ケントル)の破片の埋め込まれている壁が目の前に立ち塞がった。
 レオポルドたちが、この向こうに店があると言っていた場所だ。
 不思議なことに、パティが近づいただけで壁の一部が開き通路が現れた。
「えっ? なにこれ? 自動ドア?」
「また、わけわからん事言っとんな」
「だって、こんな場所が開くの初めて見たんだけど! どういう仕組み?」
「前も通ったやろが。……あ、そっか。あん時はアンタ、キョロキョロ周りばっかり見とって、これに気付いとらんかったんやな」
 パティは胸元からペンダントを引っ張り出す。
 それはたまご型をしていて、一見螺鈿(らでん)細工のようだった。
「このキラキラしてるの、魔石(ケントル)?」
「せや」
 パティが石壁の一部を指差す。そこに並んだ魔石(ケントル)の欠片で作られた模様は、パティが首にかけているペンダントと同じ形だった。
「魔力の鍵や。これがないと、この通路は開かへん仕組みになっとんねん」
「何、その不思議技術!? この国の人、魔法は使えないって言ってたよね?」
「魔法は使われへんけど、魔石(ケントル)には魔力の残滓(ざんし)があるからな。何かと役に立っとるんや」
 買い取られた魔石(ケントル)の使い道の一端が、ここで判明したかもしれない。
「ほら、さっさと行くで。ここでいつまでも立ち往生しとったら、他の人間が来てまうやろ」

 28枚の赤い石は、無事56万カヘへと換金された。
「赤いのばかりじゃ欲しがる人間も徐々に減る。そうなりゃ相場も下がる。違う色のも持ってこい」
 隻眼の髭面男は、じろりとこちらを見ながら低いしゃがれ声で言った。


 パティは前回と違い、すぐに全額を私に渡してくれた。
 潤沢な資金を得て、討伐の依頼もクリアし、私たちは『金の穂亭』で空腹を満たす。
 そして、部屋へ上がりベッドに寝そべり、一息ついた時それはふいに訪れた。
(あ……)
 唐突な寂寥(せきりょう)感。
 この世界へ来て以来、次から次へと襲い来る刺激的な出来事に、私は自分の心をどこか置き忘れていたのかもしれない。
 懐が潤い、柔らかな寝床と温かい食事のある生活に戻り、心に余裕が出来たことで、頭が急に今の状況を理解したのだろう。
(私、今、別の世界にいる……)
 突然の『気付き』だった。
 元生きて来た世界を離れ、私は遠い場所にいる。
 戻り方のわからない異世界に。
 自分の趣味で彩ったあのワンルームマンションに、それまでの全てを残して。
(……!)
 何気なく手を入れたポケットの中にそれはあった。
(レオポルド……)
『けもめん』の黒豹獣人のラバーストラップのついた、自宅マンションの鍵。
 それを目にした瞬間、一気に感情が堰を切ってあふれ出した。
「ぐす……っ」
 予期せず胸を突き上げて来た衝動に、つい鼻をすする。
 皆がこちらをふり返る気配を察し、私は慌てて顔を背けると、ベッドから滑り降りた。
「ちょっと散歩してくるね!」
「散歩て。外はもう真っ暗やで?」
「夜風に当たってくるだけ」
「アリス、ボクも!」
 追いかけてくる愛らしい声を、私はあえて突き放す。
「皆はここにいて」
「……分かったなの」

 皆に顔を見られないようにして、私は早足で『金の穂亭』の裏手へと回った。
 積んである樽を背に、ずるずるとしゃがみ込む。
 レオポルドのラバーストラップを取り出し、お守りのように両手で持つと、そこへ雫がぽたぽたと落ちた。
「ふっ……うぅう……」
 せりあがる嗚咽。
 なぜだろう、元の世界にそれほど未練があったわけじゃない。
 親との関係はいまいちで、一人暮らしを始めた時は開放感に満たされていた。
 大学だって、神室さんのことで岡名さんに目を付けられ、ギスギスした環境になっていただろう。
 それでも、SNSを通して同じ趣味で繋がった友人はそこそこいた。
 イベント更新や発売を心待ちにしているゲームもいくつかあった。
 行ってみたいスイーツのお店や、旅行で訪れたい温泉宿もあった。
 それら全てに、もう手が届かない。思いの外大きな喪失感だった。
「うっ、ううっ、ふっうぅう~……」
 声を殺して私は泣く。
「レオポルドぉ……」
 私がその名を口にした際、頭にあったのは『けもめん』のゲーム画面だった。いわば、もう手の届かない元いた世界の象徴。元の世界への呼びかけへの代表として、私は無意識のうちにその名を選択していた。
「ふっうぅう~……。ぐっ、ぅ……うぅ……。レオ、ポルドぉ……、うっ、うぅ……」

 ふと、わずかな空気の揺れを髪が感じ取る。
 顔を上げた先には、魔獣人のレオポルドが立っていた。
「レオポルド……」
「……」