「えっ? パティが旅立った? どうして?」
「うん? あいつは行商人だからな。国中どころか、時には国外も回ったりもする。別段珍しいことじゃないさ」
「じゃあ、次にここを訪れるのは……」
マスターは天井へ目を向け、顎に手をやり首をかしげる。
「さぁな。それはわしにもわからんよ。すぐにひょっこり顔を見せるかもしれんし、もしかすると数年後かもしれん」
「数年後……」
私はがっくりと肩を落とす。
「どうした。あいつから買いたいものでもあったのか?」
「……私、パティに謝りたかったの」
「謝る? そりゃまたどうして」
「無理やり手を振りほどくような真似をして、冷たいこと言って、拒絶するように彼女の前から去ったから」
口にした途端、パティにこれまでしてもらったことの全てが一気に頭の中を駆け巡った。
「ここに来てから、パティに色々良くしてもらっていたこと、パティがいてくれたからやっていけてたこと、私、その時は全然分かってなくて」
「……ほぉん、今は気付けたってことかい?」
「えぇ。きっとパティと出会わなければ、私、ここへ来て一日目で積んでた。ひょっとしたら、命を失っていたかも。もし彼女さえ許してくれるなら、もう一度仲良くしたい。そう思って」
「そっか」
「……なんて今更反省しても、パティにこの気持ちは届かないんだけど」
マスターはニヤリと笑った。
「そう落ち込むな。案外その気持ちは伝わってるかもしれんし、犬コロのように尻尾振ってすぐにも戻ってくるかもしれ……痛っ!」
「え?」
「あぁ、いや、なんでもない」
「何か音がしたような……」
マスターは歯を見せて笑いながら、足をさすっているようだった。
「カウンターの中で足をぶつけただけだ。ところであんたら、今日は泊ってくのかい?」
「えっ……」
「うん? どうした?」
「私たち、泊っていいんですか?」
私の言葉に、マスターはきょとんとなる。
「いいに決まってる。どうした?」
「マドカの街では……」
私は背後の二人に目をやる。
「顔を見せられない人間は泊められないって断られたので」
私の言葉に、マスターはがしがしと頭を掻いた。
「あー……、まぁ、ウチでも一見さんにはそう言うな。お尋ね者を泊めたとなっちゃ、他のお客さんに迷惑がかかるかもしれんし」
「向こうでも同じことを言われました」
「けど、あんたらはパティの連れだったろ」
(あ……)
マスターの双眸に、柔らかな光が宿る。
「あのパティが連れて来た人間なら、まぁ大丈夫だろうと判断した。責任取って賠償金払う事態になるような人間を、あの守銭奴が連れてくるはず……あ痛っ!」
「?」
「なんでもない、気にするな」
カウンターの向こう側から物音がした気がするが、さっきから何なんだろう。
(そっか、パティが一緒だったから……)
「私たち、パティの築いた信頼に助けられていたんですね」
「まぁ、そう言うこったな……」
もしかするとマドカや他の場所でも、顔の広いパティが一緒なら宿泊を受け入れられたのかもしれない。
「それで、どうする? 今夜はウチに泊ってくかい?」
「はい。3人でお願いします」
「よし。前金で4500カヘだ」
私は言われた額をカウンターに置く。
階段を上ろうとした私たちの背を、マスターの声が追いかけて来た。
「また、ウチに届く討伐依頼を受けてくれるかい?」
「はい、お仕事もらえるの助かります。」
「なに、助かってるのはこっちだよ」
部屋に着き、荷物を降ろす。調理をするために買った調理器具などが地味に重かった。
「この部屋、前にパティと泊ってた部屋だ」
窓から見える景色も、既に懐かしく思える。
(パティ、今ごろどこにいるのかな……)
この疑問を、この時点で口にしておくべきだったと、後になって思うのだった。
■□■
アリス一行が階上に移動し間もなくのこと。
「おい、行ったぞ」
マスターの言葉に続き、カウンターの下からオレンジ色の頭がもそもそと出てきた。
「なんで隠れたりしたんだ、パティ。しかも旅に出たなんて嘘つかせやがって」
「えぇやろ、別に」
「ハァ、構わんが。で、どうする?」
「どうするて?」
「アリスのやつ、かなり反省してるようだぞ。お前だって一人になってから、えらく凹んでただろうが。いつ、ここへ戻ってきたことにする? あいつらと合流するタイミングはどうしたいか聞いてるんだ。今か? 明日にするか?」
「は? しばらくあのまま放っとくけど?」
「なんだって?」
パティはニタリと意地の悪い笑いを浮かべる。
「ウチのおらんたった二日で、ウチのありがたみを思い知ったようやしな。せっかくやから、アリスん中でウチの価値が最高潮に達するまで隠れとったろやないか」
「パティ、お前な」
「ウチを見た瞬間、ありがたさで泣いて足元に身を投げ出して拝み倒すくらい、ウチの必要性を思い知るまではこのままや!」
悪魔の表情でゲハゲハと笑うパティに、マスターは呆れたような表情となる。
「パティ、バレたら次こそ友だち失うぞ」
「なにが友だちやねん!」
パティはいきり立ち、カウンターに拳を叩きつける。
「借金無ぉなった瞬間、ウチを不要品扱いでポイしたヤツやぞ、アリスは!」
「お前が借金借金と、しつこくからかったからだろうが」
「ともかく! ウチは商売人や。自分のことかて安売りせぇへんからな!」
「やれやれ……」
マスターは反抗期の娘を見るような目で、そっぽを向いたパティを見る。
「ところでお前、昨日、何やら奇行に走ってたらしいな」
「奇行てなんやねん」
「なんでも雇った魔石ハンターに鼠型魔獣を捕まえさせておいて、額の石をベロベロ舐めてたそうじゃないか」
「舐めてへんわ!!」
パティが勢いよく振り返る。
「だが、奴らそう言ってたぞ」
「キッスや! 乙女の清らかな、く・ち・づ・け・や!!」
「なんだってそんな真似を……」
「それは……、秘密や」
言ってパティは親指の爪を噛み、思案顔になる。
「……ウチじゃ、魔獣を人みたいに変えるんは出来んかった。あれはアリスにしかできん芸当なんやな、やっぱ」
「ん? 何か言ったか、パティ」
「なんもあらへん」
「そうか……。おっ、依頼完了か? 魔石を確認させてもらうぞ」
カウンター越しに接客をし始めたマスターの足元で、パティは独り言ちる。
「やっぱ、手放したないよなぁ。アリスのあの力は……」
「うん? あいつは行商人だからな。国中どころか、時には国外も回ったりもする。別段珍しいことじゃないさ」
「じゃあ、次にここを訪れるのは……」
マスターは天井へ目を向け、顎に手をやり首をかしげる。
「さぁな。それはわしにもわからんよ。すぐにひょっこり顔を見せるかもしれんし、もしかすると数年後かもしれん」
「数年後……」
私はがっくりと肩を落とす。
「どうした。あいつから買いたいものでもあったのか?」
「……私、パティに謝りたかったの」
「謝る? そりゃまたどうして」
「無理やり手を振りほどくような真似をして、冷たいこと言って、拒絶するように彼女の前から去ったから」
口にした途端、パティにこれまでしてもらったことの全てが一気に頭の中を駆け巡った。
「ここに来てから、パティに色々良くしてもらっていたこと、パティがいてくれたからやっていけてたこと、私、その時は全然分かってなくて」
「……ほぉん、今は気付けたってことかい?」
「えぇ。きっとパティと出会わなければ、私、ここへ来て一日目で積んでた。ひょっとしたら、命を失っていたかも。もし彼女さえ許してくれるなら、もう一度仲良くしたい。そう思って」
「そっか」
「……なんて今更反省しても、パティにこの気持ちは届かないんだけど」
マスターはニヤリと笑った。
「そう落ち込むな。案外その気持ちは伝わってるかもしれんし、犬コロのように尻尾振ってすぐにも戻ってくるかもしれ……痛っ!」
「え?」
「あぁ、いや、なんでもない」
「何か音がしたような……」
マスターは歯を見せて笑いながら、足をさすっているようだった。
「カウンターの中で足をぶつけただけだ。ところであんたら、今日は泊ってくのかい?」
「えっ……」
「うん? どうした?」
「私たち、泊っていいんですか?」
私の言葉に、マスターはきょとんとなる。
「いいに決まってる。どうした?」
「マドカの街では……」
私は背後の二人に目をやる。
「顔を見せられない人間は泊められないって断られたので」
私の言葉に、マスターはがしがしと頭を掻いた。
「あー……、まぁ、ウチでも一見さんにはそう言うな。お尋ね者を泊めたとなっちゃ、他のお客さんに迷惑がかかるかもしれんし」
「向こうでも同じことを言われました」
「けど、あんたらはパティの連れだったろ」
(あ……)
マスターの双眸に、柔らかな光が宿る。
「あのパティが連れて来た人間なら、まぁ大丈夫だろうと判断した。責任取って賠償金払う事態になるような人間を、あの守銭奴が連れてくるはず……あ痛っ!」
「?」
「なんでもない、気にするな」
カウンターの向こう側から物音がした気がするが、さっきから何なんだろう。
(そっか、パティが一緒だったから……)
「私たち、パティの築いた信頼に助けられていたんですね」
「まぁ、そう言うこったな……」
もしかするとマドカや他の場所でも、顔の広いパティが一緒なら宿泊を受け入れられたのかもしれない。
「それで、どうする? 今夜はウチに泊ってくかい?」
「はい。3人でお願いします」
「よし。前金で4500カヘだ」
私は言われた額をカウンターに置く。
階段を上ろうとした私たちの背を、マスターの声が追いかけて来た。
「また、ウチに届く討伐依頼を受けてくれるかい?」
「はい、お仕事もらえるの助かります。」
「なに、助かってるのはこっちだよ」
部屋に着き、荷物を降ろす。調理をするために買った調理器具などが地味に重かった。
「この部屋、前にパティと泊ってた部屋だ」
窓から見える景色も、既に懐かしく思える。
(パティ、今ごろどこにいるのかな……)
この疑問を、この時点で口にしておくべきだったと、後になって思うのだった。
■□■
アリス一行が階上に移動し間もなくのこと。
「おい、行ったぞ」
マスターの言葉に続き、カウンターの下からオレンジ色の頭がもそもそと出てきた。
「なんで隠れたりしたんだ、パティ。しかも旅に出たなんて嘘つかせやがって」
「えぇやろ、別に」
「ハァ、構わんが。で、どうする?」
「どうするて?」
「アリスのやつ、かなり反省してるようだぞ。お前だって一人になってから、えらく凹んでただろうが。いつ、ここへ戻ってきたことにする? あいつらと合流するタイミングはどうしたいか聞いてるんだ。今か? 明日にするか?」
「は? しばらくあのまま放っとくけど?」
「なんだって?」
パティはニタリと意地の悪い笑いを浮かべる。
「ウチのおらんたった二日で、ウチのありがたみを思い知ったようやしな。せっかくやから、アリスん中でウチの価値が最高潮に達するまで隠れとったろやないか」
「パティ、お前な」
「ウチを見た瞬間、ありがたさで泣いて足元に身を投げ出して拝み倒すくらい、ウチの必要性を思い知るまではこのままや!」
悪魔の表情でゲハゲハと笑うパティに、マスターは呆れたような表情となる。
「パティ、バレたら次こそ友だち失うぞ」
「なにが友だちやねん!」
パティはいきり立ち、カウンターに拳を叩きつける。
「借金無ぉなった瞬間、ウチを不要品扱いでポイしたヤツやぞ、アリスは!」
「お前が借金借金と、しつこくからかったからだろうが」
「ともかく! ウチは商売人や。自分のことかて安売りせぇへんからな!」
「やれやれ……」
マスターは反抗期の娘を見るような目で、そっぽを向いたパティを見る。
「ところでお前、昨日、何やら奇行に走ってたらしいな」
「奇行てなんやねん」
「なんでも雇った魔石ハンターに鼠型魔獣を捕まえさせておいて、額の石をベロベロ舐めてたそうじゃないか」
「舐めてへんわ!!」
パティが勢いよく振り返る。
「だが、奴らそう言ってたぞ」
「キッスや! 乙女の清らかな、く・ち・づ・け・や!!」
「なんだってそんな真似を……」
「それは……、秘密や」
言ってパティは親指の爪を噛み、思案顔になる。
「……ウチじゃ、魔獣を人みたいに変えるんは出来んかった。あれはアリスにしかできん芸当なんやな、やっぱ」
「ん? 何か言ったか、パティ」
「なんもあらへん」
「そうか……。おっ、依頼完了か? 魔石を確認させてもらうぞ」
カウンター越しに接客をし始めたマスターの足元で、パティは独り言ちる。
「やっぱ、手放したないよなぁ。アリスのあの力は……」