「遮る枝のない場所へ出てしまえばいい」
言ったかと思うと、レオポルドは一旦姿勢を低くして、次の瞬間ロケットのように上昇した。
(えぇええぇええ!!?)
ざざざっと背に当たる葉の感触。やがて浮遊感に包まれた時、私たちの体は森の木々の上にあった。
(いやぁあああ!?)
恐怖で声が喉に張り付く。
(どういうこと!? 私、森を見下ろしてる!? 空に浮かんでる!? なんで!?)
レオポルドはしなやかな動きで、枝に着地する。そしてそのしなりを生かし次の枝へと飛び移った。
(あぁああぁあ!?)
レオポルドは枝から枝へと素早く移動する。「右足が沈む前に左足を出せば、水の上を走れる」というあれを思い出した。
「どうだ。これならコリンよりも速く着くぞ」
笑みを含んだ得意げな声。私の体は再びジェットコースターに弄ばれるような感覚に襲われる。しかも地上を走っていた時と違い、ランダムな上下運動まで加わって。
「見ろ。今、コリンを抜き去った」
そんなことを言われても、下を見る余裕なんてない。
(やっぱりコリンにお願いした方が良かったかも! 少なくとも地上を走ってくれる!)
朦朧とした意識の中で、私はこう思っていた。
(レオポルドの対抗意識を煽るようなことは、二度と口にしないようにしよう)
魔獣人の身体が繰り出す脅威の移動速度、しかも森を抜けての直進だったため、マドカに到着したのは宿泊の受付時間終了前だった。
黄昏の街マドカは、宿泊施設の多い街だ。「金の穂亭」同様、カウンターの側には魔獣討伐の依頼の書かれた掲示板がある。
この街は多くの魔石ハンターが集っている。依頼を受け、完遂後に報酬を受け取り、そのまま食事して階上の宿泊エリアで休む。そんな生活が営まれている場所なのだ。
……が。
「宿泊したい?」
宿の主がじろりと私たちを見る。
「見ねぇ顔だな。まぁ、それは構わんのだが。何だってお連れの二人は顔を隠してるんだね?」
「えぇと、それは……」
レオポルドもコリンも、大きめのフードを目深にかぶり、口と鼻はネックゲイターで隠している。
「こちらとしては、人相のはっきりしない客はあまり泊めたくねぇんだよ。手配書の出ているお尋ね者をかくまったとなれば、後々面倒だからねぇ」
「お尋ね者なんかじゃありません!」
「なら、顔くらい見せてくれたっていいだろう」
「う……」
パティから、この世界に獣人はいないから、顔は隠した方がいいと言われ、言いつけを守っているわけだが。
「アリス、どうする」
「……」
二人はネックゲイターに指をかけ、私の指示を待っている。
店主の要請通り見せてしまおうかとも考えたが、やはり思いとどまった。魔獣人は体つきこそ私たちと似ているが、顔は魔獣ほぼそのままだ。大騒ぎとなり、敵として追われる羽目になる流れは容易に想像できた。
「なに、ちょっとその顔の布をめくってくれるだけでいいんだ。手配書のお尋ね者かどうかだけ確かめさせてくれ。あぁ、ひょっとして酷い傷でもあるのかい? 俺ぁそんなの見慣れてる。恥ずかしがるこたぁねぇ」
「いえ、もう結構です。行こう、レオポルド、コリン」
私は二人を伴い、その宿を出た。
(嘘でしょ……)
これだけ宿のある街であるにも関わらず、私たちはそのほぼ全てから宿泊を断られてしまったのだ。理由は、最初の宿で言われた内容と同じだった。
「アリス、自分たちは元々魔獣だ。野宿でも一向に構わない。貴女一人であれば泊まることも可能だろう」
「うん、ボクたちは平気なの。アリスはベッドで寝て来るといいの」
私は首を横に振る。
「そんなの嫌だよ。私、二人と一緒にいたい」
私たちを唯一受け入れてくれたのは、雨風をしのぐ天井と壁があるきりの、ベッドどころか布団もない、泊り客は全員雑魚寝の最下層の宿だった。酒場がない代わりにささやかな炊事場がついているが、ここで調理をするには薪代を払う必要があるらしい。
(木賃宿!!)
江戸時代に日本にあったものによく似ている。
少し違うのは、見知らぬ旅人同士で食材を出し合うのではなく、自分の食べる分は自分で用意するシステムとなっているところだ。
とはいえこの場所で大量のステーキを、いい匂いを振りまきつつ焼くのはさすがに気が咎めた。その辺の野草や木の実を持ちこんでいる、見るからに食い詰めている旅人の姿が多く見られるからだ。
そもそも、ここで調理をしたくとも、食材を売っている店はとっくに営業を終えている。野草や木の実を探したくても、表は真っ暗だった。
(今夜は3人で美味しいものをいっぱい食べて、新しい土地でベッドに入って、これからの生活を夢見ながら幸せな気持ちで寝られると思ったのに)
収入も、寝床も、食事もままならない。
だだっ広い板の間はプライバシーなど当然なく、互いの姿が丸見えだ。大勢の宿泊客の中には、ラプロフロス人の姿もちらほら見えた。
(さむ……)
布団のない板の間で、私は身を縮める。今日の寝床はこの固く冷たい板だ。
ぶるっと身を震わせると、逞しい腕がぬっと伸びて来た。
「もっと寄るといい」
甘い低い声が耳元で囁いたかと思うと、胸の中に抱き寄せられる。
レオポルドのぬくもりと若木の様なアロマが私を包んだ。
「ボクもいるなの」
続いてふわふわの毛とぬくもりが、私の背を覆う。
「アリス、大丈夫なの?」
「……うん」
(あったかい……)
じわりと目頭が熱くなった。
(私の短慮で、こんな場所で寝るしかなくなったのに……)
レオポルドもコリンも優しい。無償の愛を私に捧げてくれる。
(パティ……)
オレンジ色のポニーテールを揺らす、陽気な顔が頭に浮かぶ。
この世界に飛ばされてきて以来、人間らしい生活が出来ていたのは、彼女の手腕によるものが大きかったと、気付かされた。
(私だけじゃ、レオポルドたちにちゃんとしたご飯も食べさせてあげられない)
言ったかと思うと、レオポルドは一旦姿勢を低くして、次の瞬間ロケットのように上昇した。
(えぇええぇええ!!?)
ざざざっと背に当たる葉の感触。やがて浮遊感に包まれた時、私たちの体は森の木々の上にあった。
(いやぁあああ!?)
恐怖で声が喉に張り付く。
(どういうこと!? 私、森を見下ろしてる!? 空に浮かんでる!? なんで!?)
レオポルドはしなやかな動きで、枝に着地する。そしてそのしなりを生かし次の枝へと飛び移った。
(あぁああぁあ!?)
レオポルドは枝から枝へと素早く移動する。「右足が沈む前に左足を出せば、水の上を走れる」というあれを思い出した。
「どうだ。これならコリンよりも速く着くぞ」
笑みを含んだ得意げな声。私の体は再びジェットコースターに弄ばれるような感覚に襲われる。しかも地上を走っていた時と違い、ランダムな上下運動まで加わって。
「見ろ。今、コリンを抜き去った」
そんなことを言われても、下を見る余裕なんてない。
(やっぱりコリンにお願いした方が良かったかも! 少なくとも地上を走ってくれる!)
朦朧とした意識の中で、私はこう思っていた。
(レオポルドの対抗意識を煽るようなことは、二度と口にしないようにしよう)
魔獣人の身体が繰り出す脅威の移動速度、しかも森を抜けての直進だったため、マドカに到着したのは宿泊の受付時間終了前だった。
黄昏の街マドカは、宿泊施設の多い街だ。「金の穂亭」同様、カウンターの側には魔獣討伐の依頼の書かれた掲示板がある。
この街は多くの魔石ハンターが集っている。依頼を受け、完遂後に報酬を受け取り、そのまま食事して階上の宿泊エリアで休む。そんな生活が営まれている場所なのだ。
……が。
「宿泊したい?」
宿の主がじろりと私たちを見る。
「見ねぇ顔だな。まぁ、それは構わんのだが。何だってお連れの二人は顔を隠してるんだね?」
「えぇと、それは……」
レオポルドもコリンも、大きめのフードを目深にかぶり、口と鼻はネックゲイターで隠している。
「こちらとしては、人相のはっきりしない客はあまり泊めたくねぇんだよ。手配書の出ているお尋ね者をかくまったとなれば、後々面倒だからねぇ」
「お尋ね者なんかじゃありません!」
「なら、顔くらい見せてくれたっていいだろう」
「う……」
パティから、この世界に獣人はいないから、顔は隠した方がいいと言われ、言いつけを守っているわけだが。
「アリス、どうする」
「……」
二人はネックゲイターに指をかけ、私の指示を待っている。
店主の要請通り見せてしまおうかとも考えたが、やはり思いとどまった。魔獣人は体つきこそ私たちと似ているが、顔は魔獣ほぼそのままだ。大騒ぎとなり、敵として追われる羽目になる流れは容易に想像できた。
「なに、ちょっとその顔の布をめくってくれるだけでいいんだ。手配書のお尋ね者かどうかだけ確かめさせてくれ。あぁ、ひょっとして酷い傷でもあるのかい? 俺ぁそんなの見慣れてる。恥ずかしがるこたぁねぇ」
「いえ、もう結構です。行こう、レオポルド、コリン」
私は二人を伴い、その宿を出た。
(嘘でしょ……)
これだけ宿のある街であるにも関わらず、私たちはそのほぼ全てから宿泊を断られてしまったのだ。理由は、最初の宿で言われた内容と同じだった。
「アリス、自分たちは元々魔獣だ。野宿でも一向に構わない。貴女一人であれば泊まることも可能だろう」
「うん、ボクたちは平気なの。アリスはベッドで寝て来るといいの」
私は首を横に振る。
「そんなの嫌だよ。私、二人と一緒にいたい」
私たちを唯一受け入れてくれたのは、雨風をしのぐ天井と壁があるきりの、ベッドどころか布団もない、泊り客は全員雑魚寝の最下層の宿だった。酒場がない代わりにささやかな炊事場がついているが、ここで調理をするには薪代を払う必要があるらしい。
(木賃宿!!)
江戸時代に日本にあったものによく似ている。
少し違うのは、見知らぬ旅人同士で食材を出し合うのではなく、自分の食べる分は自分で用意するシステムとなっているところだ。
とはいえこの場所で大量のステーキを、いい匂いを振りまきつつ焼くのはさすがに気が咎めた。その辺の野草や木の実を持ちこんでいる、見るからに食い詰めている旅人の姿が多く見られるからだ。
そもそも、ここで調理をしたくとも、食材を売っている店はとっくに営業を終えている。野草や木の実を探したくても、表は真っ暗だった。
(今夜は3人で美味しいものをいっぱい食べて、新しい土地でベッドに入って、これからの生活を夢見ながら幸せな気持ちで寝られると思ったのに)
収入も、寝床も、食事もままならない。
だだっ広い板の間はプライバシーなど当然なく、互いの姿が丸見えだ。大勢の宿泊客の中には、ラプロフロス人の姿もちらほら見えた。
(さむ……)
布団のない板の間で、私は身を縮める。今日の寝床はこの固く冷たい板だ。
ぶるっと身を震わせると、逞しい腕がぬっと伸びて来た。
「もっと寄るといい」
甘い低い声が耳元で囁いたかと思うと、胸の中に抱き寄せられる。
レオポルドのぬくもりと若木の様なアロマが私を包んだ。
「ボクもいるなの」
続いてふわふわの毛とぬくもりが、私の背を覆う。
「アリス、大丈夫なの?」
「……うん」
(あったかい……)
じわりと目頭が熱くなった。
(私の短慮で、こんな場所で寝るしかなくなったのに……)
レオポルドもコリンも優しい。無償の愛を私に捧げてくれる。
(パティ……)
オレンジ色のポニーテールを揺らす、陽気な顔が頭に浮かぶ。
この世界に飛ばされてきて以来、人間らしい生活が出来ていたのは、彼女の手腕によるものが大きかったと、気付かされた。
(私だけじゃ、レオポルドたちにちゃんとしたご飯も食べさせてあげられない)