レオポルドがこの姿になってから接触した人間と言えば、私とパティくらいだ。
『人とはそう言うもの』と断じるにはサンプルが少なすぎる気がする。
 となれば、他の人間と出会ったのは……。
「レオポルドって、魔獣だった時の記憶、やっぱりあるの?」
「あぁ、ある」
「だよね。あの日も、私の足を怪我させたのは自分だって分かってたみたいだし」
 彼が見て来た「人間」とは、魔獣の時に出会った者を言うのだろう。
「あの時はすまなかった」
「ううん、責めてるわけじゃないんだ。ただ、今のレオポルドは私をすごく大切にしてくれてるけど、魔獣だった時のレオポルドは明らかに私へ敵意を向けていた。感情が切り替わったのはどのタイミングだったのかと思って」
「この姿を得た時だ」
「だよね」
「それまでは、美味そうに見えていた」
(美味そう……)
「牙が(うず)いて仕方なかった。その白い柔らかそうな肌に突き立て、引き裂いてやりたい。生命力あふれる温かな血でのどを潤したい。そんな衝動が自分の中に渦巻き、抑えきれなかった」
「……」
 私は隣を歩くレオポルドを見上げる。
 艶やかな漆黒の顔に、翠がかった金の虹彩が鋭く光っている。樹の上から私たちを見下ろしていた、あの魔獣(クバル・フェテラン)と同じ目だった。
「大丈夫だ。今はそんな風に見ていない」
「そ、そう」
 繋いだ手から、私の緊張を察したのだろう。レオポルドは意識して、声音を和らげているようだった。
「今、自分にとってアリスは、命を賭しても守るべき存在だ」
「そこまでしなくていいよ! 私のためにレオポルドが危険な目に遭うのは嫌だ」
「だが、この身はアリスのために存在している。あの日、体の奥深く、芯となる部分にアリスが力を注いだ瞬間、そうなったのだ」
「? そ、そうなんだ」
 私が力を注いだ? それは豹型魔獣(フェテラン)だった彼にしがみついたことを言っているのだろうか。
(だけどそれなら、パティに言われて猫型魔獣(クタント)を抱きしめた時も、同じことが起きているはず)
 そう言えば彼は、『レオポルド』の名も私の名も、あの姿になった時に授かったと言っていた。ゲームの推しキャラそっくりな姿になった理由も、未だに分からない。
(レオポルドの側にいられるのはすごく幸せなんだけど、まだ知らないことが多いよね)
「アリス」
 レオポルドが行く手を指し示す。輝くアーチ形が、森エリアの終わりを告げていた。
「行ってみよう。初めて足を踏み入れる場所だ」


 森を抜けると、心地の良い風が吹きつけてきた。
「うわぁ、広い……」
 パティから預かった地図を広げる。
「イツガル草原って場所みたい」
「そうか」
 まるで緑の大海原だ。風の流れに合わせ、萌黄色の波が揺れている。
「ふふ、お弁当を持ってくればよかったな」
 私は『けもめん』の過去イベントを思い出す。
 皆で遠征に出かけ、途中こんな草原でお弁当を広げた。
「ピクニックじゃないんだぞ」なんて叱るキャラもいた。鷲獣人のエリオットだったな。ショタ担当の兎獣人コリンが、お弁当作りのメインだったんだよね。ルビーのような赤い瞳を持つ真っ白ふわふわな少年。コリンの差し出してくれたサンドイッチのグラフィック、トマトが艶やかにみずみずしく描かれていてちょっとした飯テロだったな。
 そんなことを思い出していた時だった。
「アリス」
 私の手を掴むレオポルドの指に力が加わった。
「なに?」
「シッ」
 レオポルドが口元に人差し指を添え、遠くへ鋭い目を向けている。
「魔獣の群れがいる。ラティブだな」
(ラティブ?)
 初めて聞く名だ。
 目を凝らすと、草の間に鹿ほどの大きさの生き物が見えた。
 体は白く耳が長く、後ろ足はよく発達しているようで、ぴょんぴょんと跳ねている。
 レオポルドは私を抱き寄せると、その場にしゃがみ込む。
「姿勢を低くしろ。ここの草は身を隠せるほどの高さはないが、突っ立っているよりましだ」
「う、うん」
「素早さが特徴の魔獣だ。それに数も多い。どうする、気取られぬうちに逃げるか。それとも倒すか」
「そうね……」
 私は少し考える。
 今日の依頼、収入がいつもより少ない。今夜の食事代ですべて消えてしまうのは、明白だ。だが、ここであのラティブの魔石を手に入れ、換金所に持って行けばどうだろう? ラティブの魔石(ケントル)の価値は分からないけれど、鼠型魔獣(ユズオム)よりは値が付くのは間違いない。少しは足しになるだろう。
「倒して石集めたい。それに倒しておいた方が、この辺の人々にとってもいいと思う」
「了解した。ここで待っていてくれ」
 レオポルドは身を低くしたまま、魔獣の群れに向かって移動を始める。
 やがてラティブが気配に気づき振り返ると、すぐさまレオポルドは身を躍らせ標的に飛び掛かった。