携帯電話にかけても出ない陽菜を、真之介と瞬太は手分けして探すことにした。瞬太は陽菜の友人に連絡を入れながら家から東側を探すと言った。

 西側を探していた真之介は陽菜がよく遊んでいた公園や馴染みのあるファストフード店など、陽菜の行きそうな場所は隈なく探した。しかし焦燥が募るだけで、陽菜の姿は見つけられなかった。

 時刻は間もなく二十一時を回ろうとしていた。一旦自宅へ戻ろうと帰路を辿る途中で、瞬太の姿を見つけた。瞬太は、彼の自宅のガレージ前に立っていた。

「心当たりのある場所にはすべて足を運んだが、陽菜は見つからなかった。そっちはどうだ?」

 真之介が駆け寄り結果を報告すると、瞬太は口元に人差し指を当てた。真之介が彼の視線の先を追うと、

「……探したぞ、陽菜」

 そこには顔を伏せ、こじんまりと膝を抱える、探していた少女の姿があった。

 陽菜が瞬太の家にいたということは、瞬太に見つけてほしかったから以外に理由はない。だから瞬太はゆっくりと、陽菜に近づいていく。

「再婚する日がどんどん近づいてきて、引越しの準備も進んでる。苗字だって変わる。わかってる。覚悟だってできてる」

 絞り出すように呟く陽菜の言葉を、瞬太も真之介も黙って聞いていた。

「でも……パパはどうなるの? ママはパパのこと忘れちゃうの? わたしも?」

 陽菜の声はだんだん大きくなり、大きな瞳に涙を溜めて叫んだ。

「ママの幸せを考えれば再婚に賛成する方がいいのはわかってるのに、心から賛成できない! こんな自分が嫌なの!」

「……陽菜が自分のことを嫌いでも、俺は陽菜のことが好きだよ」

 真っ直ぐな瞬太の告白に涙を止めた陽菜は、ゆっくりと顔を上げた。

「おじさんのことだけど、陽菜が忘れないと思っていれば忘れないよ。俺だっておじさんのことを忘れるつもりはないし、おばさんも真之介もそうだと思う」

 瞬太は真之介に目配せをした。

「同意だ。父さんに大切にされた記憶は今でも覚えているし、忘れるつもりもない。人の優しさをすぐに忘れると言われがちな俺だが、それが嘘であることをこれから証明してみせよう」

 真之介は瞬太の主張を肯定した。嘘偽りのない、正直な気持ちである。

「それより、陽菜が我慢している方がおばさんたちは嫌なんじゃないかな。もっと思っていること口にしていいんじゃねえの? それが家族ってもんだろ?」

 そう言って白い歯を見せる瞬太を、陽菜はただじっと見つめていた。

 今この瞬間、ふたりの間に新しい絆が生まれたのがわかる。

 真之介はふたりの様子を保護者のように一歩引いて見ていた。あの騒がしくて生意気だった少年が、いつの間にやら男として成長しているではないか。

「……帰ろう?」

 そうして瞬太が差し出した手を、陽菜はしっかりと握った。

 認めたくはないが、認めざるを得ない。

 真之介にもわからなかった陽菜の居場所を瞬太は見つけた。多少の嫉妬こそあれ、彼らの恋を邪魔するなんて無粋な真似はもうできない。

 陽菜は自分の居場所を見つけている。子どもだ子どもだと思っていても、陽菜は少しずつ成長していく。その成長のすべてを見届けようと思っても、残念だが真之介には叶わない。

 真之介に吐いていた弱音を少しずつ瞬太に吐くようになり、真之介を抱きしめていた手は瞬太を抱きしめるようになり、いつかは完全に手を離れていくのだろう。

 それを寂しいとは思うが、引き止める権利は真之介にはない。

 新しい関係が始まりつつあるふたりの邪魔をしないようそっと背を向けて去ろうとすると、

「真ちゃん! 心配してくれたの? ごめんね、一緒に帰ろうね」

 真之介の姿を捉えた陽菜は一目散に駆け寄り、力強く抱きしめてきた。

「……瞬太と良い雰囲気になっていたところに、水を差してしまったな……今回はわざとじゃないぞ?」

 真之介の強がりなど気にする様子も見せず、陽菜は全身で愛情表現をしてきた。その様子を見ていた瞬太も、

「やっぱ真之介には敵わねえなー」

 と言って笑う始末だ。こちらは覚悟を決めたというのに、当の本人がこんなことで大丈夫なのか? 真之介が陽菜を見ると、彼女は頬をすり寄せ嬉しそうな微笑みを見せた。

「……まあ、いいか」

 今はただ彼女の温もりを肌で感じながら、その心地よさに目を瞑るだけだ。

          ◇

 陽菜が小さな家出を試みたあの日。家に帰った陽菜は、奈央に思っていることを全部話した。上手く伝えられなくてたどたどしくなったり、途中涙を流してしまったりと決してスムーズにはいかなかったが、それでも一生懸命に伝え切った。

 陽菜の考えを真正面から受け止めた奈央は「正直に話してくれてありがとう」と言って、娘を優しく抱きしめた。


 その後、再婚は陽菜が本当に納得できるまで延期となった。

 月日が流れていく中で、瞬太の存在や働きかけが功を奏したのか、陽菜は段々と奈央の再婚相手に抵抗感を見せなくなっていった。そして春休みに入る少し前についに陽菜は再婚を認め、中学三年生がスタートする今日から苗字が変わることになった。

「行ってくるね、真ちゃん」

「ああ、気をつけて」

 まだ時間に余裕があるのに陽菜が出て行ったということは、おそらく遅刻の常習犯だという瞬太を迎えにいくのだろう。瞬太め、あのときは大人になったと感心したが……近いうちにまた説教をしないとな。


 誰もいなくなった家は、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだ。真之介はゆっくりと目を瞑って、これからのことを考える。

 陽菜の苗字が変わるまで踏ん張ってきたが、そろそろ限界が近い。

 死に際を主人に見せない流儀を、真之介も守るつもりである。あとわずかで陽菜とお別れしなければならないだろう。

 だが、今まで抱えていた不安は薄れている。安心して出ていける。

 真之介がいなくなれば陽菜は悲しむだろうが、慰めてくれるやつがいる。支えてくれる家族がある。陽菜が彼らの存在に感謝できる優しい心を持った子だということは、ずっと側で見続けてきた真之介にはわかるのだ。

 いろいろと気を揉んだが、ようやく一段落だ。

 まったく、気楽に思われがちではあるが、猫も楽ではないのである。(了)