「浮かない顔をしてらっしゃいますわね」
視線を落とした先には、先ほど俺に抱き着いてきた女性が居た。
他の魔物との会話から察するに、彼女の名前はヘルと言うらしい。
青白い素肌が月光に照らされて、より青白く見える。
他の魔物とは違い、人間に近い容貌をしているし、先の勇者一行の様に尻尾があると言うことも無い。
「スケルトンのことで心を痛めておいでですの?」
実際は自分のことでいっぱいいっぱいなのだが、まさか前世のことを言う訳にもいかず、俺は適当に頷くしかなかった。
「彼は死に際、誇らしかったでしょうね。やっと、恩返しができたって」
「恩返し?」
「ふふふ。魔王様はそんなつもりはなかったと仰りたいのでしょうけれども、彼はずっとわたくしに申しておりましたわ。いつか魔王様の恩義に報いたい。その時が来たら、命も惜しくない、と」
「しかし、できれば生きていたかっただろうな」
ヘルはゆっくりと首を振った。
「もちろん、生きて魔王様と共に居ることも大切でしょうね。けれども、彼もわたくしも魔王様に拾われた命。魔王様の為に死ぬことが至上の喜びでもあるんですのよ」
俺は親の為にすら命を惜しむと言うのに、彼女らの献身ときたら。
いったいどちらが魔物なのだろう。
そう言った意味合いでは、俺は魔王よりも魔王なのかもしれないな。
自嘲気味な笑みが漏れると、ヘルは勘違いしたのか、言葉を紡ぐ。
「魔王様がそのように心を痛めては、スケルトンも浮かばれません。スケルトンも魔王様には笑っていて欲しいはずですわ」
「そう、だな」
俺が微笑むと、彼女も微笑む。
「もし、スケルトンとの出会いを覚えていらっしゃらないのなら、今一度お話しましょうか?」
「え。あ、いや、その……」
まさか自分の部下との出会いを知らないと言うのはあり得ないだろう。
「わたくしにとっても、スケルトンにとっても、魔王様はただ一人。しかしながら、魔王様はわたくしやスケルトン同様に、数々の生命を救ってきたのですから、いちいち記憶していらっしゃらないのも不思議では有りませんわ」
「救った……?」
「あ、申し訳ありません。魔王様はこの言い方がお嫌いでしたわね。救ったのではなく、命をとめただけだ。と、いつも仰っておりますものね」
そうなのか。魔王。
「その、話してくれないか。スケルトンのこと。彼には本当に世話になったから。彼が居なければ俺の命も無かっただろうから。二度と忘れない為にも、もう一度教えてくれ」
俺が切に言うと、彼女は目尻に涙を浮かべ、人差し指で丁寧に拭った。
「彼は昔、わたくしと同様人間でした」
だからヘルはこんなに人間っぽいのか。
……いやいやいや!
じゃあスケルトンは!?
「彼には妹がおりました。両親は早くに他界した為、唯一の家族でした。彼は妹を溺愛していました。とても可愛らしい娘だったと聞かされましたわ。
ある日、妹に思い人ができました。彼はとても喜びました。村の大工の息子だったそうです。大工の子も妹のことを好いており、2人は両家公認の元、付き合い始めました。
しかし、村の長の息子はそれを良く思いませんでした。なぜなら彼はスケルトンの妹に思いを寄せていたからです。
彼はスケルトンに自分と妹との恋仲を持つように迫りましたが、スケルトンは妹の幸せを考え、首を縦には振りませんでした。
ある朝、妹さんは何者かに強姦されたうえ、殺されていました。
スケルトンは村の長の息子を疑いましたが、彼が嫌疑をかける前に、長の息子はスケルトンが妹を殺したと村中に言いまわっていたそうです。
元々スケルトンの妹への溺愛っぷりは皆の知るところで、異常な恋愛感情を持つようになってしまったと言う憶測を呼びました。そこに来て妹が大工の息子と付き合っていることを知り、逆上した兄が妹を取られまいと強姦して殺したのではないかと。
スケルトンは無罪を訴えましたが、それを聞く者は誰一人としていませんでした。
本当のところ、大工の息子はスケルトンがそんなことをするわけがないことを知っていたはずです。しかし、だとすれば犯人は村の長の息子であり、すなわち権力者です。その察しがついているがゆえ、スケルトンの無罪に耳を傾けることができませんでした。
もしかばいだてすれば、自分が犯人に仕立て上げられるかもしれないと言う恐怖があったのだろうと、スケルトンは申しておりました。
そしてスケルトンは処刑されることになりました。
彼は硫酸を掛けられ、村の外に追い出されました。
彼の住む村での最大の処刑方法は、ただ殺すだけではなく、最後には村人ですらなくするのです。
彼は地面にただれ落ちていく皮膚を眼下に見ながら、走りました。
どこへともなく。
皮膚を焼く激痛に、走るしかなかったのです。
自身の皮膚が溶けに溶けても、彼の意思は明瞭に存在していました。
もう、眼球ですらその顔にへばり付いているだけのはずで、視覚も失っているはずなのに。どうして自分は生きているのだろうと思ったそうです。
恐らくは無念に散ろうとする魂を、湧き立つ怒りが引き留めていたのでしょうね。
そんな彼の元に魔王様がやってきました。
魔王様はスケルトンに向かって言いました。
人間が憎いか、と。
スケルトンは須らく憎いと答えました。
世界で最も神聖な妹を汚し、のみならず無実の者に容赦のない汚辱を味わわせる。それが人間の本性。妹が死んだその時から、全人類は死ぬべきだったのだ。そう訴えました。
魔王様は骨だけになったスケルトンの、あとは消滅するだけだった魂を、その体にとめました。
そしてスケルトンは単身村に突撃し、村人を皆殺しにして、魔王様に一生服従を誓ったのです」
そうだったのか。
スケルトン。
あの時は何も知らないままに死んでしまったが、今お前の過去を知れて良かった。
「ですから魔王様。スケルトンは既に、果たすべき復讐を果たし、あとは魔王様の恩義に報いるだけだったのですわ。わたくしも、そう」
ヘルも、か。
気になるが、いくら何でもこれだけ近しい仲っぽい女性に聞きづらいな。
「覚えてらっしゃいますわよね?」
うえああ?!
「……もちろんだ」
内心を押し殺し、努めて物憂げな表情をしてみる。
星空の瞳が、潤んでいる。
「そう、あの時。わたくしが婚約者に裏切られ、村を追い出され、人間を信用できなくなり、死のうと思った時でした。泉に入り、溺れ、意識がなくなりかけたその生命をとめられました」
自分から話し始めてくれた。
「わたくしを泉から引き揚げた魔王様に、わたくしは食って掛かりました。
どうして助けたのだと。
どうしてあのまま死なせてくれなかったのだと。
すると魔王様は不思議そうな顔をしたのです。
逆に問うがなぜ死のうとしたのだ。と、そう言われました。
死ぬほど恨めしい人間を殺さず、なぜ自ら道を譲る真似をするのだ。
お前はそれほど美しいのに」
「確かに美しい」
「……ふぇ!? あ、もう! 急になんですの! 魔王様ったらからかって! 今でも大事にしている褒め言葉なんですからね!? けれども言うのは恥ずかしいんですからね!?」
今まで大人な女性だった彼女が、まるで少女の様に恥ずかしがる。それだけで胸がきゅんと締め付けられる。
「すまない。だが、美しいのは事実だから」
ますます赤くなる。
「と、とにかく……! 魔王様は仰いました。
もっと自分の為に生きていい。
くだらない、私利私欲にまみれた人間たちに振り回されて自分の生命を無駄にする必要などない。そんなものの為に生きてきたわけじゃあないだろう。憎しみがあるのならそいつらを殺せ。そうして殺した相手の家族の憎しみを買って殺された時が、お前の終わりだとて、問題は無かろう。お前は裏切られ、虐げられてきた。復讐がいけないことだとほざく奴がいたならば、俺が殺してやる。そしてその殺した奴の家族が俺を恨んだとて、問題はない。復讐をしてみろと言ってやる。
お前のその死に損なった生命の穢れ無きことよ。
お前は生きるに相応しい。
とは言え死への進行を止めたに過ぎないゆえ、生きているとも言い難いがな。
と、仰って下さったのです」
いや、魔王、かっこよすぎないか? 盛ってない?
「よく覚えているな。そんな長い科白」
「当たり前ですわ! 死の淵で聞いた、……愛する方のお言葉ですもの」
「その時、既に……?」
潤んだ瞳がいっそう開かれ、月光を反射する。
まるで泉のよう。
そこに、鯉でも泳いでいまいかと、錯覚するような。
瞳の中の星空の透明度が増していく。
「もう、そんな直接的な言い方をされては、恥ずかしくて死んでしまいますわ」
視線を落とした先には、先ほど俺に抱き着いてきた女性が居た。
他の魔物との会話から察するに、彼女の名前はヘルと言うらしい。
青白い素肌が月光に照らされて、より青白く見える。
他の魔物とは違い、人間に近い容貌をしているし、先の勇者一行の様に尻尾があると言うことも無い。
「スケルトンのことで心を痛めておいでですの?」
実際は自分のことでいっぱいいっぱいなのだが、まさか前世のことを言う訳にもいかず、俺は適当に頷くしかなかった。
「彼は死に際、誇らしかったでしょうね。やっと、恩返しができたって」
「恩返し?」
「ふふふ。魔王様はそんなつもりはなかったと仰りたいのでしょうけれども、彼はずっとわたくしに申しておりましたわ。いつか魔王様の恩義に報いたい。その時が来たら、命も惜しくない、と」
「しかし、できれば生きていたかっただろうな」
ヘルはゆっくりと首を振った。
「もちろん、生きて魔王様と共に居ることも大切でしょうね。けれども、彼もわたくしも魔王様に拾われた命。魔王様の為に死ぬことが至上の喜びでもあるんですのよ」
俺は親の為にすら命を惜しむと言うのに、彼女らの献身ときたら。
いったいどちらが魔物なのだろう。
そう言った意味合いでは、俺は魔王よりも魔王なのかもしれないな。
自嘲気味な笑みが漏れると、ヘルは勘違いしたのか、言葉を紡ぐ。
「魔王様がそのように心を痛めては、スケルトンも浮かばれません。スケルトンも魔王様には笑っていて欲しいはずですわ」
「そう、だな」
俺が微笑むと、彼女も微笑む。
「もし、スケルトンとの出会いを覚えていらっしゃらないのなら、今一度お話しましょうか?」
「え。あ、いや、その……」
まさか自分の部下との出会いを知らないと言うのはあり得ないだろう。
「わたくしにとっても、スケルトンにとっても、魔王様はただ一人。しかしながら、魔王様はわたくしやスケルトン同様に、数々の生命を救ってきたのですから、いちいち記憶していらっしゃらないのも不思議では有りませんわ」
「救った……?」
「あ、申し訳ありません。魔王様はこの言い方がお嫌いでしたわね。救ったのではなく、命をとめただけだ。と、いつも仰っておりますものね」
そうなのか。魔王。
「その、話してくれないか。スケルトンのこと。彼には本当に世話になったから。彼が居なければ俺の命も無かっただろうから。二度と忘れない為にも、もう一度教えてくれ」
俺が切に言うと、彼女は目尻に涙を浮かべ、人差し指で丁寧に拭った。
「彼は昔、わたくしと同様人間でした」
だからヘルはこんなに人間っぽいのか。
……いやいやいや!
じゃあスケルトンは!?
「彼には妹がおりました。両親は早くに他界した為、唯一の家族でした。彼は妹を溺愛していました。とても可愛らしい娘だったと聞かされましたわ。
ある日、妹に思い人ができました。彼はとても喜びました。村の大工の息子だったそうです。大工の子も妹のことを好いており、2人は両家公認の元、付き合い始めました。
しかし、村の長の息子はそれを良く思いませんでした。なぜなら彼はスケルトンの妹に思いを寄せていたからです。
彼はスケルトンに自分と妹との恋仲を持つように迫りましたが、スケルトンは妹の幸せを考え、首を縦には振りませんでした。
ある朝、妹さんは何者かに強姦されたうえ、殺されていました。
スケルトンは村の長の息子を疑いましたが、彼が嫌疑をかける前に、長の息子はスケルトンが妹を殺したと村中に言いまわっていたそうです。
元々スケルトンの妹への溺愛っぷりは皆の知るところで、異常な恋愛感情を持つようになってしまったと言う憶測を呼びました。そこに来て妹が大工の息子と付き合っていることを知り、逆上した兄が妹を取られまいと強姦して殺したのではないかと。
スケルトンは無罪を訴えましたが、それを聞く者は誰一人としていませんでした。
本当のところ、大工の息子はスケルトンがそんなことをするわけがないことを知っていたはずです。しかし、だとすれば犯人は村の長の息子であり、すなわち権力者です。その察しがついているがゆえ、スケルトンの無罪に耳を傾けることができませんでした。
もしかばいだてすれば、自分が犯人に仕立て上げられるかもしれないと言う恐怖があったのだろうと、スケルトンは申しておりました。
そしてスケルトンは処刑されることになりました。
彼は硫酸を掛けられ、村の外に追い出されました。
彼の住む村での最大の処刑方法は、ただ殺すだけではなく、最後には村人ですらなくするのです。
彼は地面にただれ落ちていく皮膚を眼下に見ながら、走りました。
どこへともなく。
皮膚を焼く激痛に、走るしかなかったのです。
自身の皮膚が溶けに溶けても、彼の意思は明瞭に存在していました。
もう、眼球ですらその顔にへばり付いているだけのはずで、視覚も失っているはずなのに。どうして自分は生きているのだろうと思ったそうです。
恐らくは無念に散ろうとする魂を、湧き立つ怒りが引き留めていたのでしょうね。
そんな彼の元に魔王様がやってきました。
魔王様はスケルトンに向かって言いました。
人間が憎いか、と。
スケルトンは須らく憎いと答えました。
世界で最も神聖な妹を汚し、のみならず無実の者に容赦のない汚辱を味わわせる。それが人間の本性。妹が死んだその時から、全人類は死ぬべきだったのだ。そう訴えました。
魔王様は骨だけになったスケルトンの、あとは消滅するだけだった魂を、その体にとめました。
そしてスケルトンは単身村に突撃し、村人を皆殺しにして、魔王様に一生服従を誓ったのです」
そうだったのか。
スケルトン。
あの時は何も知らないままに死んでしまったが、今お前の過去を知れて良かった。
「ですから魔王様。スケルトンは既に、果たすべき復讐を果たし、あとは魔王様の恩義に報いるだけだったのですわ。わたくしも、そう」
ヘルも、か。
気になるが、いくら何でもこれだけ近しい仲っぽい女性に聞きづらいな。
「覚えてらっしゃいますわよね?」
うえああ?!
「……もちろんだ」
内心を押し殺し、努めて物憂げな表情をしてみる。
星空の瞳が、潤んでいる。
「そう、あの時。わたくしが婚約者に裏切られ、村を追い出され、人間を信用できなくなり、死のうと思った時でした。泉に入り、溺れ、意識がなくなりかけたその生命をとめられました」
自分から話し始めてくれた。
「わたくしを泉から引き揚げた魔王様に、わたくしは食って掛かりました。
どうして助けたのだと。
どうしてあのまま死なせてくれなかったのだと。
すると魔王様は不思議そうな顔をしたのです。
逆に問うがなぜ死のうとしたのだ。と、そう言われました。
死ぬほど恨めしい人間を殺さず、なぜ自ら道を譲る真似をするのだ。
お前はそれほど美しいのに」
「確かに美しい」
「……ふぇ!? あ、もう! 急になんですの! 魔王様ったらからかって! 今でも大事にしている褒め言葉なんですからね!? けれども言うのは恥ずかしいんですからね!?」
今まで大人な女性だった彼女が、まるで少女の様に恥ずかしがる。それだけで胸がきゅんと締め付けられる。
「すまない。だが、美しいのは事実だから」
ますます赤くなる。
「と、とにかく……! 魔王様は仰いました。
もっと自分の為に生きていい。
くだらない、私利私欲にまみれた人間たちに振り回されて自分の生命を無駄にする必要などない。そんなものの為に生きてきたわけじゃあないだろう。憎しみがあるのならそいつらを殺せ。そうして殺した相手の家族の憎しみを買って殺された時が、お前の終わりだとて、問題は無かろう。お前は裏切られ、虐げられてきた。復讐がいけないことだとほざく奴がいたならば、俺が殺してやる。そしてその殺した奴の家族が俺を恨んだとて、問題はない。復讐をしてみろと言ってやる。
お前のその死に損なった生命の穢れ無きことよ。
お前は生きるに相応しい。
とは言え死への進行を止めたに過ぎないゆえ、生きているとも言い難いがな。
と、仰って下さったのです」
いや、魔王、かっこよすぎないか? 盛ってない?
「よく覚えているな。そんな長い科白」
「当たり前ですわ! 死の淵で聞いた、……愛する方のお言葉ですもの」
「その時、既に……?」
潤んだ瞳がいっそう開かれ、月光を反射する。
まるで泉のよう。
そこに、鯉でも泳いでいまいかと、錯覚するような。
瞳の中の星空の透明度が増していく。
「もう、そんな直接的な言い方をされては、恥ずかしくて死んでしまいますわ」