扉の前で斬られたゴブリンの遺体を隅へやる。この戦いが終わったら、墓でも作ろう。

 城の中に入ると女児が零度の瞳をこちらに向けた。
 背の低い赤髪。露出度が高い、まるでビキニのような黒い服を着ており、褐色の素肌にはくまなくタトゥーが彫られている。ふわふわとしたショールが彼女を守る様に旋回している。背と腰から生えた羽と尻尾は竜のそれだ。

「ここに来たと言うことは、ガンジマルは倒したの?」
「ああ」

 竜人の巫女、アミュの問いに短く答える。

「そう」

 彼女は何の感慨も無いと言ったように、呟きを返した。

 そのアミュの後ろには豪奢(ごうしゃ)な鎧に身を包んだ青髪の青年が玉座に座っていた。
 青年、ヨールーは顔だけをこちらに向ける。

「来たか、裏切り者ども」

 その言葉にレアーがいち早く反応する。

「なーにが裏切り者よ! あんたがネイアをパーティから外したりあたしらに無茶苦茶な戦い方させたりするのが悪いんでしょうが! て言うか、魔王の力を手に入れておいて、そんな奴に勇者面されたくないわよ!」

 ヨールーは、憤慨するレアーを鼻で笑った。

「魔王の力は魔王を倒す為に必要だったから手に入れたまでだ。貴様らが身勝手な主張をしてパーティを出て行った所為で、戦力が下がったからな。手に入れざるを得なかった」
「詭弁よ! 世界征服しようとしているくせに!」
「いや、オレはちゃんと魔王を倒すつもりだぞ? だからこうしてお前が来るまで待っていたんだ」

 そう言って俺の顔を見る。

「俺が魔王だとなぜ知っている?」
「ガンジマルが、門の前でゴブリンと密会しているお前の姿を確認したからな。ゴブリンに魔王の元へ行って連れ帰って来いと命令したんだよな?」

 ヨールーはそう言って玉座の裏に顔を向けた。
 よく見ると、彼の手には鎖が握られている。
 シャラシャラと音を鳴らして、玉座の裏から這い出てきたのは四つん這いになったヘルだった。彼女には首輪が付けられており、そこから垂れた鎖を勇者が持っている。
 衣服は破られ、乳房や尻などがあらわになっている。

「ヘル!」
「魔王様……!」

 涙を流しながら悲痛な声で名前を呼ぶ。乱れた赤紫色の髪がその涙に張り付いて、一層痛ましく思えた。

「ほう。オレの喋るなと言う命令を無視できるとは。やはり姿形は違えど、お前が魔王で間違いなさそうだな」

 ゴブリンが言っていた通り、同質の力を持つヨールーには逆らうことができないようだ。俺が来たことによって完全な服従は解けたようだが、ヨールーに歯向かうことはできないようだ。

「魔王よ、お前が来るまではこいつはオレの言いなりだったぞ? 先のゴブリンの話も、言えと言ったら簡単に吐いた。それだけじゃあない。命令すれば何の抵抗もなく何でもしてくれた。何でもだ。そう、性処理だって簡単に引き受けたぞ?」

 電気が流れた様にヘルの顔が引きつった。

「やめて!」

 反論しようとするヘルの鎖を、ヨールーは乱暴に引っ張る。
 ヘルはぐえっと言う情けの無い声を上げてしまう。

「一丁前に喋るな。ああ? なんだかんだ言いながら気持ち良さそうに喘いでいただろうが! ああ!?」

 平手が思い切り彼女の尻を叩く。パシンッと言う乾いた音が響く。
 ヘルはただでさえ四つん這いになって低いその姿勢を更に低く、寝そべるようになって、屈辱と悲哀でぐちゃぐちゃになった顔を手で覆った。

「やめてぇ……言わないでぇ……魔王様、すみません、すみません……う、うう……」

 無理矢理とは言え他の男に体を許してしまったことへの罪悪感からか、彼女は謝罪の言葉を口にしていた。

 俺の血は沸騰したように熱くなっていた。髪の毛が逆立ったのを感じた。

「ウーさん! いけません! 挑発に乗っては」

 ネイアの言葉に、今にも襲い掛かろうとしていた自分を認識した。握りしめた魔剣からまるで触手の様に伸びた黒い炎が揺れていた。ガンジマルの左目を奪った炎だ。それに右腕に亀裂が入ってそこからオレンジ色の光が見えている。魔王の力が暴走している。抑えなければ。ここに居る全員を殺してしまう。
 深呼吸をして、心を落ち着けると、黒い炎もオレンジ色の光も消えた。

 ヨールーはそんな俺を嘲笑うかのように、ヘルの赤く腫れた尻を撫で回す。苦痛の為かヘルの肩がビクッと震えた。

「この女の、死体の様に冷たい体がまた良くてなあ。上の口も下の口も最高だったぞ! はーっはっはっは!」

 瞬間突風を鼓膜に感じた。
 遅まきに自分自身が跳躍しているのだと気付いた。
 ヨールーとの距離が近くなる。
 このまま殺す。
 刎ね落とす。

絶対不可侵聖域(バリア)!」

 突然老人の声が響いた。と、共に目の前に不可視の壁が出現して、避け切れず衝突してしまう。弾き飛ばされ、そのまま仰向けに倒れた。

 この法術は……。

聖なる針(セントニードル)!」

 こぶし大の針が連続して撃ち込まれる。ゴロゴロと横に転がりながらそれらを躱した。うち何発かはレアーとロアネハイネの攻撃で撃ち落とされていた。

 俺は術者の方を見る。

「神がなぜ生きている!」

 もじゃもじゃの白い髭をぐしゃぐしゃと撫で繰り回しながら、神は笑いを浮かべている。

「そこの竜人の力じゃよ」

 驚愕に穿たれ一瞬固まる。

「うそ!? アミュは確かに召喚術を使うけど、神を……しかも死んだ神を呼ぶってどういうこと!?」

 レアーの問いにアミュは無感動に答えた。

「ヨールーに魔界の力を分けて貰ったから。流転(るてん)召喚を覚えたの。死んだ者を現世に呼び戻す召喚術。魔王だろうと神だろうと死人だろうと関係ない。ワタシは竜人族を救う為なら何でも利用する」

 片手を前に突き出した彼女の全身のタトゥーが赤く光っている。浮遊していたショールは腕に巻き付いている。ヨールーとの会話の間に召喚術の準備をしていたのか。

「魔王よ、あの時は後れを取ったが、今度はそうはいかんぞ?」

 確かにあの時のようにはいかないだろう。前回は神が油断していたからあんなに接近できた。バリアを張ることすらしなくなったから手榴弾を異空間転移させられたが、距離を取られて法術の限りを尽くされたら、手の打ちようがない。

「ウーさん! 耐えて! 退かないでください!」

 俺はいつの間にか後退していた。気圧されている。

「ウーさんを残して二人は大きく後退してください!」

 そうだ。神もあの時とは違うが、俺もあの時とは違う。仲間がいる。

 そして、今一度考える。あの、神を殺した時の後悔を。目の前に下卑た笑いを浮かべる神を見て思う。あの時、俺はやはり神を憎んでいた。今、堕落した勇者の軍門に下ってなお恥じ入らない精神の腐食は、死を以てして余りあるほどの罪。人類に対する汚辱だ。まして復讐に燃えるなど……。

 おお、神よ。やはりあの時お前の為に命を絶たなくて良かった。お前の様な者が統治する世の中など、きっと醜く腐りきってしまうだろう。

 俺は今、義を以ってお前を殺す。
 ただ己が生き残る為ではない。
 世界平和の為にお前を殺す。

「行くぞ神よ! 今度こそお前を滅ぼす!」
「戯言を抜かしておるわ、小僧っ子が! 聖なる炎(セントファイア)!」
火炎槍射(フレイムスピア)!」

 神が時短詠唱で法術を連発するのに合わせ、俺も魔術を紡ぐ。
 奴が聖なる炎(セントファイア)を出すなら応じて炎の魔術で相殺。風も水も然り。

 魔術は神には効かない。バリアを粉砕して直接被弾させても大したダメージにはならない。それは前の戦いで学んだ。しかし、奴の攻撃を撃ち落とすには有効だ。奴の攻撃が後ろに届かないように時短詠唱で応じれば良い。言うなればこれは後出しじゃんけんであいこを続けているような状態だ。
 打開の術はない。少なくとも俺と神の間では。防戦一方の俺が、ただ集中力と精神力が削られていくだけの戦いだ。だが、ネイアは退くなと言っていた。ならこの精神が尽きるまで、魔術の限りを尽くすまで。

 ロアネハイネが牽制の為に矢を放つが、魔術と法術に巻き込まれて空中で爆散する。

 この状況下で、レアーの魔術が発動しないのは、通用しないことを解ってのことか。
 もしくはまた禁術級の魔術を詠唱しているのかも知れない。
 とにかく俺にできることは仲間への被弾を防ぐことだ。

 だが突然後方で異変が起きた。


「レアーさん、ロアネハイネさん、私を撃ってください!」


 信じられない言葉が聞こえた。どういうことだ。

 神から目線を切れない俺は、耳をそばだてるしかない。

「信じるからね!」

 ほんの一瞬体を捻った時に見えたのは、矢をつがえたロアネハイネの真下に寝転んでいるレアーと、矢の手前に背中を向けたネイアの姿だ。
 状況的にまったく意味が分からなかったが、神に向き直って奴の法術を撃ち落とさなければいけない。

 後ろからまた声が飛んできた。

圧縮風弾(エアーボンバー)!」
「……撃つ!」
聖域境壁(プロテクション)!」

 声が聞こえたと同時に後方から風切り音が飛んできた。

「ウーさん、飛んでください!」

 言われるままに跳躍する。
 俺の真下をネイアが飛んでいく。

 彼女の背中には矢が突き刺さっている。そこから風の波が発生し、二つに分かれて後方に流れている。それは風の翼。
 翼の生えた神官。彼女は天使だった。
 天使はそのまま神に突進した。

「無駄じゃ!」
「無駄では有りません!」

 神の前には絶対不可侵聖域(バリア)がある。先は俺の突進を弾いた。前の戦いの時も弾丸を5連続で撃って初めて割れた強度だ。
 生身の人間が突っ込んで割れるようなものじゃあない。体は無事では済まない。

「ネイア!」

 だがネイアはそのままバリアをものともせず、神に到達した。

「がはぁあっ!」

 ネイアが両手で握ったクロスが、深々と神の胸に突き刺さっている。
 口から赤黒い血をどぼどぼと流し、髭を赤く染めながら神は、眼をひん剥いて反逆の聖女を睨んだ。

「なぜじゃ……! なぜ絶対不可侵聖域(バリア)を破れた……!」
「私の聖域境壁(プロテクション)は貴方の絶対不可侵聖域(バリア)と同系統の法術。触れ合った瞬間に干渉しあって無力化されるのです。貴方は法術で法術を相手取ったことがないでしょうから、知らないのも当然でしょうけれども、私たち人間の間では当たり前のことなのです」

 そうか。神が甦ったことで、ネイアの力も戻ったのか。先の風の魔術を取り込んだ矢も、背中に刺さっていたのではなく、聖域境壁(プロテクション)に刺さっていたと言うことになる。

「くっ……人間ごときが……神に歯向かうか」
「神よ。お許しください。世界の平和のために私たちは進まねばなりません」

 神は震える手でネイアの首に手を掛けた。ただその手にはとても力が入っているようには思えない。

「誰が許すものか……! ああ~~~!? 人間は……、人間はわしを、神を満足させる為におるのじゃ。牙を向けるなどもってのほか。おぬしら愚物は、ただわしに祈りを捧げておれば良いのじゃ。ふひひひひひ。そう、教えたはずじゃ……じゃのに、くそぅっ、全て魔王の所為じゃ。奴の所為で全てが狂った。本当は、人間は、わしが暇潰しの為に創った愚物、ぐぶつ、グブツ……」
「遍く人々を須らく救済するお方こそが、我らがイザ教の神様です。貴方がこれ以上神の名を口にして穢そうと言うのなら、それを許容することはできません。神の名を汚さぬために神官の名において貴方を殺します」

 ネイアは心臓に刺さったクロスをまるでハンドルを回すように、ぐるんと回した。
 ぶちぶちと言う鈍い音がして、神は痙攣しながら天を仰いだ。口から赤い泡をブクブクと噴き出し、ゆっくりと倒れて行った。

 近寄ってもピクリとも動かなかった。死んでいる。

「大丈夫か?」

 俺が問い掛けても、ネイアからの返事はない。
 彼女の肩に手を置くと、ビクッとしてこちらを振り返った。

「殺すと言うこと、慣れそうもないですね。それにウサギさんの時とは、やはり違いました。命は等しいなんて、詭弁(きべん)ですね。でももう大丈夫です。まだ戦いは終わっていませんから」

 意志の強い蒼が、満ち溢れている。
 俺は視線を返してから、アミュに向き直った。