「ウーさんは、間違っています」

 ネイアに断言された。
 そりゃあそうだ。彼女が一番被害を被っているのだから。

「そうだ。間違いを犯した。今更許されようとは思わない。今まで黙っていた分も含めて(あがな)っていきたいと思っている」
「いいえ。間違っているのは、生きようとしたことを否定したことです」

 ネイアはレアーの震える肩をそっと抱いた。

 彼女たちは一度だけ視線を交わし合い、ネイアは悲しそうな顔をするレアーをそっと抱き寄せた。
 しばらくしてレアーはそのまま後ろにさがった。

「しかし、俺は君の信仰の対象を殺したんだぞ? 許されざる行為だろう。それは間違いじゃあないのか?」
「私も、自分が生きたいが為にウサギさんを殺しましたよ?」
「ウサギと神じゃあ比較にならないと思うんだが」
「最初から比較しないでください。等しく命です。
 私は、いいえ、私たちは他の命を犠牲にしてしか生きて往けない悲しい人間です。と、以前ウーさんは私にそのような言葉をかけてくださいましたね。悲しいですが、それは真実です。
 そしてウーさんは生きようとした。必死に足掻いた。神様に背いてでも生きようとした。素晴らしいことです。死ねば良かったなんて言葉、二度と言わないでください」

 あの、神を殺した直後に自身の心を守るために考えた浅ましい自己肯定も、清らかな心を持つ者が言うと、どうやら重さが違うようだった。

「だが、事実君は被害を受けている」
「受けているから何がいけないのでしょうか」
「いや、だから、力を失ったんだ……憎いと思わないのか?」
「力を失っても、人を助ける事はできます。できることは少なくなっても、その中でできることを探すことはできます。それに、ウーさんはガンジマルさんから命を救ってくれた恩人です。尊敬こそすれ、憎しみなどを抱くはずもありません」
「でもそれは俺が神を殺して君の力が無くなったからそうなったのであって」
「事前の因果など関係ありません。ウーさんは生きたいと願った。それを阻止しようとする者が現れた。生きる為にはそれを倒すしかなかった。
 私はガンジマルさんに殺されかけた。それを貴方は助けた」

 ネイアは凛として佇み、頑として退かない。

「それとも、ガンジマルさんが私を殺したいと思ったのは、ウーさんの所為なのですか? ウーさんがガンジマルさんを操っていたのですか?」
「それは違うが」
「神様を殺したのは、私に恩を売る為だったのですか?」
「それも違う」
「でしたら貴方はただ生きようとして、目の前で死にそうだった私を救っただけの人。その純粋を蔑ろにして、因果だけを辿ろうとしないでください」

 彼女の瞳はまっすぐで、清らかだった。
 その清らかさに、心にたまったもやもやが少しずつ晴れていく。

 ネイアはウサギを殺したあの夜、俺が一方的に言った約束を守ってくれようとしている。
 つまりは、彼女は俺を許してくれようとしていた。
 否、既に彼女は許していたのかも知れない。初めから。あの夜のやり取りがあろうがなかろうが。そう思わざるを得ない、純心がそこにはあった。

「それに、誰か一人の命を犠牲にして平和を手に入れようなどと、言語道断です。私たちの様に、死ぬ覚悟を決めて魔王を討ちに行くのならまだしも、何の関係もない異世界の人の命を犠牲にして、それでこの世界が平和になったとしても、そんなものを平和と呼んで良いわけがないのです!」

 熱が入り、ネイアと俺の距離はいつの間にか詰まっていた。俺の目には彼女の澄んだ蒼しか映っていない。

「それに、ウーさん、神様は死んでいません」

「いや、死んだ。目の前で。だから君の力も失われた」
「いいえ。ウーさんが殺した神様は、少なくとも私の信じる神様では有りません。遍く人々を須らく救う。それが私の信じる神様です。ウーさんは今でこそ魔王の体に居ますが、人間だったのですよね?」
「ああ」
「貴方だけを迫害して自殺を促すような神様が、私の信仰する神様のはずがありません。それを神様だと信仰すると言うのなら、冒涜(ぼうとく)に他ならない行為です。
 我々イザ教が信仰する神様が死ぬ時、それは私たちが己の道徳心に背いた時です。
 貴方が死んでいれば良かったと言う考えこそが、神を致死に追いやる背徳なのです!」

 彼女の真剣な眼差しは言葉が届く深さの限界の先にある俺の心に突き刺さった。

 ――貴方がどれほど自分を憎んでも、私が貴方を許します。

 そう言われているようだった。
 俺は、浅ましいと思いながらも、独善的だと思いながらも、彼女に許してほしいと思った。その清らかさで、全てを洗い流してほしいと。

 嗚呼、これが宗教なんだな。
 神様の有無じゃあないんだ。
 俺は初めて本物の宗教に出会ったよ。

 悟りを開かなくたって、奇跡を起こせなくたって、寧ろ力を無くして邪神教の神官だと(さげす)まれたって、ただ目の前の人の心を救いたいと願う心が、偽りない善。宗教なんだ。

「二人とも……近い……」

 ロアネハイネの言葉に、彼女はハッとなって一歩さがった。

「す、すみません」
「いや、大丈夫」

 顔を赤くして謝るネイアに俺は曖昧に笑いかけた。

「ボク……魔王とか、神様とか……よくわからない。けど……ウー君は、好き」

 頬を赤らめて笑うロアネハイネ。

「ありがとう」

 なんと返したらいいか分からずお礼を言ったが、それでいいような気もした。

 レアーが気まずそうにこちらを見ている。きっとさっき怒ったことを気にしているのだろう。

「レアー」
「なによ」

 元気なさげに、ちょっと不機嫌そうに答える。

「お前だけは俺を許さないでくれ」
「……は?」
「俺の力が暴走した時、みんなを守れるように。いつでも殺意を持てるようにしておいてくれ」
「なんでそんなことをあたしだけに言うわけ!? なに? さっきの腹いせ? そりゃあ怒って悪かったけど」
「違う。俺がお前に頼むのは、お前が公平な判断を下せる、極めて聡明なリーダーだと信用しているからだ。それと、さっきの怒りは正当だ」

 (いぶか)しむ様に眉をひそめるレアー。

「ネイアは俺を許す為に色々言ってくれはしたが、俺の軽率な行為によってこの世界に波紋が広がっているのは間違いない。そこに対して怒りを覚えるのは、当たり前のことだ。仲間を思いやってのことだろうしな。

 それに、意見と言うのは、本来対立して然るべきだと思う。グリアス村での一件を思い出してほしい。あの時、俺を迫害する者が多く居たが、村長はそうではなかった。彼は完全なるマイノリティであるにも拘らず、自分の意見を通した。もし仮に彼が周りの意見に流され、民衆の機嫌を窺うような村長だったら、意見を捻じ曲げマジョリティに迎合していただろう。そうなれば、あの村の復興は遅れ、冬には餓死していたかも知れない。

 だが逆に、あの時に俺を威勢よく追っ払えば、民衆の前で尊厳を見せつけることができた可能性もある。それにより周りからの畏敬の念を集め、復興も(はかど)っていたかも知れない。
 それにもしあの村長の発言力とカリスマが、自身が思っているより低かったらどうだろうか。一時的とはいえ民衆を敵に回せば、その敵の中に新たなリーダーが生まれる可能性もある。そうなれば、冬を待たずに村で死人が出るかも知れない。

 俺は村長の行動は正しいと思うが、一概に言い切れないのもまた事実だ。
 一切不動の正しさなどない。だから同じパーティ内にも異議を持った者が必要だ。
 例えば勇者一行もそうだ。レアーが異議を持たなければ、ロアネハイネは死んでいたかも知れない」

「でも、あたしの所為でパーティがバラバラになったとも言えるわ」
「それがどうした」

 レアーは目をぱちぱちとしばたたかせた。

「ロアネハイネの命がまずは優先されたんだろう? それは間違いじゃあない。それに、仮にそのままのパーティでやっていけたとしても、独裁的な主義主張を容認しているようなパーティは、いつかやってられなくなった時に外側に向かって攻撃を始めるだろう。例えばロアネハイネの不満が募って、仲間には向けられない鬱憤(うっぷん)を他者にぶちまけることになっていたかも知れない」

 ロアネハイネの狐耳が徐々に垂れ下がってくる。

「もちろん、本当にそんなことをする奴だとは思ってないからな」

 ロアネハイネの耳が元通りになった。

「とにかく、バラバラになって良かったんだ。そんなパーティは」

 そもそもネイアの力が失われなければそんなことにはなっていないのだろうが、それを言い出すと話が逸れそうなのでやめておく。

「でもさ、異議異論ばっかりのパーティもやりづらくない?」
「そりゃあ当然、ある程度統一感のある帰属意識は必要だろう。それがなければ、そもそも別の仲間を探してパーティを組んだ方がいいんだろうからな。だが、このパーティにはある程度の統一感——つまり価値観や道徳観と言ったものが著しく外れている奴はいない。だからその点は問題ない。
 ただ、危険因子がある。それが俺だ。それをみんなが諸手を挙げて受け入れるのは危険極まる。誰か、反対意見を持った人間も必要なんだ。そしてそういう一見非道徳的に見える意見は、いざと言う時に押し通せる意志を持った人間の方がいい」
「それであたしー?」
「悪いな」
「ほんとよ!」
「いくら憎んでくれても構わない。あと、その分こき使ってくれて構わない」
「仕方ないわねえ、まったく!」

 などと言いながら、先の気まずさを孕んだ雰囲気はどこにも無い。
 緑の長い髪をバサッと後ろに流して、どこか得意げにも見える。

 ゴブリンを見る。

「さて。置いてけぼりにしてすまなかった」
「はいぃ。あのぉ、結局助けて頂けるのでしょうかぁ?」
「その前に、俺の心は魔王じゃあないが、その辺魔王城のみんなは理解してくれるのか?」
「いやぁ、それはなんともぉ。しかし魔王様と同じ力を持っておいでなのでぇ、契約している以上ぅ、みんなが魔王様に襲い掛かるようなことはぁ、無いと思いますぅ。それになにより今はぁ、勇者を退けることが優先されますからぁ」
「だが、ヘルを傷付けることになるな。お前から口添えしてくれよ?」
「善処いたしますぅ」

 さて。俺としては自分自身の尻拭いの為に魔王城に行かざるを得ないが。

「レアー。魔王城に乗り込んでもいいだろうか? 自ら撒いた災いの種から出た芽を摘みに行きたい。まだ俺がこの体を制御できているうちに」
「それは、リーダーのあたしが決めろってこと?」
「そう言うことだ」
「調子いいわよねー。どうせあたしがダメって言ってもさー、ウーは一人でも行くって言うんでしょ? それでネイアが付いていくって言い始めて、ロアネハイネも行っちゃってさ。あたし一人残るんでしょ?」

 肩を落として大袈裟に溜め息を吐いた。
 俺はそんなレアーを見て思わず笑ってしまった。

「何よ笑っちゃって」
「拗ねてて可愛いなと思っただけだ」
「んな!?」

 彼女はまたも大袈裟に驚いて、それから自分の髪をいじり始めた。毛先をくるんくるんっと指にかけてはほどいて、を繰り返した。

「あー、もう! 解ったわよ! 行くわよ! それでいいわね! ロアネハイネもネイアも異論はないでしょ!」
「はい!」
「……うん」
「ありがとうな」
「仕方ないでしょ! だいたい、これはあんたの問題でもあるけど、あたしとしても元身内が魔王になっちゃってるってわけだから放っておくわけにはいかないのよ! 世界征服する気らしいし。だからそんなヨールーなんかちゃちゃっと倒してさっさと世界の平和を手に入れるわよ!」

 杖に着いた紫色の水晶をパンパンと叩きながらぼやいた。

「ここまで見通しをつけておいてから、行くと言う判断を下すリーダーだ。俯瞰(ふかん)的な視野で情報を取りまとめる処理能力と、明らかになっていない情報を経験則で割り出す演算能力がある。ネイア、ロアネハイネ。もしもレアーが行かないと言ったら、その時は本当に行ったら駄目ってことだ。そういう時は、俺のことは無視してレアーの指示に従って欲しい」

 真剣に頷く二人の後ろで、レアーは視線を逸らしてくしゅくしゅの緑の髪をいじっていた。



 色々あったが、一度、木材や食材を持ってグリアス村に戻ることにした。
 その頃にはもう日が落ちていた。

 ゴブリンは、城にずっといないとヨールーに気付かれる心配があった為、魔王城に戻っていった。

 村に着くなり資材を置き場に運んだ。いくら復興の為とは言え、夜遅くに作業をするわけにはいかない。いずれにせよ、明日は魔王城に赴く算段がある為、体をすぐにでも休ませたいと言う、こちらの都合もある。

 ネイアには、一時的に復興を手伝えなくなるかも知れない旨を伝えに行ってもらった。魔王城に行くと伝えると、色々ややこしいことになりそうなので、少し遠出をする用事ができたと言う理由にしてある。

 ネイアを待っていると、村の奥から村長を含めた村人がぞろぞろと門の前に集まってきた。村長の前をネイアが歩いて、こちらまで案内しているようだった。

 村長は恭しくお辞儀をする。

「魔人殿。今夜は泊っていってはくれんかのう?」
「いいのか?」
「村のみなみなは納得させた。と言うより、もともと魔人殿に命を救われた者の中には、当然ながら魔人殿に対して好意を持っておる者もおった。じゃが、当時のあの雰囲気ではとてもじゃないが声を上げることはできなかった。あの場では心苦しくも発言を控えた者がそれなりにいたのじゃ。
 そして三日間とは言え、毎日この村の為に尽くしてくれる献身的な態度に、魔人殿を快く思う者が少しずつ増えて行った。今では寧ろ、魔人殿の働きぶりに何かお礼をしたいと言う者も現れておる。とは言え、一度迫害を味わった魔人殿に、掌を返したような好意を向けるなど、それはそれで失礼じゃろうと思って、みな口を開くことができなかったのじゃ」
「そうだったのか」
「じゃが、ネイア様のお言葉を聞いて、このまま何のもてなしもせずに行かせてしまうのは申し訳ないと思った次第じゃ。こちらの勝手と解ってはいるが、どうかくつろいでいって貰えんじゃろうか」
「解った。ありがとう。ではお言葉に甘えさせて頂くとする。村長。あなたの様な聡明な人と知り合えてよかった」

 にっこりと笑った村長に導かれるまま、村の中に入った。

 決戦前夜に全員の体を隅々まで休めることができるのは、とてもありがたいことだった。俺は魔王の体のおかげで疲れ知らずだが、他の三人はやっぱり疲れているはずだ。
 三人ともキャンプが楽しいからとか言って俺に気を遣ってくれていたが、本当はしっかりとした建物の中で野生動物や魔物の脅威に怯えずに熟睡したいはず……あれ?

 彼女らが熟睡してなかったことって、一度でもあったか?