ゴブリンの視線は、しばらく空中を彷徨っていた。
 どこから話したものかと、考えているのだろ。
 やがて、考えがまとまったのか、だみ声が滔々(とうとう)と流れ始めた。

「まず私は魔王城からやってきましたぁ。魔王様の部下のゴブリンですぅ。
 魔王城の魔物たちは魔王様が居なくなってからぁ、二つに分裂してしまいましたぁ。新しい魔王を君臨させて新魔王軍を発足する者とぉ、居残る物ぉ。私は居残る物ですぅ。
 しばらくは黙って魔王様の帰りを待っていましたがぁ、一夜明けても帰られずぅ、我々は魔王様を探すべくぅ、城の近くを詮索しましたぁ。そこで村に入っていく勇者一行の内の二人を見つけましたぁ。」

 レアーとロアネハイネはそれぞれ自分の顔を指し、首を傾げる。
 ゴブリンはこくこくと頷いた。

「それでぇ、我々はその村にもしかしたら魔王様がいらっしゃるのではと思ったのですぅ」
「なんでそうなるわけ?」
「魔王様はぁ、城の安全のためにも自分は居ない方がいいと書置きを残して出て行ったんですぅ」
「はあ!?」
「勇者一行はぁ、魔王城に来た時ぃ、他には目もくれずに魔王様のところに来たのですぅ。魔王様は、自分さえ居なければ勇者一行たちも来ないはずだとお思いになったのですぅ。皆を危険にさらさない為にもぉ、出ていくべきだとぉ」
「なんと部下思いな魔族なのでしょう」
「いや感動するところじゃないから! そんな魔王聞いたことないわよ!」
「そうなのですぅ。我々にとっても初めてのことだったのでぇ、混乱したのですぅ。しかし魔王様の言う通りならぁ、魔王様がお帰りになる為には勇者一行を倒すしかないわけですのでぇ、勇者一行を追って行けば魔王様にも辿り着くかと思ったのですぅ」
「……理に、かなっている……」
「そこで皆さんご存知の通りぃ、我々は村に立ち入ったのですがぁ、皆さんの圧倒的な力を前に撤退しましたぁ。しかし魔王城に帰ったところで驚きましたぁ」
「何? 魔王が帰ってたってオチ? つまんなーい」
「いえぇ、勇者が玉座に座っていましたぁ」
「ああ、ヨールーがねえ。ふーん。あいつならやりそ……はぁあああ!?」

 全員が驚愕の表情でゴブリンを見る。

「どうやら勇者は竜人と共にぃ、魔王様にリベンジをしに来たようでしたぁ。しかし魔王様が居ないどこか、もぬけの殻になっている城に、これ幸いと空き巣の様に入ってきたわけですぅ」
「警備ザル過ぎでしょ!」
「あ~ぁ、誤解を招く言い方をしてしまいましたがぁ、もちろん警備の為に残った魔物も居ましたよぉ。しかし一緒に居た竜人が強いのなんのぉ。ほとんど勇者の出る幕なく一掃されてしまったんだとぉ、生き残った仲間は言っていましたぁ」
「あいつ! あのクズ! アミュばっかり働かせて。……それで? あんたたちは玉座に座ってたヨールーをどうしたの?」
「どうもこうもぉ、玉座は魔王様の力の源である魔界に通じていますぅ。それを浴びた勇者はぁ、魔王になっていましたぁ」

 全員が固まる。俺の思考も完全に停止している。
 何がどうなって、勇者が魔王になるんだ……?

「勇者魔王となった元勇者はぁ……あぁ、ヨールーはぁ、新しい魔王様として我々居残り組の上に君臨することになったのですぅ」

 色々端折って解り易く言うと、闇落ちと言う奴か。だが玉座に座っただけで魔王になるとは、どういう理屈なんだ。

「え? なに? そんなことできるわけ?」
「誰でもぉ、と言う訳では有りません。まずは魔物じゃないことが重要ですぅ」
「魔物だとどうしてダメなの?」
「魔物には固有の魔力がありますぅ。ですからぁ、魔王様の質の違う魔力を受けた所でぇ、それは自分のものにはできないのですぅ。ヨールーは魔力を持っていませんでしたぁ。そのうえで膨大な魔力を受けてもぉ、破壊されない程大きな器を持っていたのでしょうぅ。つまり魔王の器があったのですぅ。ですから魔王になれたのですぅ」
「ふーん……いやいや、そうじゃあなくて! なんで誰も逆らわないのよ!」
「我々魔族の内ぃ、少数ではありますがぁ、魔王様の魔術と契約によって動いていられる者が居ますぅ。私は違うのですがぁ、ヘル様は魔王様の力が無ければ死んでしまいますぅ」
「ヘル?」
「あ~ぁ、魔王様の側近中の側近の方ですぅ。我々をまとめる方でもありますぅ。実際契約したのは魔王様ですがぁ、ヨールーが魔王様と同等同質の力を手に入れたことでぇ、魔王様の力で動いていた魔物たちはみんな強制的にヨールーの味方になりましたぁ。もちろんどれだけ拒んでもぉ、体が言うことを聞かないのですぅ。ですから今魔物たちは無理矢理従わされている状態なのですぅ」
「あんたは自由なのに、言うことを聞いてたの?」
「従わなければヘル様が殺されてしまいますからぁ」
「なるほどねー。じゃあ、魔王城はピンチってわけね。でも、どうしてその状態であんたはここに来たのよ?」
「ヘル様のぉ、命令ですぅ」
「ヘルさんの命令はどういったものなのでしょうか」
「助けを乞いに行けとぉ」

 レアーは肩を落とした。

「あんたねえ、なんで敵の手助けをしなきゃいけないのよ。そりゃ確かに私たちはもう勇者一行じゃあないけどさ。別にヨールーが魔王になったんだったらいいんじゃない? あんたたち魔物にとっては厄介なことかもしれないけど、その方が世界が平和になるじゃない」

 ゴブリンはしょぼんと項垂れた。

「皆様にも関係のある害悪にぃ、ヨールーはなりつつありますぅ」
「は?」
「自身こそが魔王と言い放ち、この世界を自分のものにすると言っていましたぁ」
「そ、そんな、あんたの言うことなんて信用できるわけないでしょ! あいつだってあれでも一応勇者だし、そんなこと……」

 最後は尻すぼみだ。

「無いとは、言い切れないんじゃないか?」

 溜め息交じりに放つ。

「そう、ね」

 ゴブリンは俺の前に立ち、やがて恭しく頭を下げた。

「どうかぁ、どうか戻ってきてくださいぃ」

 レアー、ロアネハイネ、そしてネイアの視線が突き刺さる。
 まずはゴブリンに。何を言っているんだ、こいつは。と言う目だ。
 次に俺に。まさか本当に? と言う目だ。

「お願いしますぅ! 魔王様ぁ!」

 俺は深く息を吐いて、ゴブリンの肩に優しく手を置いた。

「……ああ」