瞼にやさしく降りかかる陽光。
 緩やかな朝の温もり。
 そしてモフモフ。

 ああ、なんだろうこの気持ちの良いモフモフは。
 顔をうずめてぎゅっと抱きしめる。
 幸せな気持ちになる。
 ずっとこのまま朝に抱かれて眠っていたい。

「何やってんのよこの変態!」

 耳をつんざく怒号とともに、顔面が陥没する感覚に襲われる。
 否、瞬間的ではあるが、確実に陥没した。
 痛みに目を開けると、そこには怒りに満ち溢れた表情のレアー。その後ろには、頬を赤く染めて艶っぽい吐息を漏らしているロアネハイネ。微かにだが、口元にはよだれが付いていた。

「何があったんだ?」
「ああ!? もう一発ぶん殴られたいの!?」
「いや、お前が怒っているのは解った。だが何が何だか」

 レアーに詳しい話を聞くと、どうやら俺は寝ぼけてロアネハイネの尻尾を抱きしめていたらしい。彼女はそこを触られると動けなくなってしまうのだそうだ。それでどうしてあんなに艶っぽくなっていたのかは語られなかったが、とにかく触らない方がいいのは解った。

「すまなかった」
「……いいよ」
「ありがとう」
「また触っても……」
「え?」

 彼女は俺の疑問符を置き去りに、朝食の準備をしにテントを出て行った。

 あれから3日間、魔王の力は鳴りを潜めていた。
 努めて魔術を使わないようにしているのもそうだが、ネイアに精神的に助けられたことで、魔王の力を抑える余裕が心に出てきたのかも知れない。それでイコール永遠に無事かと問われれば、そうではないと言う答えになるのだが。何せ根本的な解決策は何も見つかっていないのだから。

 朝食を食べ終わり、四人で資材の調達をしに行く事にした。
 倒壊した建物を再建するための木材を手に入れるのが、今日の主な仕事だ。それに付随して働く我々の為の食料調達も欠かせない。食料一日分が賄えたら時間を取って戦闘時の作戦会議をしていた。
 実際動かない木などを相手にして実演も行った。敵がいない訓練の中でいくつ解ったことがある。戦闘に対して三人ともバラバラの個性を持っている。

 ロアネハイネは、経験則に基づいて考えるより先に直感で行動するタイプ。
 ネイアは、見えている情報からどう動くべきかの最適解を導き出すタイプ。
 レアーは、不確定要素を含めてあらゆる可能性をいくつも考え出すタイプ。

 パーティが大多数なら大変だが、4人程度のパーティなら戦術に幅が出ていいだろうと考えた。それに、最終的にはネイアに従うので、意見が割れても問題ない。

 森に着くなり俺は魔剣を召喚した。

 風系統の魔術を使った方が安易に樹木を倒せそうだったが、暴走するのが怖いと言うのと、自分の剣士としての腕を磨く為にも、魔剣による伐採が望ましかった。

「あんたのそれって、魔剣よね」
「ああ」
「魔王も使ってたけど」

 自分が魔王だと疑われているのかと思って一瞬腕が止まる。

「魔人ってみんな使えるもんなの?」
「さあな。この間の話じゃあないが、気付いた時には使えていたから」
「そう。でもま、さすがに魔王ほどじゃあないわね」
「そりゃあそうだろ」

 と、言いながら、何が違うのかと改めて剣を見る。

 そう言えば、小さいな。今更だが。

 この姿になる前の魔王は、2メートルを超える長身だ。その体でも剣は大きいと感じていた。だが今150センチメートル前後の身長なのにも拘わらず、体感は変わっていない。つまり、剣も縮んでいると言うことだ。もちろん、身の丈程あるので小さくはないのだが。

「三階層ってとこかしら」
「三階層?」
「あれ? 知らないの? 魔術の古文書を読んでた時に魔剣について書いてあったのよ。魔界は十三階層まであって、その階層ごとに一本ずつ魔剣があるの。数字が大きいほど強い魔剣。あんたのは、多分三階層」
「そうなのか。魔王は十三階層を使えるのか?」
「うーん。そのはずなんだけど、なぜかこの間魔王と戦った時は、七階層だったのよねえ。手加減する理由が分からないんだけど」

 あの時、魔王の力の半分程度しか扱えてなかったと言うことか。そして今は更にその半分。

「見間違いではなく?」
「見間違いじゃあないわ。十三階層の魔剣は出現した瞬間に解るから」
「そう言うものなのか?」
「魔力を持ってかれる感覚があるのよね。……あ、ひいひいおじいちゃんが残した書記によるとなんだけどね。出現してから数分間は魔術が使えない程なんだって。だから前回封印した時も、聖剣と法術で魔王を無力化してから魔力を回復させて、封印の魔術を唱えたんだって書いてあった」
「そんなに違うんだな」
「ま、あたしとしてはそんな危なっかしい魔剣使われるより、剣士として優秀なくらいがいいから気にしなくていいわよ!」

 俺の魔人としてのプライドを気遣ってのフォローなら申し訳ない。

「そろそろ倒すぞ」

 レアーは俺と話しながら並行していた魔術を展開。
 俺が木の幹を伐った瞬間、木の周辺に風が発生。位置を調整しながら、ゆっくりと倒していく。
 俺は木こりじゃあないし、斧で少しずつ削っているわけでもない。だからどちらに倒れるかが割とランダムになる。レアーの魔術での調整が必要だった。

 それにしても器用だな。
 彼女は時短詠唱に対して関心があったようだが、喋りながらの並行詠唱と二つ以上の魔術の同時発動の方が難しい様に感じる。
 予想だが、多分4つの風魔法を同時に発動して、その強弱で木の倒れる方向をコントロールしているように見えた。
 つまり彼女は詠唱の時間稼ぎさえできれば、俺よりも優秀な魔術師と言うことだ。
 俺達がそうやって何本か木を伐っている間、ネイアとロアネハイネには枝拾いと食材探しをお願いしていた。

「そろそろ合流するー? あんたも疲れたんじゃない?」
「ああ」

 合流地点は昨夜ネイアに背中を撫ぜられた湖だ。

 その場所に行くとネイアが湖に足を入れて涼んでいた。その先の、更に中心に近い場所で、ロアネハイネが太ももまで水に浸かり、身を屈めて水面をじっと見ていた。両腕とも水中にあるようだ。

 何をしているのだろうか。

 しばらく水面をじっと見ているロアネハイネをじっと見ていると、一瞬体が動いた。
 ほどなくして、ざばあっと、水中から出てきた手にはペティナイフが握られており、その刃の先端にはぴちぴちと跳ねる魚が居た。

 昼飯は焼き魚のようだ。

 それを察した俺は、さっそく木の枝を串状に研いで人数分用意する。
 ロアネハイネから魚を受け取り、串に刺していく。
 火の近くに串を刺して、魚が焼けるのを待つ。

 と、ロアネハイネの様子がおかしいのに気付いた。
 見ると太ももをこすり合わせて、なんだか恥ずかしそうにもじもじとしている。

「どうかしたのか?」

 尋ねると頬を染めて俯く。

「ううん……あのね……その、濡れちゃって……」

 見るとホットパンツがびしょ濡れになってピタッと股間に張り付いている。露出している太ももからホットパンツが張り付いた局部までのラインには境界線がない様にすら思え、まるで素肌に直接衣類の絵を描いたかのようであった。そのはっきりとした輪郭のおかげで、彼女の秘めたる部分の形と位置が容易に想像できるようになっていた。

「あ、すまない」

 と、じっくり見てしまったことを悪く思い、すぐに目を切った。

「しばらく……見ないで」
「そうだな。気を付けるよ。乾いたら教えてくれ」
「うん……」

 そうこうする間に魚が焼き上がり、昼食を頂く事にした。

「美味しいです。ロアネハイネさん」
「……良かった」

 ネイアはホクホクの身を飲み込むと、感想を述べる。

 四人で魚を食べていると、不意にロアネハイネが立ち上がった。
 その表情はとても真剣で、先までの朗らかな雰囲気には不釣り合いだ。

「ロアネハイネ、敵? 何人?」

 言いながらレアーはもう杖を構えている。
 ネイアもクロスを握って、ロアネハイネの言葉を待つ。
 狐耳をそばだてて辺りを警戒する。

「……多い。足音は……めちゃくちゃ」
「統率が取れてないってことね」
「そう……こっちには……まだ気付いてない。でも」

 でも、の後に間があった。

「何か……雑音が、混ざってる……聞いたこと、ない」
「わかったわ、ありがと」

 レアーはそれ以上情報を得ようとしなかった。
 これ以上は憶測になり混乱すると判断したのだろう。
 そしてロアネハイネが向いている方向に、みんなが視線を集中させる。

「こっちから奇襲を掛けることもできるけど、ここで待つことにするわ。少しでも視界が空けている場所の方が連携を取りやすいし、ウーの剣技も活きるでしょ。戦闘に入ったら、ネイアに指示は任せるわ」
「はい」

 二人とも林の奥から目を切らずに言葉をやり取りしている。
 俺は前に少しずつ出た。
 魔剣を順手で構える。

 敵。と表現していたが、恐らく魔物。昨日の残党だとまずい。もれなく魔王の部下だ。出来れば避けたい。などと言う考えごとを背負いながら戦う余裕はない。
 後方での支持を全てネイアに任せたのだ。ネイアが討てと言えば討つ。
 私情は捨てろ。ここは今から戦場になるのだ。

 集中力が高まった所為か、それとも実際敵が近づいて来た所為か、林の奥から足音が聞こえてきた。
 相手の顔が見えた瞬間、相手も俺達を確認していた。
 先に動いたのは敵側だ。

「人間と魔人が居る! 殺すぞ!」

 まったく躊躇の無い判断。
 敵ながら称賛に値する。

 敵の判断の後手に回りながらも、魔剣を構えて走り出す。
 林の陰から明るみに出てくることで、敵の顔を確認できた。
 確認できたとは言っても、既に俺はその魔物と肉薄していた。
 一つ目に角を生やしたサイクロプスのような魔物だ。
 敵の下段から魔剣を振り上げる。
 サイクロプスは斧で防御するが、構わない。そのまま振り上げて武器ごと打ち上げる。

 敵が体3つ分浮いたところに、

雷鳴落下(ライトニングボルト)!」

 電撃が直撃する。

 サイクロプスが落ちてくる前に、避けながら前進。
 だが、避ける必要はなかった。
 ロアネハイネが放ったロープがそいつを捕らえ、俺の頭上から引きはがしていた。
 作戦会議の時にロープが使えるとは言っていたが、ここまで正確に扱えるとは。

 次々に敵が襲い掛かってくるが、それを片付けていくのは容易だった。
 レアーの判断は正しかった。
 向こう側からこちらに向かってくるには、道が一つしかない。
 横から回ってこようとしても湖が邪魔をする。
 だから真正面と湖の逆側に注意を向けていれば、取りこぼすことはない。
 また、木々が自然の網になっているのも、地の利になっている。
 木を倒しながら突進してくるなどと言う非効率な奴は居ない。となれば、必然敵の道筋は読みやすくなる。更に、彼らの頭上には枝がある為、上からの奇襲が掛けられにくい。もしもそんなことをしようとする輩が居れば、枝に触れた瞬間に葉っぱが揺れてすぐさま気付けるからだ。
 進行方向を限定した戦い方は、多数を相手にするには最も効果的だ。それにこちらは常に連携が取れる広場に居る為、実質1対4と言う戦いが常に行われていると言って良い。展開が早いのでこちらの消耗も激しいのがネックだが。

 こうして数十匹を相手取って、みんな無傷で戦いを終えることが出来た。

 戦いがひと段落したからか、今更ながらに殺したと言う事実が思考の中にちらつき始めた。今までは傷付けはしても、魔物を殺したことなどなかった。もちろん、この世界に来て一番初めに神を殺した俺が言う権利などないが、後味が良いものではない。
 だが、迷っていたら殺されていた。
 俺の死は、すなわちパーティの死。
 守るって誓ったんだ。
 殺すことに慣れることは嫌なことだって解っている。でも今は自分の良心だとか道徳だとかってのを麻痺させないといけない。俺の心が殺人鬼のそれになっても、守るべき命が守られるのならそれでいい。そんな考えは卑怯だと、浅ましいのだと笑いたいのなら笑えばいい。どんな嘲笑も受け止めて、誰から憎まれても生き抜く。

 その思考を遮るように、一声の咆哮が響いた。

 ——ガゥンッ!