もうすべての魔物を撃退しただろう。
 そう思い、四人で皆が避難している場所に向かおうとした時だった。
 背中に視線を感じた。
 振り返っても誰もない。
 立ち止まっていたため、三人と距離が空いた。
 そこでまた視線を感じて、そちらを見ると見覚えのある顔がこちらを見ていた。

 ヘルだ。
 物悲しそうな、それでいて嬉しそうな、相反する感情が渦巻いていると言った得も言われぬ具合の表情。

「魔王様……」

 俺はギクリとして体が固まった。
 大きな瞳は潤んでいて、その瞳を見ると心が締め付けられた。

「魔王様では有りませんか?」

 子供の姿になってなお、正体を見抜くことが出来るとは。彼女の並々ならぬ魔王への愛情を感じる。でもだからこそ、俺では駄目だ。
 問いかけに答えられないで、ただ黙っていると、向こうから俺を呼ぶ声がした。

「ウーさん、どうしたのですか?」

 ネイアだ。

「何でもない。今向かう」

 ネイアに返し、再びヘルを見る。
 捨てられた子猫のような瞳。
 俺は、そうか、ヘルを捨てたんだ。
 手紙なんか残しても、彼女にとって魔王が居なくなったと言う事実は埋められない。
 自分の居場所がここにはないって言うのは、俺の都合だ。ヘルをはじめとした魔物たちの都合は全く考えていない。

 この村に攻め入ったのも、もしかして俺を探して……?

 だがそれを聞けば、自分が魔王であることを認めたことになる。
 俺は首を振った。

「人違いだ」

 冷たく言い放って駆け出した。
 ネイアの元へ。

 ネイアたちは既に村人に魔物たちを追い払った事を告げていた。
 村長たちはホッと胸を撫でおろしていた。

「ありがとうございます。先ほどはすみませんでした」

 村長がネイアに謝る。
 石を投げた張本人も深々と頭を下げる。

「まさか、勇者一行のネイア様だとは知らず」
「いえ。誤解が溶けて良かったです」

 ネイアが穏やかな笑みを浮かべる。

「レアー様もロアネハイネ様も本当に助かりました。皆様今日は是非わが村に泊って行ってください。とは言え、半壊してしまった建物も多く、大したおもてなしもできませんが」

 四人で顔を見合わせる。

「じゃ、お言葉に甘えさせてもらおっかな!」
「もともと……ここに居る、予定だった」
「良かったですね。ウーさん」

 ネイアが俺に視線を向けるが、それを遮る様に男が俺の前に立つ。
 先の、棒を構えていた男だ。

「悪いが、アンタはダメだ」
「どうしてですか?」

 俺の代わりにネイアが問い掛ける。

「確かにネイア様は本物の神官だ。さっきは疑って悪かった。でも、こいつが魔人なのは変わらない」

 男の眼光は鋭く、敵意に満ちている。

「勇者一行に魔人が居るなんて聞いたことがない」
「そうだろうな。俺はつい最近知り合ったばかりだから」
「魔族は信用ならねえ。そのうえ知り合ったばっかりだってのならなおのことだ」
「ウーさんは皆さんを助ける為に頑張って戦ってくれました。不信がることはありませんよ」
「そのことだがな、ネイア様。俺はこいつが魔族を助けるところを見ちまったんだよ。レアー様の炎の魔術で倒れそうな魔物に水を浴びせて助けてやがったんだ、こいつは。有り得ねえだろ。そんな、敵対するやつらを助けるなんて」

 それを聞いたレアーが慌てて声を上げる。

「あ、それは違……」
「俺も見た!」
「私もよ!」
「やっぱり魔人は魔物を庇うんだ」
「そもそもあの魔人なんで弱そうな魔術ばかり使っていたんだ?」
「それに敵が逃げるまでわざと待っているようにも見えたぞ」
「あいつ手加減していたんじゃあないか」
「あの魔人が来たと同時に魔物も来たよな」
「え、そうなの!? 怖い!」

 矢継ぎ早に非難が飛んでくる。

 弁明をしようとしていたレアーの声がかき消されてしまった。

 それにしてもみんな命からがら逃げ果せたように見えて、その実しっかり俺の仕事は見る余裕はあったんだな。
 どうあれ彼らに受け入れられることはできないらしい。
 レアーがどうにか説明しようと口をパクパクさせている。

 俺は彼女に小さく「ありがとう」とお礼を言った。

 これ以上ややこしいことになる前に、退いた方がいい。

「村長。迷惑をかけた。俺は出ていくことにする。ただ二つほどお願いがあるのだが、聞いて貰えないだろうか?」

 村人全員の視線が村長へ向けられる。

「どんなお願いじゃろうか」
「村長! 聞いてやる必要ないぜ!」

 その言葉を聞いて村長は目を見開き大声を上げた。

「口を慎まんか! こわっぱが!」

 見た目には両方とも子供だが、実年齢は村長が一回りも二回りも上だろう。男は言葉を飲んで委縮した。

「この魔人殿がいなければ、助かっていない命もあったはずじゃ。その事実は蔑ろにすべきではない」

 村長は男をさがらせ、目の前にまで歩いてきた。

「本来であれば、勇者一行様と同じ待遇を取りたいのじゃが、みなみなの気持ちをお察し願いたい。本当に申し訳ない」
「村長の立場を考えれば当然のことだ。気に病む必要はない。寧ろありがたい」
「それで、お願いとは?」
「一つは、ネイアはここに居させて欲しいと言うこと。もう一つは、村の復興の手伝いをさせて欲しいと言うこと」

 言葉を聞いた村人たちがざわつく。

「魔人殿。それは願ってもないことじゃが、しかしどうしてじゃろうか? わしが言うのもおかしな話じゃが、みな魔人殿をこれほど疑い、傷付けたと言うのに」

 俺はネイアを見る。

「彼女に教えられた。相手にどう思われていようと、困っている人に手を差し出す。それが正しいことだと。俺は彼女の正義に寄り添う気でいる。ただそれだけだ」

 村長は俺の目を見ている。

 周りの村人からひそひそと声が聞こえる。「油断させる気だ」とか「取り入ろうとしている」とか。
 正直それらを「どうでもいい」と達観できるほど人間できてはいない。しかし、彼女の正義に寄り添いたいと言う気持ちに嘘は無いし、唯一村長だけは俺のことを信じてくれているようだから、それを頼りに陰口も耐えようと思った。

「本当に、澄んだ瞳じゃ。嘘は言っておらんようじゃの」

 にっこりと笑う。
 村長は振り返り村人に告げる。

「魔人殿にはこの村の復興を手伝ってもらう!」

 決めつけた言い方に、所々で苦々しい顔をする者はいるものの、先の様に声を上げて否定するものはいない。

「不安がる気持ちも解る。が、今はそういう時ではない。全員が子供の姿に変わってしまったこの状態で、復興をするとなると通常の二倍三倍の時間を要することは明らか。そのさなかで各自通常通り農作物を育てる、畜産をするとなると、完全なる復興にはとてつもない時間が掛かるじゃろう。時機を逃し冬に入ってしまったら、村人全員餓死を余儀なくされるじゃろう。
 これはわしの独断じゃが、異論は認めん! もしも餓死をしたい者がおるのなら、今すぐに手を挙げるのじゃ。この村を出て行ってもらう」

 もちろん異論を申し出る者はいなかった。
 俺は再度村長にお礼を言って村を出た。

 しばらく歩いて村を見渡せる丘の上に来た。
 ここならば魔物の襲撃があった時にすぐさま動ける。

 俺がキャンプを張ろうと準備をしていると、坂の下から修道帽(クロブーク)が近づいて来た。
 坂道を登り終えたネイアが俺の前に仁王立ちになる。腰に手を当てて俺を見降ろしている。夕陽バックでなんだかカッコイイ。と言うかパンツが見えそうだ。

「酷いじゃないですか、置いて行くなんて」
「え? いや、ネイアは村の中に居てもいいんだから、その方がいいだろうと思って」
「勝手に決めないでください」

 え。何。なんか普通に怒られてる?
 語調が少し厳しい。

「私を、守ってくれるのではなかったのですか?」
「確かに、約束したな」
「だったら、一緒に居てください」

 彼女の真剣な眼差しを受けて俺が頷くと、破顔して近寄ってくる。

「手伝わせてください。枝を拾ってくればいいですか?」
「ああ、頼む。あ、あと狩りは俺がするから」
「私には任せられませんか?」
「任せたくない。あんなに泣かれるなら」

 俺が冗談めかして言うと、彼女は片方の拳を胸の前に掲げて、鼻息を荒くして応える。

「いずれ慣れなければいけないものです。その為には率先してやらなくては」
「慣れなくていい」
「え?」

 彼女はキョトンとした顔になる。

「慣れて欲しくない。君には、殺すことに慣れて欲しくないんだ。これはお願いだ。頼む」

 彼女は、しばらく驚いたように固まっていたが、ふふっと笑って頷いた。

 そんなやり取りをしていると、坂の下から人影が上がってきた。
 大荷物を抱えながら、楽しそうに手をぶんぶん振りながらこちらに向かってくる。

「ネェェイィィアァァ!」
「レアーさん。どうしたんですか?」
「村の人が布くれたから。ほら、分厚いでしょ! それに表面に動物の油が塗ってあるから多少の雨も大丈夫だってさ!」

 その布を俺に放り投げてくる。

「テントの屋根になりそうだな。恩に着る」
「いいのいいの! さっきはあんたのことを庇えなかったし!」
「一緒に居た、ロアネハイネと言う子はどうした?」
「狩りに向かったわ。四人分捕るんだって意気込んでた!」
「四人?」
「うん! なんか楽しそうだからさ! あたしたちも仲間に入れなさいよ!」