月影も届かない森の中。
ぽっかりと口を開けた暗闇が、こちらを見ているような気がして、妙な焦燥感に胸騒ぎを覚える。
ここは一体どこだろう。
闇の奥から足音が聞こえた。
どさ。どさ。
と、およそ足音とは思えない音だったが、なぜだかそれが足音だと感覚的に理解していた。
その足音はいつの間にか自分の目の前に来ていた。
四つの足が自分の前で止まる。
ゆっくりと顔を上げるとそこには両親が立っていた。
ただし二人とも両目がない。
二つの空洞から黒い血がどろどろと流れている。
眉と口角だけでそれと解るほど怒りに満ち溢れた顔でこちらを見ている。
その手が首に掛かった。
体が動かない。
誰か。
誰か助けてくれ!
――体がビクッと震えあがり、闇から意識が引き戻される。
そこはテントの中だった。
屋根として取り付けた葉っぱから漏れる朝日に顔をしかめ、大きく溜め息を吐く。
「夢か」
起き上がろうとしたが、体が重く動くのが困難だった。
どうしてだろう。
ぼやけた視界で自身の体を見ると胸の辺りに何かが乗っていた。
肌色のそれは腕のよう。
ネイアか?
仰向けのまま横を向くと間近に彼女の寝顔があった。唇が掠ってしまわないかと思える程の距離である。
「わあ!」
俺は頓狂な声を上げて彼女を払いのけ立ち上がった。
と同時にテントの支えにぶつかる。木くずをまき散らしながらそれは瓦解した。
「すまない!」
木の葉まみれになったネイアに近寄り謝る。
ふあぁっと呑気に欠伸をしながら起き上がる。
「おはようございます」
「おはよう」
「あら? テントはどうしたのですか?」
「すまない。朝起きたら君が近くに居たから、驚いて立ち上がった時に壊してしまった」
元々仮組のような簡易テントだ。
木から木材を切り出して、地面に突き刺し、大木に立てかけ、屋根の代わりに枝付きの葉を上に乗せただけのもの。
「昨夜はウーさん震えていましたから。寒いのかと思って」
確かに、悪い夢を見ていた、気がする。
思い出そうとするが、その輪郭はどんどん曖昧になっていく。ネイアの微笑みを見ていると、悪夢なんて見ていないんじゃないかと言う気にすらなる。
「ありがとう。でも、大丈夫だから。その、俺は君からみたら子供かも知れないが、異性に対しての恥じらいと言うものがあるから、気を付けて欲しいんだが」
「そうですか。これからは気をつけますね。でも別にやましいことはしていませんよ? 神官ですからその点はご安心ください」
そういう問題じゃない。と言うかなんで俺がやましいことされる側なのだろうか。
まあ狭いテントの中だからある程度体が寄るのは仕方ないし、俺が慣れるべきなんだろうな。
気を取り直して、昨日見つけた煙の方へ向かって歩き出した。
歩きついたところには小さな集落があった。
村、と言って良いのだろうか。
この世界の村の規模を知らないから何とも言えない。
木で作られた塀に囲まれており、中が見えるのは入り口の門からだけだったが、塀を超える高さの建物がいくつも見えたので人はいるようだ。
「グリアス村」
ネイアが門の上にアーチ状に立てかけられた看板を見てそう呟いた。
ここはグリアス村と言うらしい。
中に勝手に入って良いものかと迷っていると、門の向こう側から人が歩いてきた。
ネイアが前に出る。
「こんにちは」
「こんにちは。神官様。ようこそグリアス村へ」
と恭しく挨拶をしたのは小学生くらいの子供だった。
とてもしつけがされた子供だなあと感心した。
「あの、こちらの村の村長さんはどちらにいますか?」
「わしじゃが」
と、子供が答える。
なんだろう。さっきの恭しい挨拶とは打って変わって、いきなりふざけ始めたぞ。
「えっと」
ネイアが困っていると村長と名乗る少年は、はっとしたような顔になり訳を話し始める。
「ああ、神官様。ごもっとも、ごもっとも。わしが子供の格好をしているから、そのような目をされるのも当然。じゃが、本当なのじゃ。信じて欲しい。つい最近までわしも普通の老人だったのじゃが、ある日突然子供になってしまった。わしだけではなく、村に何らかの呪いが掛かったように、皆が子供になってしまったのじゃ」
「まあ!」
――!?
ここだったのか!!
ヴァンパイアが薬の効能を確かめる為に実験台として使った村と言うのは。
神殺しによるネイアの法術喪失に続き、ここにも俺の行動による災いが。
「子供ばかりなので、大したおもてなしも出来ないかと思うが、どうぞ」
と、そこで村長と俺の目が合う。
「……ああ、その、すまんが、そこの方は入らないでもらえるかの」
「どうしてだ?」
「ウーさんは、決して皆さんに危害を加えるような方じゃあありませんよ?」
「そうじゃろうな。うむ。解る、解るよ。神官様と一緒に居て、何も危害を加えておらんと言うことはそういうことなんじゃろう。その点疑う余地はないのじゃが、中にはわしの様に物分かりの良い者ばかりではない。その肌の色を見ただけで石を投げる者もおるだろう。そうなれば傷付くのは旅の方じゃ」
この村長の言うことに嘘はないのだろう。理屈が通っているし、実際申し訳そうな顔をしている。
仕方ないか。
だが、この村を子供化させてしまった原因は俺にある。
なんとかこの村の役に立ちたいのだが。
そう思っていると中からまた子供が現れた。
「村長、いったい誰と話を……」
後ろから出てきた少年と目が合う。
「う、うわああ! 魔人だ!」
少年は一度後ろに下がり、近くにあった木の棒を拾って構える。見た目は少年だが、村長と同じく元々は成人男性なのだろう。構え方が素人のそれではない。
それを見たネイアは俺と男の間に割って入る。
「待ってください! 彼は確かに魔人ですが、とても優しい魔人なのです! 私の命を助けてくれたのですよ?」
それを聞いても男は怯む様子がない。
「なんだと!? そんなことあるわけがねえ! 魔族は血も涙もない奴らばかりだ! 俺のダチの村は一匹のガイコツの魔物に滅ぼされたって噂だぞ!」
ガイコツの魔物……?
スケルトンの事か?
ヘルが言っていたスケルトンの過去を思い浮かべた。
「魔物は確かに人間に害をなすことが多いです。しかしウーさんは本当に私を守ってくれたのです」
「だとしたら、お前は邪神教なんじゃあないか?」
神官にとって、邪神などと神を侮辱されることが、どれほど傷付くことか。俺には到底想像できない。
男の粘質的な目が彼女の体を舐めまわす。
「だいたい神官のくせに、スカートの丈が短すぎるだろう。こんな卑猥な神官が居るものか!」
この騒ぎを聞きつけた者だろうか。
いつの間にか数人の男に取り囲まれていた。
そのうちの一人が石を投げてくる。
俺はそれを素手でキャッチできたが、違う一人が投げた石がネイアに当たり腕から血が出ていた。
「やめろ! 彼女は関係ない」
俺は彼女の前に出て、棒を構えた男の間合いに入る。
「村長の言う通り、俺はこの村に居てはいけないようだ。それは解った。だから立ち去ろう。しかし、彼女が立ち入ることは許してくれないだろうか? 俺の所為で彼女まで迫害を受けるのは耐えられないんだ」
俺は村長を見ながら言ったが、難しい顔をしている。
このままネイアまで村の中に入れないのはまずい。
昨日は何事もなく野営できたが、この世界の夜がどれほど危険かを、俺はまだ知らない。そんな俺の知識の無さを鑑みただけでも、村の中で寝泊まりした方が安全だ。いざと言う時、自分一人なら何とかなるかも知れないし、そういう保険を打つ為にも彼女だけでも村の中で過ごすのが理想的なのだ。
だがそれはあくまでこっちの都合だ。
事態がここまでこじれては、確かに収拾を図るのも難しかろうな。
沈黙のまま見合っていると、村の奥の方から悲鳴が上がった。
皆が一斉にそちらを見る。
しばらくしてまた別の村人が走ってくる。
「大変だ! 魔物が出た! 裏門の方だ! みんな逃げろ!」
どうやら俺とは別の魔物たちがこの村を襲いに来たらしい。
棒を構えた男は詰め寄ってきた。
「てめぇ! 呼び寄せやがったな!」
「やめんか!」
声を荒げたのは村長だ。
「この者が魔物を呼び寄せたかどうかは知らんが、今は村の人間を安全に避難させることを考えるのじゃ。この体では応戦も難しいじゃろう」
それを聞いた男は舌打ちをして踵を返した。
続くように周りを囲んでいた連中も村の中へと消えて行く。
ぽっかりと口を開けた暗闇が、こちらを見ているような気がして、妙な焦燥感に胸騒ぎを覚える。
ここは一体どこだろう。
闇の奥から足音が聞こえた。
どさ。どさ。
と、およそ足音とは思えない音だったが、なぜだかそれが足音だと感覚的に理解していた。
その足音はいつの間にか自分の目の前に来ていた。
四つの足が自分の前で止まる。
ゆっくりと顔を上げるとそこには両親が立っていた。
ただし二人とも両目がない。
二つの空洞から黒い血がどろどろと流れている。
眉と口角だけでそれと解るほど怒りに満ち溢れた顔でこちらを見ている。
その手が首に掛かった。
体が動かない。
誰か。
誰か助けてくれ!
――体がビクッと震えあがり、闇から意識が引き戻される。
そこはテントの中だった。
屋根として取り付けた葉っぱから漏れる朝日に顔をしかめ、大きく溜め息を吐く。
「夢か」
起き上がろうとしたが、体が重く動くのが困難だった。
どうしてだろう。
ぼやけた視界で自身の体を見ると胸の辺りに何かが乗っていた。
肌色のそれは腕のよう。
ネイアか?
仰向けのまま横を向くと間近に彼女の寝顔があった。唇が掠ってしまわないかと思える程の距離である。
「わあ!」
俺は頓狂な声を上げて彼女を払いのけ立ち上がった。
と同時にテントの支えにぶつかる。木くずをまき散らしながらそれは瓦解した。
「すまない!」
木の葉まみれになったネイアに近寄り謝る。
ふあぁっと呑気に欠伸をしながら起き上がる。
「おはようございます」
「おはよう」
「あら? テントはどうしたのですか?」
「すまない。朝起きたら君が近くに居たから、驚いて立ち上がった時に壊してしまった」
元々仮組のような簡易テントだ。
木から木材を切り出して、地面に突き刺し、大木に立てかけ、屋根の代わりに枝付きの葉を上に乗せただけのもの。
「昨夜はウーさん震えていましたから。寒いのかと思って」
確かに、悪い夢を見ていた、気がする。
思い出そうとするが、その輪郭はどんどん曖昧になっていく。ネイアの微笑みを見ていると、悪夢なんて見ていないんじゃないかと言う気にすらなる。
「ありがとう。でも、大丈夫だから。その、俺は君からみたら子供かも知れないが、異性に対しての恥じらいと言うものがあるから、気を付けて欲しいんだが」
「そうですか。これからは気をつけますね。でも別にやましいことはしていませんよ? 神官ですからその点はご安心ください」
そういう問題じゃない。と言うかなんで俺がやましいことされる側なのだろうか。
まあ狭いテントの中だからある程度体が寄るのは仕方ないし、俺が慣れるべきなんだろうな。
気を取り直して、昨日見つけた煙の方へ向かって歩き出した。
歩きついたところには小さな集落があった。
村、と言って良いのだろうか。
この世界の村の規模を知らないから何とも言えない。
木で作られた塀に囲まれており、中が見えるのは入り口の門からだけだったが、塀を超える高さの建物がいくつも見えたので人はいるようだ。
「グリアス村」
ネイアが門の上にアーチ状に立てかけられた看板を見てそう呟いた。
ここはグリアス村と言うらしい。
中に勝手に入って良いものかと迷っていると、門の向こう側から人が歩いてきた。
ネイアが前に出る。
「こんにちは」
「こんにちは。神官様。ようこそグリアス村へ」
と恭しく挨拶をしたのは小学生くらいの子供だった。
とてもしつけがされた子供だなあと感心した。
「あの、こちらの村の村長さんはどちらにいますか?」
「わしじゃが」
と、子供が答える。
なんだろう。さっきの恭しい挨拶とは打って変わって、いきなりふざけ始めたぞ。
「えっと」
ネイアが困っていると村長と名乗る少年は、はっとしたような顔になり訳を話し始める。
「ああ、神官様。ごもっとも、ごもっとも。わしが子供の格好をしているから、そのような目をされるのも当然。じゃが、本当なのじゃ。信じて欲しい。つい最近までわしも普通の老人だったのじゃが、ある日突然子供になってしまった。わしだけではなく、村に何らかの呪いが掛かったように、皆が子供になってしまったのじゃ」
「まあ!」
――!?
ここだったのか!!
ヴァンパイアが薬の効能を確かめる為に実験台として使った村と言うのは。
神殺しによるネイアの法術喪失に続き、ここにも俺の行動による災いが。
「子供ばかりなので、大したおもてなしも出来ないかと思うが、どうぞ」
と、そこで村長と俺の目が合う。
「……ああ、その、すまんが、そこの方は入らないでもらえるかの」
「どうしてだ?」
「ウーさんは、決して皆さんに危害を加えるような方じゃあありませんよ?」
「そうじゃろうな。うむ。解る、解るよ。神官様と一緒に居て、何も危害を加えておらんと言うことはそういうことなんじゃろう。その点疑う余地はないのじゃが、中にはわしの様に物分かりの良い者ばかりではない。その肌の色を見ただけで石を投げる者もおるだろう。そうなれば傷付くのは旅の方じゃ」
この村長の言うことに嘘はないのだろう。理屈が通っているし、実際申し訳そうな顔をしている。
仕方ないか。
だが、この村を子供化させてしまった原因は俺にある。
なんとかこの村の役に立ちたいのだが。
そう思っていると中からまた子供が現れた。
「村長、いったい誰と話を……」
後ろから出てきた少年と目が合う。
「う、うわああ! 魔人だ!」
少年は一度後ろに下がり、近くにあった木の棒を拾って構える。見た目は少年だが、村長と同じく元々は成人男性なのだろう。構え方が素人のそれではない。
それを見たネイアは俺と男の間に割って入る。
「待ってください! 彼は確かに魔人ですが、とても優しい魔人なのです! 私の命を助けてくれたのですよ?」
それを聞いても男は怯む様子がない。
「なんだと!? そんなことあるわけがねえ! 魔族は血も涙もない奴らばかりだ! 俺のダチの村は一匹のガイコツの魔物に滅ぼされたって噂だぞ!」
ガイコツの魔物……?
スケルトンの事か?
ヘルが言っていたスケルトンの過去を思い浮かべた。
「魔物は確かに人間に害をなすことが多いです。しかしウーさんは本当に私を守ってくれたのです」
「だとしたら、お前は邪神教なんじゃあないか?」
神官にとって、邪神などと神を侮辱されることが、どれほど傷付くことか。俺には到底想像できない。
男の粘質的な目が彼女の体を舐めまわす。
「だいたい神官のくせに、スカートの丈が短すぎるだろう。こんな卑猥な神官が居るものか!」
この騒ぎを聞きつけた者だろうか。
いつの間にか数人の男に取り囲まれていた。
そのうちの一人が石を投げてくる。
俺はそれを素手でキャッチできたが、違う一人が投げた石がネイアに当たり腕から血が出ていた。
「やめろ! 彼女は関係ない」
俺は彼女の前に出て、棒を構えた男の間合いに入る。
「村長の言う通り、俺はこの村に居てはいけないようだ。それは解った。だから立ち去ろう。しかし、彼女が立ち入ることは許してくれないだろうか? 俺の所為で彼女まで迫害を受けるのは耐えられないんだ」
俺は村長を見ながら言ったが、難しい顔をしている。
このままネイアまで村の中に入れないのはまずい。
昨日は何事もなく野営できたが、この世界の夜がどれほど危険かを、俺はまだ知らない。そんな俺の知識の無さを鑑みただけでも、村の中で寝泊まりした方が安全だ。いざと言う時、自分一人なら何とかなるかも知れないし、そういう保険を打つ為にも彼女だけでも村の中で過ごすのが理想的なのだ。
だがそれはあくまでこっちの都合だ。
事態がここまでこじれては、確かに収拾を図るのも難しかろうな。
沈黙のまま見合っていると、村の奥の方から悲鳴が上がった。
皆が一斉にそちらを見る。
しばらくしてまた別の村人が走ってくる。
「大変だ! 魔物が出た! 裏門の方だ! みんな逃げろ!」
どうやら俺とは別の魔物たちがこの村を襲いに来たらしい。
棒を構えた男は詰め寄ってきた。
「てめぇ! 呼び寄せやがったな!」
「やめんか!」
声を荒げたのは村長だ。
「この者が魔物を呼び寄せたかどうかは知らんが、今は村の人間を安全に避難させることを考えるのじゃ。この体では応戦も難しいじゃろう」
それを聞いた男は舌打ちをして踵を返した。
続くように周りを囲んでいた連中も村の中へと消えて行く。